【第2部31章】落ちてくる、この空の下で (18/24)【天地】
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「ぐ、ぶァ……! なにをした、愚者め!?」
持ち主の意志に応じて縦横無尽に張り巡らせた蒼銀の糸が、暴君の全身に巻きついている。腕の、脚の筋肉をどれだけ盛りあげようと、引きちぎれない。
「神さま、なんだろ? 俺に聞くまでもないんじゃないか、裸の王さま。人智を超えた力とやらで、ふりほどいてみろよ」
アサイラの拘束など、誤差程度の意味すら持たないと思っていたのだろう。にもかかわらず脱出のかなわないグラー帝の顔は、怒りと困惑と苛立ちがないまぜとなり、表情が歪む。
もっとも、拘束は無力と考えていたのは、黒髪の青年にしても同様だ。それが、どうだ。ララの示したプロトコルに従ったいま、暴虐的な力を振るう偉丈夫は、上下からからみつく糸に縛りあげられ、その四肢は微動だにしない。
嵐のような厄災であろうとも、次元世界<パラダイム>の悪意であろうとも、人は戦える。ともすれば、それが宇宙であろうとも──アサイラは武者震いを覚えながら、柄だけの『龍剣』を握りしめる。
「余の問いに、答えよ。愚者め……! これは、グラトニア皇帝直々の、一言以ておおうならば、詰責であるッ!!」
「愚者呼ばわりする相手から、教えを乞おうなんざ、どうかしているとは思わないのか。裸の王さま? まあ……説明してやるよ、ララの受け売りだがな」
アメジストの輝きを放つ瞳が眼孔からこぼれ落ちるのではないかと思うほど、目を見開いた専制君主の様子を、もったいぶった言葉まわしを口にしつつ、黒髪の青年は仔細に観察する。
アサイラの視覚は、精神の経路<パス>によってリーリスと共有されている。ゴシックロリータドレスの女を経由して、リアルタイムで『シルバーブレイン』に情報が送られ、いま、作戦決行のための最終調整が行われているはずだ。
「ラグランジュ・ポイントっていうのか? いままさに空から落ちてくる次元世界<パラダイム>たちと、グラトニア自体が持つ引力……そのふたつが、おまえのいる場所で、ちょうど釣り合い点になっている。世界そのものの力で締めあげられている、ってところか」
黒髪の青年は、左手の人差し指で、まっすぐグラー帝を指さす。手足を縛りあげられた偉丈夫の額に青筋が浮かぶ、おそらく拘束を破ろうと、持てるかぎりの膂力を振り絞っている。それでも、蒼銀のワイヤーからの脱出はかなわない。
自分の能力ながら、恐ろしく頑丈な糸だ。次元巡航艦のブリッジにいる少女が言うには、『星辰蒼尾<ソウル・ワイアード>』の強度がなければ、この作戦は実現しなかった。
なにかひとつでも、ピースが欠けていたら──アサイラが、龍剣解放に至らなかったら。覚醒しても、違う能力だったら。『魔女』か、生き残りの征騎士に妨害されたら。ラグランジュ・ポイントが少しでも、ずれていたら。
針の穴を通すような無数の可能性を重ね合わせた、この『解』へは到達できなかった。
「ともかく、裸の王さま。おまえの身体は、次元世界<パラダイム>たちの力によって、天と地から縛りあげられている。世界と同化した相手を封じるなら、世界そのもの重さを使う……ってわけか」
「……一言以ておおうならば、戯れ言である! たとえ事実であろうとも、すぐに釣り合い点の三次元座標は移動し、余の構成導子量も増大する……いままでの時間稼ぎと、なにも変わらぬッ!!」
拘束からの脱出がかなわないグラー帝は、鼻息荒く、アサイラに対して声を張りあげる。痛みを覚えるほどに鼓膜を揺らされながら、黒髪の青年は暴君に対して冷ややかな視線を向ける。
「そうだ、わかっているじゃないか。だからこそ……最後の仕上げを、手早く済まさせてもらうッ!」
『たたっよたた! パラメータの最終調整、完了……アサイラお兄ちゃん、こちらはいつでもスタートできるということね……シミュレーションすら抜きの、超ぶつけ本番だけど!!』
(グリン、こちらもオーケーだわ。あとは……アサイラがゴーサインを出すだけ!)
