【第2部30章】阻止限界点 (2/4)【隔壁】
【電磁】←
──キュドオンッ!
レールガンの第2射が、放たれる。ドクター・ビッグバンは、左右の手のひらで鼓膜を守る。超音速の弾体が、中央管制室に撃ちこまれ、破滅的な崩落音が遅れて響く。
白衣の老科学者は、間一髪、転がるように廊下へ飛び出て、難を逃れる。通路に待ちかまえていた敵機の姿を、ようやく捉える。
「なんとなればすなわち、皇帝の親衛隊のような戦力が残っていることは想定していたが……このような大型導子兵装が隠し玉とは、少しばかり恐れ入ったかナ」
ドクター・ビッグバンを出迎えたのは、8本脚の多脚戦車だ、幅は5メートル、高さは3メートルほど。問題のレールガンは、背中ではなく、腹部にぶら下げるような形で設置されている。
──ズガガガガッ!
懐に潜りこんだ白衣の老科学者を肉屑にしようと、多脚戦車の対人機銃が火を噴く。鉛玉はすべて、かくしゃくたる老人を避けていく。
ドクター・ビッグバンの発明品にして、転移律<シフターズ・エフェクト>でもある、『状況再現<T.A.S.>』の力だ。
いらだつような異形の戦車は、柔軟に動く脚部で狼藉者を踏みつぶそうとする。白衣の老科学者は、『状況再現<T.A.S.>』による短期未来予測で、ゆうゆうと回避していく。
『おじいちゃん! だいじょうぶ!?』
通信回線を『塔』の館内スピーカーにつなげなおしたララの声が、通路に響く。
「この状況の変化に、即座に対応するとは……さすがは、このワタシの孫娘かナ! ララ!!」
『おじいちゃん! いまは、そっちの問題を優先して!?』
「なんとなればすなわち、最重要課題である帝国の機密データに関しては心配無用かナ。ララ。このような拠点施設において、データベースは管制室とは別の場所に設置する。バックアップ設備も用意するのが定石だ。モーリッツくんが、そういった基本を無視するとは思えない。ポートも全解放したので……」
『そんなことは、わかっているということね! おじいちゃんの身の安全を心配しているの!!』
異形の戦車とタップダンスを踊るドクター・ビッグバンを監視カメラ越しに捉えながら、スピーカーからララの悲鳴が響く。
廊下の床に倒れ伏す能力主を失った『脳人形』たちが、白衣の老科学者の身代わりとなって、乱射される搭載機銃の弾丸に撃ち抜かれ、ドラゴンの爪のようにとがった機械の脚部によって踏みつぶされる。
「なんとなればすなわち、このワタシとて考えなしに危ない橋を渡っているわけではないかナ……まず至近距離であれば、もっとも警戒すべき、しかし小回りの利かないレールガンは使えない。さらに、導子兵装である以上、接触すればハッキングが可能……」
ドクター・ビッグバンは、『状況再現<T.A.S.>』の演算が導くまま、通路の床深く突き刺さった脚部表面に手のひらで触れようとする。刹那、五感がブラックアウトする。
『……ちゃん! おじいちゃんッ!!』
「む、なにが起こった──?」
金切り声をあげるララの呼びかけで、すぐに白衣の老科学者は意識を取り戻す。1秒に満たない時間だったかもしれないが、戦闘中であれば優に致命的となりうる隙だ。
「なんとなればすなわち……『状況再現<T.A.S.>』の処理で、導子力を過剰消費してしまったかナ。つまるところは、過労……と言うことになる」
『ほら! 言わんこっちゃないということね!!』
「それよりも、多脚戦車は……むむ!?」
異形の戦車は、8本の脚を屈伸させると、ドクター・ビッグバンのタッチから逃れるように跳躍する。きゅるきゅると関節がモーター音を立てて、爪先は上方向へ伸び、そのまま天井へと張りつく。
「なんとなればすなわち……脚部関節の稼働域を180°以上確保することで、上下の区別ない、立体機動に適した構造をしているのかナ! 実に興味深い!!」
『ララも、おもしろいとは思うけど! いまは早く逃げて──ッ!!』
背と腹が入れ替わったことで、白衣の老科学者を見下ろす形になったレールガンの砲塔が、ゆっくりと照準をあわせる。電力が充填され、鉄の筒が火花を散らす。
──キュドオン!!
