【第3章】魔法少女は、霞に踊る (10/10)【都市】
【蒸気】←
「クソが! 重い……ッ!!」
ガードのうえからでも背筋まで貫くような回転リングの衝撃が、ダルクを襲う。あまりの威力に、一瞬、身体が浮かんだほどだ。
それでも紙一重で攻撃を耐えきったエージェントは、よろめきながら魔法少女のほうを振り返る。
ダルクを翻弄した円輪は、持ち主のもとには戻らない。魔法少女とエージェントの中間地点を隔てるように、回転しつつ、垂直に浮遊する。
メロは、廻るフラフープのなかを通して、敵を見据える。倒すべき、自分の力を向けるべき相手を一直線ににらみつけ、狙いを定める。
「……行くのよね」
己に言い聞かせるように小さくつぶやいた魔法少女は、空中浮遊するリングに向かって、まっすぐ走る。陸上選手のスプリントのように、加速する。
「ええーいッ!」
円輪の手前で、メロは跳躍する。少女の身体が、リングの内側を通過する。その瞬間、魔法少女の躯体に、縦方向のスピンと、前方向の加速度が付与される。
メロは、新体操の選手が飛ぶときのようにひざを曲げて回転する。さながら、大砲から撃ち出された弾丸のごとく、魔法少女は敵に向かって、飛翔する。
「な──ッ!」
予想外の攻撃を目の当たりにしながら、つば広帽子の男は、回避行動をとろうと試みる。そして、ダメージの蓄積を自覚する。肉体の反応が、遅い。
魔法少女砲弾は、もはや、目と鼻の先にまで迫り来る。
「ラヴリィ! メロディアス!! キィ──ック!!!」
メロは、回転したまま右足を伸ばし、かかと落としのごとき蹴りをセフィロトエージェントの延髄に叩きこむ。
「──グらオらばッ!!」
ダルク・ヴィニオは炸裂した衝撃に耐えきれず、隕石が落下するような勢いで、うつ伏せに倒れこむ。つば広帽子が宙を舞い、下水道の雨水の流れに呑まれる。
「あわわ……! 止まらなーいッ!?」
メロは、そのまま、勢い余ってレンガ壁に激突する。ようやく停止した魔法少女は、少しの間をおいて、頭を振りながら立ちあがる。
「……やった?」
「ああ、やったな」
めまいで視界もおぼつかないメロの問いかけに、アサイラの声が答える。少女の平衡感覚が徐々に回復し、視線の焦点も合ってくる。
トレンチコートの男は、石畳のうえに倒れて、気絶している。よろめきながら近づくアサイラは、その男を仰向けにひっくり返し、トレンチコートの内を探る。
やがて、アサイラは、男の懐から銀色に輝くプレートを見つけだすと、自分のジャケットのポケットにしまいこむ。
戦闘の高揚感が冷めてきたメロは、言いようのない罪悪感のようなものを覚え、アサイラから目をそらす。
それでも、大切なことは言葉にしなければ伝わらない、とそう思う。
「あの、アサイラさん……ごめんなさい。そして、ありがとう」
少女がふたたび顔をあげると、そこにはもう、迷惑をかけた自分を守り、助けてくれた黒髪の青年の姿は、幻のように消えていなくなっていた。
───────────────
「よいしょ……っと」
魔法少女からの変身を解除したメロは、いつもの下水道を通り抜け、マンホールから這いあがる。路地裏の廃アパートの隙間から、空を仰ぐ。
「……んっ」
夜は、もう明けていた。少女は、まぶしそうに目を細めると、双眸に手をかざす。厚い雲に裂け目ができて、珍しく太陽が顔を見せている。
メロは顔をあげて、しばらく暖かい陽光を身に浴びる。やがて、はっ、と目を開くと、自分がなにをしていたのか思い出す。
「早く、帰らないと……!」
少女は、狭苦しい路地裏から猥雑な往路へと出ると、走り出す。目覚めた往来には、多くの人々が行き交っている。