「だいじょうぶだ。ぶつけ本番なら、いやと言うほど慣れている。よし……行くかッ!!」
導子通信機からのララの声と、脳裏に直接響くリーリスの言葉に、アサイラは同時に返事をする。宙に浮く黒髪の青年の身体が、びくんとのけぞる。得体の知れない不快感に、奥歯をかみしめる。
アサイラとリーリスのあいだに形成された精神の経路<パス>に、ドクター・ビッグバンが強引に導子ハッキングをしかけ、割りこんだ。
白衣の老科学者の肉体である『人間演算装置<マン・フレーム>』は、『シルバーブレイン』の制御コンピュータと直結され、この10分間、突貫で構築された導子プログラムを、直接、アサイラという存在そのものへインストールしていく。
「グヌ、ヌヌゥ……はあっ、はあ……ッ!」
金縛りにでもあったかのように身を硬直させていた黒髪の青年は、荒い呼吸をくりかえしながら、まえのめりになる。膨大な導子情報が、四肢はもちろん、己の身体の一部である『龍剣』の糸の末端までも染み渡っていく。
『インストール完了ということね! アサイラお兄ちゃん。気分は、だいじょうぶ?』
「最悪か……だが身体は動く、問題なく! 予定に変更なし、作戦続行だッ!!」
『了解ということね! 立体型導子スリンガトロン……遠心開始ッ!!』
顎を破壊するかと思うほどの力で歯ぎしりをするグラー帝をまえにして、アサイラの身体が縦方向へ回転を始める。黒髪の青年の両足首にからみついたワイヤーを巻きとる勢いで、見る間に速度は増し、少しずつ円運動の直径が大きくなる。
ララが即席で用意したものは、アサイラの『星辰蒼尾<ソウル・ワイアード>』を特定の形状に変化させ、制御するためのプログラムだ。これによって、本来であれば持ちこむことすら困難な巨大遠心機が、瞬時に戦場で展開された。
「なにを、している……愚者め! とるに足らぬ、蛮人どもめッ!!」
偉丈夫の怒鳴り声に、バケツの水に一滴ほどのおびえの色が混ざる。専制君主の疑問に答えるように、高速回転するアサイラの通信機からララの言葉が響く。
『ララたちは、皇帝をやっつけるだけじゃなくて、落ちてくる次元世界<パラダイム>を押し返さなくちゃいけない。ふつうだったら、同等の質量体……世界の重さなんて用意できないけど、いまは目のまえに、ちょうどいいオブジェクトがあるということね!』
舌をかまないか心配になるほど、少女の声が早口に告げる。緊張の色が、隠せない。おそらく確認のため、自分自身に言い聞かせている。
いま、アサイラとララは、リーリスとドクター・ビッグバンによって中継され、回転速度、遠心半径をはじめとする各種パラメータを共有し、精密に調整し続けている。
『……すなわち、グラー帝! 融合した次元世界<パラダイム>と同じ構成導子量になるのなら、それをそのまま落下する世界を押し返すための弾体として使っちゃえばいい、ということね……遠心力を利用したマスドライバー、スリンガトロンでッ!!』
「だってさ、裸の王さま……といっても、導子通信の内容までは聞こえようもないか。自称、神さま、なのにな」
黒髪の青年の声が、ドップラー効果に歪んで響く。超音速を超える遠心速度で回転する状態で、アサイラの視力は、すでに用をなさない。
ただ、いまだグラー帝が必死にもがき続けている感触が、蒼銀のワイヤーを通じて伝わってくる。何本か、糸を引きちぎられた。ラグランジュ点が、ずれつつある。暴君自身の腕力も、相変わらず増大を続けている。
「間に合え……ッ!」
『……間に合う! 絶対にッ!!』
アサイラの祈るようなつぶやきに、精神のリンクの向こう側にいるリーリスの思念が、導子通信機でつながっている次元巡航艦のブリッジのララ、ドクター、アンナ、フロルの声が、合唱となって返事をする。
黒髪の青年は、脳へとダイレクトに伝達される電子情報から、回転速度、遠心力の双方が、計算上の最大値へと到達したことを知る。肉体がグラー帝の真下へ至ると、導子プログラムの導くまま、急上昇の軌道へ入る。
「余は……! 余はッ!! グラトニア帝国皇帝、グラトニオ・グラトニウスであるッ!!!」
「ウラアアアァァァァァ─────ッ!!!」
アサイラの雄叫びが、偉丈夫の怒声を打ち消す。天へと昇る龍のごとき垂直方向の蹴りが超音速で放たれ、専制君主の肉体を捉えた。
→【輝跡】
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