【第2部28章】竜、そして龍 (8/8)【威迫】
【龍血】←
──ドジュウウゥゥゥ!
煮えたぎる龍血が、赤い雨となって周囲に降り注ぐ。一瞬、ヴラガーンの威迫に気圧されていたプテラノドンは、すぐに我にかえる。
「龍メ……ナニヲ、シタ……!?」
「なにをした? 異なことを聞くぞ、翼龍モドキ……オレの腹をえぐったのは、ほかならぬ……ウヌではないかッ!!」
ドラゴンの鮮血が、じゅうじゅうと音を立てて氷結した大地の霜を溶かし、もうもうと湯気が立ちこめる。精密な操作による光の屈折を乱されて、有翼恐竜の虚像がかき消えていく。
本体を隠す囮となるはずの分身を失い、無防備となったことを自覚したプテラノドンは、あわてて暴虐龍から距離をとり、急上昇で高所へ逃れようとする。
ヴラガーンは、ともすれば内蔵がまろび出そうになる傷口を、無理矢理、筋肉で引きしめる。有翼恐竜の飛翔軌道を目で追いながら、のけぞっていた身を起こし、体勢を当てなおす。吊りあがる口角から、ごぷっ、と血糊がこぼれる。
「シュー、シュー、シュー……ようやくオレは、おもしろくなってきたぞ。翼龍モドキ……ウヌはどうだ!?」
狂気じみた壮絶な笑みを浮かべて、暴虐龍は問いかける。上空へと舞いあがるプテラノドンの瞳に、おびえにも似た光が宿る。翼を傾け、地上で哄笑する人間態のドラゴンから距離をとろうとする。
「闘争も、佳境……この期に及んで、勝負から降りようなど……断じて、オレは認めぬぞ! 翼龍モドキ!!」
ヴラガーンは大きくひざを曲げると、瞬間的に跳躍する。巨躯の身体が一直線に宙を駆け、極寒の風を切り、ぐん、と有翼恐竜へと肉薄する。
プテラノドンは、後方から迫る殺意の塊から逃れようと、必死に翼を羽ばたかせる。速度は、遅い。上昇気流を、捉えきれていない。
時間感覚が泥のように緩慢となるなか、人間態のドラゴンは両の拳をにぎりしめる。あとわずかで、有翼恐竜の背に手が届く。そう思った瞬間、冷気が揺らぐ。
「フン……! 臆病風が透けて見えるぞ、翼龍モドキッ!!」
ヴラガーンは、鼻を鳴らす。氷を利用し、光を屈折させて作り出したプテラノドンの無数の虚像が、暴虐龍の目を惑わすように現れる。
だが、人間態のドラゴンは迷わない。悪鬼のごとき形相となったヴラガーンの視線は、なにも存在しない……ように見える虚空へ向かって注がれている。
なにもないわけではない。人間態のドラゴンの動態視力は、わずかにくすぶる白煙を捉えている。地表での差しあいのさいに、プテラノドンの背中には、暴虐龍の沸騰する血が数滴、こびりついている。
「知恵をこねくりまわすのは、オレの好みではない……が、できんわけではないぞ。翼龍モドキ、これからウヌの鼻の穴をあかしてくれるッ!!」
己の血痕の残り香を目印として、ヴラガーンは確信的に跳躍する。有翼恐竜の幻影の群れを飛び越えたあたりで、眼前がゆがみ、虚空からプテラノドンの姿が現れる。
「龍メ……死ニ損ナイノ、クセニ……アキラメガ、悪イッ!」
「応よ、翼龍モドキ。狩りは、死にかけてからが本番ぞ?」
平然と言ってのけた暴虐龍に対して、有翼恐竜は歯ぎしりを響かせる。ヴラガーンとプテラノドンのあいだに残されたわずかな隙間に、氷壁が展開される。透明な盾の表面には、人間態のドラゴンとの接触を嫌うように、びっしりとスパイクが生えている。
「この期に及んで、闘志を喪失していないのは悪くないぞ……そうでなくては、な!」
暴虐龍は、空を舞いながら、両腕を広げる。いまだ血と肉片が飛び散る、深い傷の刻まれた腹部を最前面へ押しだし、フライングボディプレスの体勢となって、ヴラガーンはプテラノドンの背へ突っこんでいく。
──ジュウウゥゥゥ……ッ!
