【第2部21章】蒸気都市の決斗 (8/8)【救済】
【勝機】←
「あガ……ッ!?」
ジャックはうめき、身をのけぞらせながら、硬直する。濡れそぼったフリルワンピースの征騎士が、激しく雨粒のたたきつけるアパートの屋根から踏み切ることはなかった。
泥にまみれ、血のにじんだニーソックス越しに、なにかがふくらはぎへ牙を突きたてている。白銀の鱗を持つ蛇毒蛇<バジリスク>だ。
琥珀色の瞳を持つ大蛇の牙から、濃い魔力を帯びた毒液が華奢な征騎士の体内へと注入する。咬み傷から、ジャックの細い脚が見る間に大理石と化していく。
「むー、なんだよ……あの亜空間から、召喚獣を外へ持ち出せたの……ちょっと、ズルくないかな?」
下半身が石像化し始めている征騎士は、難儀そうにミナズキのほうを振りかえる。不格好に背筋をのけぞらせながら、巫女装束のエルフは、にやりと笑う。
「いえ……月詠祭壇<ムーンライト・シュライン>の内部で召喚したものは、外部へ連れ出すことはできませんよ……?」
「むー、む、む……それじゃあ、なんで……」
ジャックは、苦悶の表情を浮かべる。へその下まで大理石化が進行し、体勢を変えることすら難儀になっている。
「この蛇毒蛇<バジリスク>は……はじめから、此方が召喚したものでは、ありません……龍皇女陛下が呼び出し、別れ際に託してくださったものです」
ミナズキは、かろうじて動く利き腕を伸ばして、白鱗の大蛇の尾を撫でてみせる。
徐々に全身の硬化が進行していく征騎士は、声を出そうとして、ひゅうと苦しげな息を吐く。おそらく、体内では横隔膜のあたりまで大理石化しているのだろう。
「……やだなあ。恋っていうのは、あんまり楽しくてさ……お手柄あげて、陛下にほめてもらって……フロルくんのこと、許してもらおうかな、って思って、いた、のに……」
征騎士の細い首の付け根まで大理石と化しているのが、ミナズキの目にも見て取れた。腰をひねった体勢のまま、ジャックの身のバランスが、ぐらりと崩れる。
純白の彫像と化したフリルワンピースの征騎士は、ボロアパートの屋根から落下し、人通りのなくなった往来へと雨粒とともに勢いよく叩きつけられる。
巫女装束のエルフからは死角となっていて仔細は見届けられなかったが、陶器の粉々に砕けるような音が、濡れたストリートに響きわたる。
「──きゃあ!?」
寂静感にとらわれる間もなく、ミナズキは悲鳴をあげる。背骨に沿って埋めこまれていた『発条少年<スプリング・ジャック>』が解除され、巫女装束のエルフののけぞりが勢いよく元に戻ると同時に、身体は不自然にバウンドする。
雨水の流れで滑りやすくなった屋根のうえを、ミナズキの軽い体躯は、ごろごろと転がっていく。とっさの反応をする余裕もなく、征騎士のあとを追うように落下する。
龍皇女はもちろん、身軽なメロならば、悠々と着地してみせるほどの高さだ。しかし、もとから身体<フィジカ>能力に劣り、さらに手負いのミナズキは致命傷をまぬがれ得ない。
(このほうも、詰めが甘い……いえ、それだけ相手が手強かった、ということかしら)
巫女装束のエルフは、どこか他人事のように胸中で独りごちる。死力を尽くした結果だ。ならば、やむを得ない。死をまえにして、奇妙な安堵感を覚える。
(ただ……心残りがあるとすれば……)
相手……ジャックは、征騎士という初めて聞く肩書きに『序列9位』と付け加えていた。この数字に意味があるならば、ミナズキが相手取った以上の強者がグラトニアには待ち受けていることとなる。
(龍皇女陛下、メロ。それに……アサイラさま……どうか、御無事で……)
地面への衝突が近い。ミナズキは遺言のようにつぶやくと、覚悟を決めて目を閉じる。
「クアックアックアッ! ギリギリセーフってやつだねえ……げふうっぐ!?」
しわがれた女の声が聞こえる。巫女装束のエルフは、何者かに抱きかかえられて、そのあとストリートの水たまりに突っこむ。全身は泥まみれになったが、地面に激突したさいの痛みはない。
おそるおそる、ミナズキはまぶたを開く。そこには自分を救出し、勢い余って転倒した初老の大柄な女性の姿があった。征騎士を蒸気銃で撃ち、自分に勝機をもたらしてくれた、あの人だ。
「……貴台は? なぜ、此方を?」
巫女装束のエルフは、目を丸くしながら尋ねる。初老の女は、深いしわの刻まれた顔に、にいと笑みを浮かべる。
「あんた、メロの友達だろ? 白銀のドラゴンの背中に一緒に乗っているのが見えた……いや、ドラゴンが光り輝いたり、翼が6枚もあったりするわけないねえ……ということは、あれはやっぱり天使さまか」
「シスター・マイア! 悪者は、やっつけた!?」
近くの教会の大扉が開かれ、なかから心配そうな表情の子供たちが顔を出す。
「皆、ケガ人だよ! 水と救急箱を、早く持ってきておくれ!!」
大柄な女の一声で、子供たちはきびすを返し、一斉に礼拝堂のなかへと駆けこんでいく。
「貴台が、シスター・マイア……メロが、よく名前を口にしてました……」
「クアックアックアッ! ほら、間違いなかった。こちとら、こう見えて人を見る目には自信があってねえ……悪者も、向こうで間違いなかったってわけだ。まったく、メロの偽物みたいな格好して……ん?」
シスター・マイアが、ミナズキの耳に目を留める。巫女装束のエルフは、種族的特徴である長耳を反射的に両手で隠し、初老の女は優しくその手を除ける。
「この長い耳……もしかして、あんた、妖精さんかい? 天使さまに、妖精さん……メロは、ものすごい冒険をしているんだねえ」
慈愛に満ちた声音で、初老の修道女は感慨深く嘆息をこぼし、節くれ立った指先でミナズキのとがった耳の先端を愛おしげに撫でる。
「シスター・マイア! 水と救急箱の用意できたよ!!」
教会の扉のすきまから、ひょこっと子供たちが顔を出す。名前を呼ばれた大柄な女性は、勢いよく振りかえる。
「よおし、扉を開けておくれ! この妖精さんを、礼拝堂へ運ぶよ!!」
「妖精さん!?」
「妖精さんなの!!」
子供たちの元気な声が、『街区』のストリートに響く。シスター・マイアは、ミナズキの身体を軽々と持ちあげる。いまや雨は止み、灰色の雲のすきまから陽光が差しこんできた。
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