【第2部31章】落ちてくる、この空の下で (15/24)【臨界】
【堅忍】←
──オオォォォ……ンッ!
次元世界<パラダイム>そのものが鳴動するような音を立てて、『塔』全体が本格的な崩壊を始める。壁面の部材が剥離し、『伯爵』へ向かって倒れこんでくる。
あまりにもスケールが大きすぎて、遠近感がつかめない。伊達男自体、崩落の開始を、なんらかの錯覚かと思ったくらいだ。
大小様々のがれきが重力フィールドに引っ張られて、地面に叩きつけられていく様を目の当たりにして、ようやく『伯爵』は事態の進展に実感を持つ。
「……ふんッ!」
髭の乱れた伊達男は、右人差し指と中指で挟んだ『塔<タワー>』のカードをひっくり返す。重力フィールドの引力が反転し、斥力フィールドとなって『伯爵』を包みこむと、落下物と土煙から能力主の身を守る。
超巨大建造物の内側に潜りこんでいったヴラガーンの身を、一瞬、髭の乱れた伊達男は案じる。人智を越えたドラゴンの力を眼前で見せつけられたことを思いだし、すぐに考えを改める。
「あの龍に限っては、心配なぞ、かえって無礼になるだろう。それよりも、いまは……CQ、CQ。こちら、『伯爵』! ドク、聞こえているかねッ!?」
伊達男は、導子通信機に向かって、がなり立てる。斥力フィールドの周囲をおおい、完全に視界をふさいでいる土煙のごとく、ざりざりと砂嵐のごとき音しか返ってこない。
「ふむ……建設がモーリッツの手によるものならば、当然、『塔』も導子技術の塊であるはずだ。通信機と、なんらかの干渉を起こしても不思議ではないかね……」
なにも見通せない、煙幕におおわれた空を『伯爵』は見あげる。一瞬だけ、逡巡するも、すぐに瞳に決意の光を宿す。
「正直なところ……我輩、過労死の心配をせねばならないレベルで、魔力が枯渇しているのだが! いまは1秒の躊躇でも、状況が変わりかねないかね……『促成』の、樹術ッ!!」
髭の乱れた伊達男の詠唱に応えるように、足元から1本の樹が生えてくる。蛇のごとくのたうつ幹は、『伯爵』の足場となって、数十メートルを一気に上昇する。
急伸長する樹のうえに乗って、大地全体をおおっているのではないかと思うほどのぶ厚い土煙の層から、髭の乱れた伊達男は抜け出す。
眼下の視界を遮る微粒子の波のなかに、巨大な影が映る。難儀そうに黒焦げの双翼を羽ばたかせて、ゆっくりと浮上してきたのは、暴虐龍だ。
『シュー、シュー、シュー。なんだ、この砂埃は……気に喰わんにも、ほどがあるぞッ!』
「ヴラガーン! 無事だったかね!?」
『オレを誰だと思っているぞ、貴族かぶれ! それよりも、この有様はなんだ!?』
「軌道エレベーターサイズの超巨大建造物が崩落したのだ。体積的に考えて、この程度の土煙が発生しても不思議ではないかね……」
『……気に喰わんぞ! わかっていたのなら、さきに言わんかッ!!』
頼れる協力者の安泰を確認した『伯爵』は、あらためて周囲を見まわす。超巨大建造物の余波で、地表は一面、黄土色の噴煙におおわれている。
間違いなく、『塔』は崩壊した。ときおり巨大な建築部材が、ゆっくりと思い出したかのように地面へ向かって落下して、土煙の海原に沈んでいく。
髭の乱れた伊達男は、導子通信機に耳をそばだてる。ドクター・ビッグバンからの応答は、まだない。
「ふむ……ドクに限って、脱出しそびれるような下手を踏むとは、思えないが……ときに、ヴラガーン。なにか、違和感のようなものは覚えないかね?」
『こんなときに、何事を聞くぞ……妙に、身体が軽い気はするが……』
「ふむ、ふむ……やはり、そういうことかね……」
『勝手に納得するな、貴族かぶれめ! オレにもわかるよう、かみ砕いて説明しろッ!!』
暴虐龍は長い首をめぐらせ、巨岩のごとき瞳を見開き、伊達男の顔をのぞきこむ。人間はおろか、並のドラゴンでもすくみあがるひとにらみを受けて、なお、落ち着いた表情の『伯爵』は顔をあげる。
「我輩、旧セフィロト社に在籍していたころ、重力フィールドを武器としていた時期が長かった故、気づいたのだが……貴龍、見えるかね?」
髭の乱れた伊達男が見据えるのは、崩れゆく『塔』の天頂だ。ヴラガーンの視線も、つられて上方を向く。
完全に崩壊した地表の基部から、幾本もの亀裂が頂上へ向かって走っていく。しかし、高度が増すほどにスピードは遅くなり、建築部材の粉砕速度も鈍くなる。
壁面の割れ目の上昇が、やがて止まる。超巨大建築物は、中腹付近までは完全に脱落しながらも、いまだ上層部は形状をとどめたまま、宙に浮かんでいる。
『なんぞ、これは。根本を失って、なぜ立ち続けている……大規模な魔法<マギア>でも、かけているのか?』
「いや、おそらく……魔法<マギア>でも、技術<テック>でもないかね。我輩のカンだが……天と地の引力が釣りあい、無重力状態が発生している可能性が高い!」
『伯爵』は、背伸びをすれば頭をぶつけてしまいそうな錯覚を覚える閉息感に満ちた空をにらみつけながら、歯ぎしりする。導子通信機を再起動し、ドクター・ビッグバンの応答を乞う。
「CQ、CQ……ッ! ドク、これはどういうことかね!? グラトニアの地に、いま、なにが起こっている!!」
『──なんとなればすなわち……引き寄せられ、落下してくる次元世界<パラダイム>群と、グラトニアそのものの重力が干渉しあっている結果と考えられるかナ』
通信が、復旧した。若干ノイズが混じるが、伊達男の友人である白衣の老科学者の声が耳道に響く。
スローモーションのような速度で落下するがれきの狭間を縫うように飛翔する、蒼碧の輝きの軌跡が見える。ドクター・ビッグバンが言っていた、回収部隊とやらか。
「やはり、か……しかし、ドク! 見ての通り、『塔』の破壊には成功した……大規模次元融合は、停止するのではないかねッ!?」
脈拍の上昇と、血の気の引く悪寒を覚えながら、『伯爵』は通信機に向かって、がなり立てる。通信機越しの老科学者の声が、一瞬、沈黙する。
『……臨界点を、突破された可能性があるかナ』
老科学者が、抑揚のない声で応答する。髭の乱れた伊達男は、めまいを覚える。通信内容は聞こえずとも、ただならぬ『伯爵』の様子に、ヴラガーンが息を呑む。
「もはや……為すすべはない、と? 我輩の故郷、ユグドラシルも……長き雌伏の時を越えて、ようやく復活を遂げたというのに……グラトニアに呑みこまれるのかね?」
『まだ、確定したわけではないかナ……至急『シルバーブレイン』に帰投し、状況の確認と、必要に応じた対抗策の算出を試みる!』
風切り音に混じって、どこか強がるようなドクター・ビッグバンの声が、通信機から響く。肩を震わせる伊達男は、高々度に浮かぶ銀色の船影に向かって、蒼碧のラインが一直線に伸びていく様を見た。
→【増進】
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