【第2部31章】落ちてくる、この空の下で (19/24)【輝跡】
【天地】←
「なんだい、ありゃあ……」
修道服を身にまとう大柄な初老の女性が、蒸気自動車のハンドルを切りつつ、急ブレーキを踏む。ただでさえ舗装されていない荒野を走っていた車体が、大きく揺れる。
助手席に座る孤児院の少年の抗議を無視して、運転手の女──シスター・マイアは、フロントガラス越しに目を凝らす。
地平線の果てから、アメジストのような輝きを放つ光点が、空に向かって昇っていく。まるで、流れ星の天地を逆にしたような光景だ。
「50年は、生きてきたが……こちとら、まるで見当がつかない、初めて見るシロモノだねえ……妖精さん、なんだかわかるかい? 左向きにまわる空は、凶兆だ、って言っていたが……」
シスター・マイアは、運転席から背後をあおぐ。後部座席には、孤児院の少女に応急処置を受けながら横たわる、巫女装束のエルフ──ミナズキの姿がある。
そもそも、シスター・マイアと彼女の運営する孤児院の少年少女は、重傷を負った状態でミナズキを保護した。安静にしていろ、という忠告を固辞し、龍皇女とメロのあとを追うよう懇願したのは、巫女装束のエルフのほうだ。
ミナズキは、難儀そうに顔をあげると、グラトニアの端の空を見あげる。その口元に、弱々しく微笑が浮かぶ。
「……吉兆です。それも、とびっきりの」
巫女装束のエルフがそうつぶやいたとき、メロは天頂へと昇っていく流星を、ライゴウとともに永久凍土の雪原のうえで見た。
少しまえまで敵として対峙し、命のやりとりをしていた魔法少女とスモウレスラーは、いま、並んで白銀の大地のうえを歩いている。
「……ライゴウおじさん、いまの見えたのね?」
「ああ、見えるにゃ見えたが……嬢ちゃんにやられた首が痛くって、頭をあげられないってことよ……」
よろめくライゴウをメロが支えながら、ふたりは黙々と雪原に足跡を刻み続ける。
「なに……負けちまった征騎士に、もはや、なにが起ころうと関係ないってことよ。それよりも……早く、こんな雪国からグラトニア本土に戻らにゃあ、嬢ちゃんが風邪引いちまう」
「もう、おじさんのほうが、なんでメロの心配しているんだか……これじゃあ、どっちが勝ったんだかわかんない……本当、あきれるくらい頑丈な身体。イクサヶ原の人って、皆、そうなのね?」
「応。そのなかでも相撲取りは、とびきり頑丈だ……それを負かしたんだから、嬢ちゃん、大したものってことよ」
重傷を負ったライゴウと方角を見失ったメロは、互いを見捨てることができずに、奇妙な同行者となってグラトニア本土を目指す。
そのころ、ナオミとシルヴィアは帝国軍のジープを奪い、別働していたリンカとも合流して、一路、『塔』へと車を走らせていた。
「どうだ、リン。ウチの相棒は、治りそうか? 敵の本陣についたら、もう一働きしてもらわなきゃならないだろ」
「さもありなん、アタシはカラクリやら蒸気機関やらは門外漢なのよな……まあ、コイツは鎖が絡まっているだけだが、どうすりゃこんだけ葛か藤のツタみたいに絡まるんだか……」
ハンドルを握るナオミが、アクセルを緩めることなく荒野を突っ切るなか、後部座席ではリンカがフルオリハルコンフレームのバイクと向き合っている。魔銀<ミスリル>の鎖が、複雑怪奇に車輪とかみあって、とうてい動きそうにない。
「ナオミ……いまの、見えたのだな?」
先の戦いで体調不良に陥いり、ぐったりと助手席の背もたれに身を預けていたシルヴィアが、小さくつぶやく。すぐとなりで、赤毛の運転手がうなずく。
「ああ……確かに、見えただろ」
「のんべんだらり……こんなときに、なにがあったのよな?」
フロントシートのふたりの会話を聞いた灼眼の女鍛冶は、頭をあげ、はっと息を呑む。重苦しい、まるで落ちてくるような左回りの空の中心へ向かって、紫色の輝きが昇っていく。
同時刻、グラトニアと次元融合したアストランの境界地帯では、激しい砲撃の音が響きわたっていた。
グラトニア帝国軍の激しい掃討に追い立てられていたアストランの戦車団たちは、マム・ブランカの到着と同時に統制を取り戻し、反攻に打って出た。
普段はいがみあっていた勢力たちが手を結び、連携し、鋼野の無法者どもは、ついに帝国の地上部隊を撤退まで追いこんだところだった。
『──マム! うえをッ!!』
「帝国の連中が、航空戦力でも持ちだしたか!? だったら、腑抜けどもは下がりな……『スカーレット・ディンゴ』が、引き受けるッ!!」
友軍からの通信を受けて、マム・ブランカはがなり声で返事をする。有力戦車団『ドミンゴ団』の頭領である初老の女戦車乗りは、状況を確認しようと、愛車『スカーレット・ディンゴ』のハッチを開けて、肉眼で上空を仰ぎ見る。
そこで、マム・ブランカは我を忘れる光景を見る。はっきりと昇りいくアメジスト色の光点が、いままさに天の中心へと至ろうとしていた。
「……みんなッ!」
見張りを務めていた若い戦乙女が、地下室のなかをのぞきこみ、声をかける。場所は、インウィディアの凍原に墜落した牧場の浮き島、その地下室だ。
ドヴェルグたちの執拗なヴァルキュリア残党狩りから逃れて、弱々しく身を寄せあるけが人たちのなかから、牧場主であるシェシュとエグダルの夫婦が立ちあがる。
「外! なにがあったの!!」
「ドヴェルグたちが、攻めてきたんも!?」
「そうじゃないんですけど、天の様子が……」
要領を得ない見張りの言葉を聞いて、ヴァルキュリアとドヴェルグの夫婦は階段を駆けのぼり、空を見あげる。
昼間にも関わらず、はっきりと視認できる紫色の光が天頂へと至り、ひときわ大きな瞬きを放った。刹那、ゆっくりと左向きに回転していた空は、たがが外れたかのように右巻きへと動きを逆転させる。
牧場主の夫婦は、見たことも聞いたこともない光景に言葉を失う。ひとり、またひとり、と地下室のなかから避難民が出てきて、空の様子を確かめる。あまりに重々しく超常的な天の有り様に、誰からともなくひざまづき、祈りはじめた。
『たたっよたったた……導子圧の急速な低下を確認……各種パラメータ、正常値へと遷移を開始……アサイラお兄ちゃん! 大規模次元融合の阻止作戦、成功ということね!!』
「……そう、か」
すべての爆心地、グラトニアの中心に鎮座したいた『塔』の残骸のなかで、アサイラはうめく。導子通信機の向こうから、次元巡航艦のブリッジに響く快哉が聞こえる。
黒髪の青年は宙に漂いながら、なにか言葉を紡ごうとして、しかし、かなわない。全身は、文字通りぼろ布のようになり、ひどい痛みと疲労感で指一本動かすことすら難儀なありさまだ。
アサイラの眼前の光景が、かすみはじめる。重力の中和が解消され、浮遊していたがれきが、大地へ向かって引っ張られていく。黒髪の青年の肉体もまた、本来の物理法則にしたがって落下していった。
→【崩怪】
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