【第2部24章】永久凍土の死闘 (8/8)【理解】
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「ええ──いッ!!」
メロは対となる片割れ、己の手のなかにあるリングを天高く掲げる。直径が拡大し、大きく回転すると、輪の内側に亜空間トンネルの出口が形成されて、ライゴウの躯体が頭から転がり出てくる。
魔法少女は、天使の輪のように宙に浮かぶリングを蹴ると、落下するスモウレスラーと高さをあわせるように地面へ向かって跳躍する。
天地逆転した状況への対応に手こずるライゴウに対して、メロは両腕をからませ、ぴったりで背中あわせでホールドする。きりもみ回転しながら、ふたりは凍原へ落下していく。
「ぬグ……ッ!?」
スモウレスラーは、もがく。ともすれば簡単にへし折れそうな、小枝のような細腕を、なぜか振りほどくことができない。地に足がついていないだけで、こうも勝手が変わるものか。
このまま、なすがままに任せていれば、数秒のうちに己の頭は凍原にたたきつけられるだろう。ライゴウは、いままでの戦闘経験から打開策を探す。
しかし、土俵のうえに立つことを前提とするスモウレスラーという戦闘スタイルにおいて、空中戦というものは産まれてから、このかた初めて経験するシチュエーションだった。
(なに、か……なにか、手は……ッ!)
ライゴウは、うめく。必死に、死線を切り抜けるための手段を思案し続ける。半生を捧げて研鑽を続けてきた相撲の技、絶体絶命の境地でつかんだ『失落演武<フォーリンガン>』……己にできることを反すうするうち、ぱっと脳裏に不思議と穏やかな光景が再生される。
(走馬燈……ってやつか?)
故郷、イクサヶ原。巡業先の宿の縁側で、村人からもらった酒を、師匠である親方に酌をする幕下修業時代の若かりしころのライゴウ。
「ライゴウ、おぬしは強い……」
おぼろ月を見あげながら、ほろ酔いの親方が、ぼそりとつぶやいた。からになった杯に、幼さの残るライゴウは澄み酒を注いだ。
「……いずれ関取となり、ともすれば横綱にも手が届くやもしれん。だからこそ、おぬしには言っておかねばならぬことがある」
杯の酒を一息に呑み干すと、親方は目を細めて幕下の若弟子のほうを見た。瞳の奥の光に、みじんも酩酊の色はない。
「人を、殺すな」
小さく、低く、それでいて臓腑の底に響くような声音で師匠は言った。親方は、ことあるごとにライゴウを初めとする一門の弟子たちに言って聞かせた。
イクサヶ原は、死と殺人の臭いが常に身近に漂う次元世界<パラダイム>だった。武士たちは名誉のために、仏僧どもは信仰のために、百姓すら土地のために、毎日どこかで戦が起こった。
そんななかで、相撲取りとは奇妙な階級だった。神々に奉納するために、人々に見せるために、土俵へ登って戦う。命の奪いあいにはなり得ず、その手を血に汚すことはない。
娯楽の少ない田舎へ巡行すれば住民に歓迎され、勝利を飾れば喝采を浴びる。戦場に出ず、人を殺めることなく、それでいて食い扶持には困らず、下手な武芸者よりも尊敬を集める。
修羅道そのものと言ってもよいイクサヶ原において、人の道を生きることを許された、少なくともその可能性を与えられた相撲取りたち……だからこそ、師匠はくりかえし口にした。「人を殺すな」と。
「なに……いまのおれは、イクサヶ原の相撲取りじゃあない。グラトニア征騎士ってことよ!」
ぶんぶんと頭を振り、過去を追い払うように叫ぶと、ライゴウは現在に意識を集中させる。極限状態をまえに、時間感覚は限りなく停止に近いスローモーションとなる。
スモウレスラーは魔法少女の細腕を振りほどこうと、もう一度、両腕に渾身の力をこめる。できない。互いの背中同士が、磁石で吸い寄せあっているがごとく、密着したまま離れない。
ライゴウは少しばかり思案し、己を翻弄しているのが小娘の膂力ではなく、遠心力だと気づく。メロが中心点となり、スモウレスラーの身体は凄まじい勢いの回転に翻弄されている。
(なに……己の身体や相撲の技が使えずとも、『失落演武<フォーリンガン>』なら……ッ!)
自身の転移律<シフターズ・エフェクト>にすがろうとしたライゴウは、わずかに遅れて、それすら不可能だと悟る。
『失落演武<フォーリンガン>』は、空を飛ぶ相手を地に立つ自分の高さまで失落せしめる異能。己のほうが高所にいる場合は、想定の外。
悔しげに歯噛みしつつ、なおも状況の打開をあきらめないスモウレスラーの脳の奥から、ふたたび過去の記憶が染みだしてくる。
予期せぬ次元転移<パラダイムシフト>によってグラトニアの地に降り立ったライゴウは、当時の支配勢力だったセフィロト社に捕らえられ、地下闘技場の殺人エンターテイメントに送られた。
それからは毎日のように、自分が生き残るために人を殺した。人以外も殺した。グラトニア・レジスタンスによって解放され、征騎士となったあとは、さらに殺した。今日だけで、いったい何人殺したかすら、わからない。
──人を、殺すな。
在りし日の親方の声が、遠くから聞こえてくる。頭上には、目と鼻の先まで凍原の地表が迫っている。ライゴウは、自嘲気味に笑う。
「なに……失落したのは、おれだったってことよ」
人を殺してまで生にしがみついた自分が間違っていた、とは思わない。しかし、血にまみれて地獄を這いまわる己らを安全圏から見おろす輩──『失落演武<フォーリンガン>』で引きずり落とそうとした者たちと、いつのまにか自分は同じになっていた。
「──ラヴ・スパイラルッ!!」
少女の凛とした声が、凍原に響きわたる。ライゴウは、恐怖も無念も感じず、むしろ不思議な清々しさすら覚える。まるで、相撲部屋で一心不乱に稽古に励んでいた少年時代のような──
凄まじい衝撃に遅れて、轟音が鳴り響く。スモウレスラーの脳天が、地表に激突した。視界が暗転し、そのままライゴウは意識を失った。
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