【第2部5章】戦乙女は、侵略にまみえる (13/16)【逆転】
【再起】←
「あぎギがガ──ッ!?」
無理に体勢を維持しようとしたためかえってバランスを崩した甲冑男は、頭頂と足の裏を何度もひっくり返しながら、谷底の雪のうえを転がっていく。
「フウゥゥ」
対するアサイラは拳を突き出した姿勢のまま、静かに呼吸を整える。いわゆる『残心』というやつだ。
征騎士と呼ばれた男が十メートルほど離れた地点でようやく止まったころ、黒髪の青年はようやく拳をほどき、腕をひく。
「グッド……」
少し離れた場所でヒポグリフにまたがるナオミも、アサイラの所作に美しさを見いだし、一瞬、見惚れて動きを止めたほどだった。
赤毛の騎手が渡りあう甲冑兵たちは、指揮官格の男が雪のなかに倒れ伏したまま動かない様を見て、蒼然としている。
「……手応えあり、か」
アサイラは、小さくつぶやく。黒髪の青年が放った正拳突きの一撃には、自分でもわかるほどに間違いなく鋭さと精緻さがあった。
甲冑男に喰らわせた拳の衝撃は前面装甲を抜き、相手の胴体をつらぬき、全身鎧の背面部にまで到達した感触がある。
「あぎギ……がガッ!?」
征騎士と呼ばれた男はけいれんしながら、なんとか立ちあがろうとして、ふたたび雪だまりのなかにうつ伏せで倒れこむ。首が、あらぬ方向に曲がっている。
対峙する甲冑男にかまうことなく、アサイラは背筋を伸ばす。へその下、丹田の位置で、禅僧のように両手の指を組みあわせる。
「フウゥゥ……」
静かにゆっくりと、肺腑のなかに残っている空気を吐き出す。呼気を絞り出したら、今度は冷たい空気を吸いこんでいく。
肺がふくらみ、心臓が脈打ち、血液の一滴一滴が酸素を全身へ運んでいく。身体中の細胞が、活力を取り戻していく。
「フウウゥゥゥ……」
長いスパンの呼吸をくりかえしながら、黒髪の青年は先刻の差しあいで胴体に大きく刻まれた斬り傷に意識を向ける。
焼けつくような痛みと、いまだ止まらぬ出血を、どこか俯瞰しているように感じとる。まぶたを閉じ、決して浅いとはいえない傷口に感覚を集中する。
静かに息を吐き、ゆっくりと吸うをくりかえすうちに、潮のように痛みが引いていく。出血の勢いがおだやかになり、やがて止まる。
ともすれば激しい運動に伴って広がりかねない裂傷もまた、不可視の糸で縫合されるかのごとくふさがっていく。
アサイラは集中状態を維持したまま、意識を己の肉体そのものへと広げていく。自分自身という存在を、壷のような容れ物として認識する。
(からっぽ、か)
黒髪の青年は、胸中で小さくつぶやく。自分のなかが、ひどく希薄であることにいまさらながら気がつく。
リーリスやセフィロトの人間が『導子力』と呼ぶもの。龍皇女は『魔力』、ミナズキは『霊力』、リンカは『気』という言葉で指ししめしたもの。
すなわち生命のエネルギー、存在そのもの力が欠乏している。当然だ。セフィロト本社における決戦で、そのほとんどを搾りだしたのだから。
(ない袖は振れない……というやつか)
その通り、と白ひげの老師の応える声が聞こえたように思う。アサイラは、いままで「出そう」としていた『それ』を、「満たそう」とイメージする。
意識を集中する。自分という存在の奥底、ただ一点を直視する。やがて、泉がわき出すように存在する力が染み出し、自分自身に循環していく。
(よし……ッ!)
黒髪の青年は心のなかで肯首すると、目を開く。視線の先で、甲冑男が雪だまりのなかに倒れ伏したまま身悶えている。最低でも内臓破裂。それほどのダメージはある。
「あがガ……ゴべえッ!!」
吐血したと思しき赤い液体がフルフェイスヘルムのすきまからあふれ出し、白い雪のうえにこぼれ落ちる。それでも、甲冑男はひざ立ちになる。
アサイラは、油断なく両の拳を構えなおす。征騎士と呼ばれた男は、ふらつきながらも立ちあがる。あきらかにへし折れた首を、両手で無理矢理まっすぐ伸ばす。
「テメエな、どこまでふざけているのさ! 最初は手を抜いていたってのさ!? 急にギアあげやがって……オレな、死ぬところだっただろうがアッ!!」
「……死なないのか?」
激昂し声を荒げる甲冑男に対して、黒髪の青年を眉根をよせる。相手の吐いた血の量から察するに、あきらかな致命傷だ。しかも、首の骨もへし折れていた。
にも関わらず征騎士と呼ばれた男は、多少のふらつきはあるものの二本の足で立ちあがった。それどころか、元気に激しい怒声をがなりたてている。
「……ったく。グラトニア征騎士ともあろう者が狂人にナメられたとあっちゃ、腹の虫がおさまらねえ……本気出すなら、ほいさっさと最初からにしておくのさ!」
甲冑男は、破損していない側のヒートブレードの切っ先をアサイラに向ける。黒髪の青年は拳をにぎりしめながら、思考をめぐらせる。ようやく、それだけの余裕ができた。
(グラトニア……たしか、ここではない別の次元世界<パラダイム>の名前、か)
なるほど、リーリスの指摘したとおりセフィロト社の残党ではないようだ。
もっとも、これだけの規模の戦力をどうやって次元転移<パラダイムシフト>させたか、疑問は残る。当然、眼前の男の異様なタフネスに関しても。
(まあ、いい……あとで尋問すれば、すむ話か)
敵の数は、多い。一人二人ていどの捕虜なら得られるだろう。リーリスの能力に頼れば、相手の思考も読みとれる。
アサイラは、腰を落としつつ相手を見すえる。征騎士と呼ばれた男の兜のバイザー、その奥に仕込まれたカメラが再点灯の光を放つ。
「今度こそ……ほいさっさと死ぬのさ、狂人ッ!!」
よたつきながらも甲冑男は、パワーアシスト機能の助けを借りて黒髪の青年に向かって、雪のうえを駆けこんでくる。
アサイラは、迎え撃つように己も走りだそうとする。一歩踏み出したところで、動きを止める。
「……グヌ?」
上空からなにか別の……自分たちとは異なる第三者が接近してくる気配を、黒髪の青年は感じとった。
→【暗転】
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