寒風吹き荒む空のうえに、融解音が響きわたる。沸騰する龍血で全身が血染めとなった人間態のドラゴンが触れると、氷の棘と透明な盾が見る間に溶けて、消滅していく。
「グフゲェ……ッ!?」
暴虐龍の体当たりをまともに受けて、有翼恐竜はうめき声をあげる。ヴラガーンは、空中で暴れ狂うプテラノドンの背にしがみつく。
「シュー、シュー、シュー……ウヌの氷を使った小細工に、散々、もてあそばれたが……これだけ密着した状態でも、切れる札はあるか? 見せてみろ、翼龍モドキ!!」
挑発じみた、それでいて本心でもある暴虐龍の言葉に、有翼恐竜は返事をするどころではない。マグマのごとき高熱を宿したドラゴンの血が、プテラノドンの肌を焼き続ける。
「フン。ここで取り乱しているようでは、少々、拍子抜けだが……ウヌが手を出さぬなら、オレから行くとしようぞ……ッ!」
筋肉を張りつめさせた右腕を伸ばし、ヴラガーンはプテラノドンの片翼をつかみ、引き寄せる。そのまま、関節技の要領で、根本からへし折る。ごきり、と破滅的な音が、空に響く。
「……グヴギャアッ!!」
有翼恐竜の悲鳴が、グラトニアの空に響く。揚力を失ったプテラノドンは、急転直下で地面へ向かって落ちていく。人間態のドラゴンは、その背に張りつき続ける。
「そろそろ、仕舞いか……氷の小細工は、オレの好みではなかったが……それなりに楽しめたぞ、翼龍モドキ?」
暴虐龍と有翼恐竜の視界に、ぐるぐると回転しながら高速で近づいてくる地表が見える。身をよじり逃れようするプテラノドンの頭部を左右から、ヴラガーンの万力の握力が捕まえる。
「ウギャア、ヴェ……ッ!?」
有翼恐竜の断末魔が、途絶える。人間態のドラゴンが、プテラノドンの頭部を渾身の力で大地へ押しつけた。ワニのごとき頭蓋が粉砕し、破裂し、肉と血と脳症が霜におおわれた地表に飛び散る。
「シュー、シュー、シュー……」
しばしヴラガーンは、首なし死体となった有翼恐竜の背にまたがったまま、プテラノドンの頭部があった赤い染みを見下ろす。やがて荒く吐息をつきつつ、よろめきながら立ちあがる。
「少々……血が、足らんぞ」
呼吸を整えた暴虐龍は、しとめた相手の肉を喰らおうと手を伸ばそす。ほぼ同時に『ひっくり返った』温度がもとへ戻り、周囲は殺人的な熱波に包まれる。
大地のうえに身を伏せるプテラノドンの死体から急速に水分が失われ、まるで生きているかのように背筋をのけぞらせながら、見る間に干からびていく。
ヴラガーンに食事の暇を与えることなく、有翼恐竜の身体は消し炭と化し、白い灰となって熱風にまき散らされていく。人間態のドラゴンは、舌打ちする。
「喰い損なったか……まあ、いい。熱にあぶられていれば、そのうち傷もふさがろうぞ……」
暴虐龍は、ふらつきつつもフロルのあとを追い、蜃気楼ゆらめく地平線にむかって走りはじめる。氷爪によって刻まれた裂傷からは、いまだ止めどもなく鮮血がこぼれ落ちていた。
→【第29章】
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