【第1章】青年は、淫魔と出会う (24/31)【起床】
【救出】←
「ここは……どこだ?」
青年は、うめきながら目を覚ます。彼が横たわっていたのは、いささか奇妙な場所だった。
まるで王侯貴族が使うような、豪奢な天蓋つきのベッドに青年は寝かされている。寝台が設置されているのは、円形の部屋の、その中央だ。
弧を描く壁沿いにはひとつ、大きめのソファがあり、そのうえに中身の詰まった買い物袋が放置されている。
部屋の形状と家具の配置も奇妙だが、より不可思議な痕跡が目につく。
壁にはいくつものひび割れ、砕かれた家具と食器が散らばり、床にしかれたじゅうたんは大きく引き裂かれている。まるで、何者かが暴れまわったかのようだ。
「誰か……いるのか?」
青年は、ベッドのうえからあらためて円形の部屋の様子をうかがう。少なくとも室内には、自分以外の人間の姿はない。
無人の部屋だろうか。だとしたら、誰が自分をここに寝かせたのか──青年は、眉間にしわを寄せて、思案する。やがて、もっとも重要な疑問にたどりつく。
「……俺は、誰だ?」
青年は、自問する。答えを返す者は、いない。自分が何者なのか、どうにか思い出そうとする。脳裏に浮かぶ記憶は、いずれも曖昧で判然としない。
実感の伴わない風景がフラッシュバックするなか、青年は、ひとつだけ深い実感を伴った思考をつかみ取る。
「俺は……どこかに、戻ろうとしていた。戻らなければ、ならない」
それは、どこか。答える者は、いない。青年自身の記憶すら、肝心の答えを返さない。それでも青年は、己の記憶のなかをまさぐり続ける。
「……蒼い星」
ぼそりとつぶやくように、しかし確かめるように、青年は独りごちる。
そのとき、青年はどこからか水粒がしたたり落ちる音に気がつく。円形の部屋には、いくつか開け放たれたドアがある。部屋の外、廊下の向こうからか。
やがて部屋のそとから、ぺたぺた、と裸足の足音が近づいてくる。開けっ放しのドアのひとつから、足音の主が部屋に入ってくる。
青年は、上半身をもたげ、扉のほうを振り仰ぐ。
「ん。目、覚めたの?」
足音と声の主は、女性だった。
無防備にもバスローブを羽織っただけのシャワーあがりと思しき女は、青年を一瞥すると、気にする様子もなく天蓋つきベッドのわきを横切っていく。
青年の鼻腔を、花畑にいるかのような香りがくすぐった。
「ここは、どこだ? おまえは、だれなんだ?」
青年は、バスローブの女に尋ねる。女は、答えることなく、壁沿いのソファのうえ、買い物袋の横に、勢いよく身を沈める。
「あー……疲れた! 間違いなく、今日だけで三ヶ月分の労働だわ……」
バスローブの女は、買い物袋の中身をまさぐると、ファッション雑誌を取り出す。青年の視線も気にとめず、脚を組み、ページをめくる。
バスローブの合わせ目から、張りの良い艶やかな太ももが露わになる。その奥からのぞくヒップには、下着の類を身につけていない様が見て取れる。
胸元からぞくバストは大きく実り、顔立ちも整っている。ただ、エメラルドを思わせる色合いの目元のしたには、くぼみのようなくまができている。
「男のまえで、そんなあられのない格好をするのは、どうなのか?」
青年が問いかけると、バスローブの女は、じろりと、にらみかえす。
「他人のことを言うまえに、まず、自分のなりを確認すべきだわ」
女性に言われて、青年はあらためて自分の身を確認する。寝具におおわれていた自分の肉体は、一糸まとわぬ全裸の姿だったことに、はじめて気がつく。
「とりあえず、あなたはシャワー浴びてきなさい! そのあいだに、なにか着るものを用意しておいてあげるから……ああ、あとでシーツも取り替えないと」
バスローブの女が、首にひっかけていたバスタオルを投げつける。青年は、それをキャッチすると、寝台から降りつつ、自分の腰に巻き付ける。
あらためて女のほうを見ると、ファッション誌に視線を落としながら、部屋の対面を指さし示している。指の先には、女自身が入ってきたドアがある。
青年は、バスローブの女が指し示す通りに扉をくぐり、廊下へと出た。
→【入浴】
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