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【第15章】本社決戦 (10/27)【窮鼠】

【目次】

【遅馳】

「人の心を、幻覚で支配するように……視線で、魔法文字<マギグラム>の機能を乗っ取ったというのかね!? まるで、ハッキングのように!!」

「……ほんの、少しだけだわ」

 慌てて『伯爵』は、右手に持つ漆黒の札を、ダストシュートの底へと投げ捨てようとする。だが、スーパーエージェントの反応よりも、異変の発現が速い。

「うグ……ッ!?」

 燕尾服のスーパーエージェントがうめく。黒い符から、たくましい青年の腕が伸びてきて、蝶ネクタイごと首を鷲づかみにする。

 ぐにゃり、と空間が歪むように、漆黒の札の表面から、ここではないどこかに幽閉されていた男が這い出てくる。

 最初は、乱れた黒髪の頭部、次にしわだらけのジャケットをまとった胴体、最後に破れめだらけのジーンズをはいた両脚が、現出する。

「ウ、ラアッ!」

「……ごブッ!?」

 目を血走らせたアサイラは、力任せに『伯爵』の身体を橋梁に叩きつける。鉄板の足場に背筋と後頭部を打ちつけられた伊達男は、苦悶の表情を浮かべる。

 シルクハットが頭部から脱げて、橋のうえを転がる。『伯爵』の躯体は、バスケットボールのようにバウンドする。青年は、相手と足場の隙間にすべりこむ。

「こいつは……どうか! ヒゲ貴族!!」

「あグゥ、は……ッ!!」

 背後から、燕尾服のスーパーエージェントの首に両腕をからみつかせたアサイラは、そのままバック・チョーク・スリーパーの体勢にはいる。

 青年の膂力が万力のように、『伯爵』の気道と頸動脈をしめあげていく。カイゼル髭の伊達男の顔面が、酸素を奪われて、次第に青ざめていく。

「この密着状態でも、重力操作で俺をふっとばせるか? やってみろッ!!」

「ぐフ、むゥ……なるほど、そういう、ことかね。ならば……やむを、えん!」

 震える手で、『伯爵』は黒い札をつかみ、掲げる。アサイラは、力場の展開を警戒しつつ、なおも二の腕に力をこめる。首の骨のきしむ感触が、伝わってくる。

「開門、せよ……『重力符<グラビトン・ウェル>』ッ!」

 手にした召喚符に、持ち主が命令を告げる。青年は、いかなる衝撃がこようとも相手を離すまいと、身構える。

 だが、アサイラの眼前では、予期とは全く異なる光景が展開される。

 青年が漆黒の符から現出したときと逆再生するかのように、『伯爵』の手が、腕が、黒い札のなかへと、ずぶずぶと呑みこまれていく。

「……逃げる気かッ! ヒゲ貴族!!」

「『伯爵』と、呼び、たまえ。それはそうと……縁があったら、また、会おう!」

 ぐにゃり、と人体の形状がゆがむ。ジャッキのようにしめあげるアサイラの腕のなかから、ぬるりと首と頭部が抜けて、カードのなかへと吸いこまれていく。

 カイゼル髭の伊達男が消えたあとには、漆黒の符が一枚、橋梁のうえに残される。

 青年は反射的に黒い札に手を伸ばす。カードは逃れるように風に舞い、深淵に向かって落ちていく。

「……グヌぅ」

 その場で立ちあがろうとしたアサイラは、強烈なめまいに襲われ、一本橋のうえにひざをつく。意識が、もうろうとする。少しでも気を抜けば、失神しそうだ。

 撃退したとはいえ、『伯爵』との戦闘で負ったダメージと消耗は、あまりに大きい。

「アサイラ。だいじょうぶ……じゃ、なさそうだわ。あの『伯爵』を、あそこまで追いつめたんだもの。本当なら、大金星、ってところだけど……」

「あのヒゲ貴族が、目的じゃあない……折り返し点、ってところか?」

 もはや聞き慣れてしまった声に、青年は返事をする。ダストシュートの大穴のうえを、ふらふらと『淫魔』が飛んでくる。黒翼の女は、橋梁のうえに着地する。

「そう言うおまえは、どうなんだ。クソ淫魔?」

「私の消耗は、大したことないのだわ。カラダだけならね……で、実際のところ、アサイラのほうはどんな案配なわけ?」

「まだ、進める……と言いたいところだが、これは、無理……か」

 青年は、ひざをついたまま、悔しげに歯ぎしりする。ゴシックロリータドレスの女は、ふう、とため息をつく。

「……撤退のための『扉』は開けるか、クソ淫魔?」

「アサイラから、リタイアの話がでるなんてめずらしいわね……でも、無理だわ。『天球儀』を部屋ごと壊されちゃった。あれがないと、転移<シフト>はできない」

「そう、か……」

 深淵の闇に満ちた陥井のうえ、巨大な空間に沈黙が満ちる。アサイラと『淫魔』は、ともに、退くも進むもかなわない、手詰まりの状態であることを理解する。

 やがて、ばたばたと近づいてくる軍靴の音に静寂が破られる。一個小隊のセフィロト警備隊が、開け放たれたゲートから姿を現し、サブマシンガンを構える。

「フリーズ」

「あいつら、止まれ<フリーズ>、なんて言いながらトリガーに指かけているのだわ。殺す気満々じゃない」

「まあ……死体になれば動かない、か」

 ふたたび立ちあがろうとしたアサイラは、そのまま転倒して橋梁のうえにうつ伏せになる。『淫魔』は、青年をかばうように敵兵たちのまえへ歩み出た。

【到着】

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