拠点施設である『塔』の破損もいとわず、超音速の弾体が射出される。ドクター・ビッグバンは、最小の処理負荷で着弾地点を予測し、前転して回避する。廊下が崩落し、大穴が口を開く。
白衣の老人は、少しばかりよろめきながら、全速力で走る。機械製の蜘蛛が、天井に脚を突き刺しながら、追いすがってくる。当然ながら、多脚戦車のほうが早い。
『おじいちゃん! どうするつもり!?』
「なんとなればすなわち! このワタシとて、闇雲に逃げまわっていたわけではないかナ……この区画の細かい構造は、すでに把握済みだッ!!」
ドクター・ビッグバンは足を止め、壁に手を突き、背後を振りかえる。天井に張りつく多脚戦車が、少しばかり戸惑うかのようにアイカメラを動かす。白衣の老科学者の手のひらは、緊急事態用のコンソールパネルのうえに添えられている。
ドクター・ビッグバンの意志に応じて、隔壁が落ちてくる。場所は、ちょうど異形の戦車が張りついているポイントだ。機械の蜘蛛は、そのまま床へ向かってたたきつけられ、抑えつけられる。
──ギュルギュルギュル……ッ!
多脚戦車は、損傷による漏電でスパークしながらも、関節のモーターをフル稼働させて隔壁を押し返そうと、もがく。白衣の老科学者は、赤く光る精密義眼をはめこんだまぶたを細める。
「なんとなればすなわち……いささか、関節部の強度に課題があるかナ。量産、実戦配備に至らなかったのは、そのためか……」
シャッターの根本からも、ばちばちと火花が散る。ドクター・ビッグバンが制御システムをハックして、隔壁の動力を過回転させている。機械の蜘蛛と、彼我の力は拮抗している。
『たたっよたったた! おじいちゃん、いまのうちに早く離れて!! 追加の隔壁を、あと2、3枚くらい落とせば、逃げきれると思うから……』
「だめだ、ララ。いま、このワタシの体内に、コンソールからつながっている回線を通して、帝国の機密データをダウンロードしている……容量が大きすぎて、無線回線は非現実的かナ。急上昇しているという導子圧の干渉も、気になる……」
白衣の老科学者は、もがく多脚戦車をにらみながら、膨大な情報のコピーを継続する。スピーカーの向こうで、ララが息を呑む。
実時間にして数分、しかし体感としては永遠のようなひとときを越えて、ダウンロードが完了する。同時に、抵抗を続けていた機械の蜘蛛が脚の動きを止める。
館内放送越しに、孫娘の少女が安堵のため息をこぼす。ドクター・ビッグバンは、逆に眉間のしわを深くする。
「なんとなればすなわち……疑問には思っていたかナ。モーリッツくんの作であるならば、『脳人形』と同様のシステムを採用しているはずであり、彼が死んだ以上、起動はありえない……」
ひしゃげた多脚戦車の装甲の隙間から、なにか粘液状のものがあふれ出してくる。床に転がる『脳人形』だった兵士の死体を喰らい、体積を増していく。
『おじいちゃん、これは……』
「おそらく、魔法<マギア>文明でスライムなどと呼ばれている存在が近いかナ……あの『魔女』が召喚し、多脚戦車の内部に充填して、操っていたのだろう……ッ!」
白衣の老科学者は、追加の隔壁を降ろすと同時に、コンソールから手を離す。不気味な粘菌に背を向けて、ふたたびドクター・ビッグバンは全速力で走り始めた。
→【確証】
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