ここから蒸気都市内部の労働に向かう者、スラムである街区でありついた仕事に励む者、職と行き場を失いながら、街区に受けいられて命をつなぐ者……
メロは、出勤する人の隙間を縫うように駆け、ベルを鳴らす自転車を身軽にかわす。
なじみのパン屋のおかみが、少女を目に留めるも、すでに朝の買い物客があふれ、声をかけるには至らない。
「はあっ、はあ……っ」
息を切らしながら、メロは、孤児院のある教会へと急ぐ。やがて、通りに面した礼拝堂が見えてくる。正門の前には、見慣れた人影が立っている。
「……メロッ!」
修道服に身を包んだ大柄な女性──シスター・マイラが少女に気がつき、駆け寄ってくる。
シスターは、汗と泥と下水の臭いが染みついた少女の身体を、力強く抱きしめる。
「無事でよかったねえ、メロ……」
「ごめんなさい、シスター……心配かけちゃったのね」
「謝らなきゃいけないのは、こっちのほうだよ。あの展示会は、罠だったんだねえ」
少女を抱きいだく腕が、痛いほどに力をこめる。いまにも泣き出しそうなシスターの顔を、メロは久しぶりに見る。
と、シスターが、少女から顔を離して、目を丸く見開く。思わずメロは、相手を見つめかえす。
「メロ。もしかして、あんた……女になったかい?」
「な、なな……なんのことなのね!? シスター!!」
シスターの問いかけに、メロは顔を真っ赤にして反論する。
「クァックァックァ! まあ、無理に聞くようなことじゃあないんだねえ!」
聞き慣れた豪快な笑い声が、シスター・マイラの腹の底から響きわたる。メロは、頬を膨らませて、口をぱくぱくさせるが、言葉にならない。
「メロお姉ちゃん! 帰ってきたんだね! みんな、心配していたんだよ?」
礼拝堂の正門から、ひょこっ、と孤児院の子供の一人が顔を出す。シスター・マイラが、慌てた様子で振り返る。
「ちょっと、あんた! 先に、朝ごはんを食べているように、言ったろうに!」
「みんなでメロお姉ちゃんのこと、待っていたんだよ。いっしょに食べようって!」
メロは照れくさそうに笑い、シスター・マイラはぼりぼりと首筋の裏をかく。
「ああ、もう。自慢のスープが冷めちまうんだねえ……」
「冷めてても美味しいが、シスターのスープなのね」
「こちとら、一番美味しいところを食べてもらいたいんだねえ……しかたない、スープは温めなおし! メロは着替えてきな! ちゃんと下着も取り替えるんだよ!」
「はぁい、シスター!!」
シスターと孤児は食堂へ、メロは屋根裏部屋へ、それぞれ礼拝堂を駆け抜けていく。
───────────────
孤児院の子供たちと朝食をともにしたメロは、屋根裏の自室で一眠りし、正午過ぎに目を覚ました。小窓から外を見ると、空はいつもの曇天におおわれている。
少女は軽食をとると、以前から気になっていた雨漏りをふさぐべく、いつものオーバーオールにレインコートを着て、工具片手に孤児院の屋根に登る。
金槌と釘を手にして、器用に大工仕事をこなすメロは、ふと、顔をあげる。
街区の屋根が無秩序に連なり、その先には蒸気都市の内と外を隔てる壁がそびえ立つ。
灰色の壁の向こうには、無数のビルがそびえている。中央の市長府からは、もくもくと絶えることのない蒸気の煙が吐き出されて、曇天の雲につながっている。
メロは、昨晩の出来事を思い出す。つい、数時間前のことのはずなのに、もう何日も経過したような気がしてくる。
ぽつぽつ、と雨粒が落ち始めて、少女は屋根の修繕を急ぐ。
離れた蒸気都市の中心部から、ごうんごうん、と鋼の内蔵が脈打つような振動が、遠くかすかに伝わってきた。
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