【第9章】サムライ・マイティ・ドライブ (9/9)【出立】
【鉄馬】←
「ふむ……?」
湖畔、次元転移ゲートのすぐ横に立つ『伯爵』が、眉根を動かす。シルクハットの伊達男は、自慢のカイゼル髭を指でなでる。
「進軍が止まった……かね?」
多機能片眼鏡<スマートモノクル>を用いて、ツバタたちの戦況を観察していた『伯爵』が、つぶやく。
距離が離れ、森を挟んでは拡大視機能は使えないが、ご丁寧に篝火を焚いてくれたとあれば、熱源の移動でサムライたちの動きを追うことができる。
だが、その熱源の進行がストップしている。壊走するかのように、散らばっていく熱源も確認できる。ツバタの企みは頓挫した、と見るのが妥当だろう。
「ふむ。チェックメイトをかけたつもりが、逆にスティルメイトを取られるのは、よくある話ではあるがね」
ビジネスの前提となる計画が頓挫した以上、サムライどもに義理を示す必要もないだろう。『伯爵』は、そう判断する。
緑色の超自然の輝きに向き直った燕尾服の男は、懐から小型デバイスを取り出し、次元転移ゲートに対して、座標変更コマンドを入力する。
小型モニターに、プログラムの受信を示す表示が映し出される。『伯爵』は顔をあげ、シルクハットのつばを傾け、視線を湖に向ける。
「ふむ……美しい。朧月、というものかね」
一度は雲の向こうに隠れていた月が、薄霞ごしに姿を現し、凪いだ湖面に淡い光を反射させている。
次元転移ゲートの座標変更には、演算のため、若干の時間を必要とする。シルクハットの伊達男は、処理完了までの待機時間、景色を眺めて待つことにする。
「こういう待ち時間にしか休憩をとれないとは……『社長』も、人使いが荒い」
新しい座標は、『伯爵』に与えられた次のミッションの現場となる次元世界<パラダイム>だ。本社への帰還はおろか、支社に立ち寄り、一息つく余裕もない。
「それにしても、しかし……イクサヶ原のサムライとやらは、好戦的に過ぎる。ビジネス相手としては、不適と言わざるを得ないかね」
次元間企業、セフィロト社のスーパーエージェントは、そう判断する。蛮族のごとき精神性を持ちながら、いざ戦闘となれば、おどろくほど洗練された行動をとる。
サムライたちに限定的でもセフィロト社の技術を与えれば、逆にこちらへと牙をむくことは十分に考えられる事態だ。
グラトニアにおけるレジスタンスの二の舞になるか、もっと酷いことになる可能性すら、あり得る。
そもそも、今回のゲートですら、同一次元世界<パラダイム>内での転移しか明かしてはいない。
サムライたちが、イクサヶ原以外にも世界が存在することを知ったら、どのような行動をとるか……
「ふむ。あまり考えたくはないかね。ぞっとしない話だ」
イクサヶ原の喧噪とは正反対に平穏な湖畔の風景をまぶたの裏に焼きつけて、『伯爵』は静かに目を閉じる。ゲートの座標変更完了には、もう少し、時間が必要だ。
───────────────
「グッド。まるで、オーバーホールしたてのような乗り心地だろ」
ナオミのまたがる蒸気バイクが、湖畔を駆け抜ける。ヘッドライトは、オフにしてある。フルオリハルコンフレームの車体が、月光を艶めかしく反射する。
あの日、蒸気都市の郊外を走り抜けた感覚が、昨日のことのようによみがえる。
長い、一時停車だった。どこまでも、行けるところまでいこう、バイクライダーの根源的な欲求がふたたび燃えあがる。
ふと、ナオミの脳裏に、砦に暮らす女子供たちの姿が横切る。赤毛のバイクライダーは、振り払うように頭を振る。
「バッド。長居なんてするもんじゃあない。湿っぽくなっちゃ、だめだろ」
ナオミは、顔をあげ、視線を前に向ける。蒸気エンジンの回転数をあげる。
あとのことは、大御所がよきに計らってくれることだろう。もともと、この土地は天領だったのだ。ナオミの肩には、重すぎる責だった。
冷えた夜風が、火照った身体に心地よい。赤毛のバイクライダーは、砦の方角を振り返り、口元に微笑を浮かべる。
「テメエら、ありがとうよ。元気でな」
ナオミは、小さくつぶやくと、前方をにらむ。緑色の超自然の輝きを放つ円が、近づいてくる。逆光に照らし出されて、傍らの人影が見える。
人影は、緑色の光のなかに、さも当然のように入っていく。そのまま、姿は見えなくなる。円形の輝きが揺らぎ、かすみはじめる。
「ウチは、行くよ。どこまでだって、走り続けられるかぎり……ッ!」
蒸気バイクのスロットルをひねる。車輪の回転数が増し、速度が増す。次元転移ゲートが消滅する寸前、ナオミと鉄馬は、そのなかに向かって飛びこんだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?