【第2部28章】竜、そして龍 (7/8)【龍血】
【屈折】←
「こ……が……ぐうアッ!」
ヴラガーンは、苦悶の表情を浮かべる。一瞬、視界がホワイトアウトしかける。周囲の空気に低周波の振動が響くほどに、強く奥歯をかみしめ、意識を保つ。
「闘争は、正面からぶつかりあい、腕力で勝敗を決するものだろうが……! やはり、知恵比べのたぐいは好まん。女々しい連中のすることだ……ぞ!!」
めまいを覚えるなか、上空からの落下物にともなう気流が、暴虐龍の肌をなでる。人間態のドラゴンは、凍結した大地に張りついた足とひざを強引に引きはがすと、勢いよく前転する。
ずんっ、と音を立てて、巨大つららが地面に突き刺さる。ヴラガーンは、全身からしたたる龍血をくすぶらせながら、ゆっくりと立ちあがる。荒い息を何度もつけば、もうもうと白い煙が昇っていく。
「だが……まずいぞ。次は、どうする……?」
暴虐龍は、肩を上下させながら、自問する。さきほどまでは、頭上からの投下攻撃にのみ意識を払えばよい、と思った。しかし、いまの差しあいで、横からの強襲も人間態のドラゴンにとって致命傷になり得ることがわかってしまった。
人化していても岩山のような威容を誇るヴラガーンの体表ごしにダメージを与えるのは、容易なことではない。しかし、極寒環境で生成された刃は、暴虐龍の硬質のひ膚を十分に貫通できる強度を持ちあわせていた。
先刻の攻防でも、わずかに氷爪の先端がずれただけで、内蔵を串刺しにできていただろう。
ふたたび暴虐龍の頭上を旋回しはじめるプテラノドンは、人間態のドラゴンを360°から攻撃できる手段を持っていることになる。
「チイ……これでは、我慢比べどころではないぞ」
体力の消耗を最少におさえ、持久戦に望む……その選択は、相手の攻撃が同方向からのみで、防御が容易だという前提でのみ成り立つ。
全方位に注意を払わねばならないのであれば、省エネどころの騒ぎではない。ヴラガーン側からの攻撃手段がおぼつかない以上、最悪、なぶり殺しにされる可能性すらある。
「シュー、シュー、シュー……気に喰わん、気に喰わん……気に! 喰わんぞッ!!」
暴虐龍の胸中を満たしたのは、死に直面する恐怖ではなく、己のふがいなさに対する憤怒だった。組みあいを避け続ける女々しい相手への決定打を見いだせない、自身の惰弱さが許せない。
人間態のドラゴンは、ぐるぐると血走った眼球をまわす。全身に刻まれた傷がひらき、沸騰する血が流れだす。特に、氷爪にえぐられたわき腹のダメージが大きい。
「……ぬ?」
足元に視線を向けたヴラガーンは、ふと我にかえる。足元にしたたり落ちた沸騰する龍血は、じゅうじゅうと音を立てながら白銀の霜を溶かしている。
暴虐龍は、陽光の照りかえしに目を細めながら、凍結した大地を見まわす。これまでの戦闘で飛び散った己の血が、あちこちに赤い染みを作り、いまだくすぶり続け、白煙をあげている。
「オレの血が、凍っていないぞ……なぜだ? たしかにドラゴンの血は、ほかの生き物よりも、はるかに高温の液体ではあるが……」
人間態のドラゴンの眉間に、深いしわが刻まれる。歯車同士が噛みあいそうで、噛みあわないような、もどかしさと歯がゆさを脳の奥に覚える。
確かに龍の血は、マグマのごとく高熱だ。しかし、周囲を満たす空気も氷点を大きく下まわる極寒環境。凍りつかないほうが、おかしい。
そもそも発端となった異変は、ドラゴンすら足を止めるほどの熱波だった。それが瞬間的に冷却されて、いまの氷結する戦場となったはずだ。
「妙だ……おかしいぞ」
そういうものだと思いこんでいたが、『温度がひっくり返ったような』周囲の極低温のなかにいて、何故、ヴラガーン自身やプテラノドンは凍りついていないのか。
確かに、人間態のドラゴンとて、かじかむような寒さに現在進行形でさらされている。それでも、周辺の空気の温度を一気に100℃を超えるほど引き下げながら、龍の血肉や臓物が氷結していない事実には、違和感がある。
「もしや、『生命』までは冷却できない、とでもいうのか? そして……」
あらためて暴虐龍は周囲を見まわす。己の傷から舞い散った血飛沫が、霜の大地に転々と赤い花を咲かせ、生きているかのごとく、くすぶっている。
「……魔術師どもは、龍の血を霊薬の材料に重宝している。それだけの力を、持っているということぞ。なるほど……翼龍モドキの転移律<シフターズ・エフェクト>においては、オレの血も『生命』だということか……?」
ヴラガーンの脳裏でなにかが、かちりと音を立てて噛みあう。人間態のドラゴンの眼球に、反撃の嚆矢を見定める光が宿る。への字に曲がっていた唇のはしが、自然と吊りあがる。
上空からの落下物の気配がある。いままでどおり、暴虐龍は長大な尾を振りまわして、粉砕する。しかし人間態のドラゴンは、もはや逃げまわるような真似はしない。
ヴラガーンは黙して、それでいて挑発するように、その場に2本の足で直立し、まっすぐと両腕を左右へ伸ばす。もっとも致命傷になり得る氷爪の斬撃を、誘う。
空のうえから、有翼恐竜の吼え声が響く。暴虐龍の挑発に応えるように急降下すると、氷の鏡とレンズで作り出した己の虚像とともに突っこんでくる。
「ふん……臆せず、誘いに乗ったことは、ほめてやるぞ。翼龍モドキとはいえ、わずかなりと龍の血を引いているということか……」
ヴラガーンとプテラノドンが、交錯する。有翼恐竜のうしろ足から伸びた鋭利な氷爪が弧を描き、人間態のドラゴンは一寸手前で上半身をひねる。
わき腹から肩口へ向かって、暴虐龍の胴体が逆袈裟の方向へ斬り裂かれる。ぱっくり開いた傷口から、沸騰するドラゴンの血が、噴水のように飛び散る。
ワニのように無表情なプテラノドンの顔が、にやりと笑ったように見える。対するヴラガーンもまた、異様ともいえるほどの壮絶な笑みを浮かべ、にらみ返していた。
→【威迫】