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自分と写真

自分と写真っていつから一緒になったのか考えるとそこまで昔の事では無いと思う。

中学生の頃は親からもらったお古のデジカメでよくわかんないけど、記念撮影とか思い出を適当に撮って満足していたぐらいだったから、そこまで思い入れはなかったかな、、、

高専に入学してもそこまで写真に特別な思いを抱く事はなく進んでいったけれど、2018年の2〜3月頃に、ある人がきっかけでめちゃくちゃ写真とカメラが好きになった。

その人とはTwitterで知り合ったのだけれど、今はすぐ会える距離にはいないし、お互い急接近しすぎて、衝突事故を起こしちゃったような関係だったからもうきっと会うことはないんだと思う。

その人は女性で、今まで出会ってきた人のどのタイプにも当てはまらない、同い年なのに、ある種型破りな人生を送っている人だった。

彼女がどういった経緯でカメラを始めたのかはわからないけれど、当時他にも写真を撮っている友人がいた中で、群を抜いて上手い、とても自分の心に刺さる写真を撮るなと思い、その時から少しずつ自分の中に「あんな写真を撮りたい」という、写真やカメラに対する好奇心が生まれてきたんだと思う。

彼女は2018年の4月にカメラを新調し、友人達と松代城の桜を見に行こうとなり、松代城に行った。
その時に彼女の友人が被写体となり、彼女が撮影するという話を聞き、僕はその時彼女に以前使っていたカメラを貸して欲しいと言い、初めてしっかりとしたカメラに触れたと思う。
当時は写真の構図などのいろはは全く分からなく、一日中ただ自分の感性に任せて撮っていた。
今までカメラを握って誰か1人を撮ったことがなかった僕にとって、誰かを撮るということはプレッシャーや恥ずかしさがあり、その日は1日で30枚くらいしか撮らなかったと思う。
後日後悔して、写真を撮りに行ったのに撮り渋って、後で後悔するくらいなら多く撮ろう、と思った。
初めて撮った日の中には、今見返しても自分のベストショットに入る写真が何枚かあって、その写真を見返した時、自分の中で写真を撮ることが楽しいという気持ちが確立された瞬間だったと思う。彼女は僕に貸してくれたカメラを使うことはないからと、半永久的に貸してくれたので、僕のカメラライフが始まった瞬間でもあった。

そこからカメラ沼にはまっていくのは総時間がかからず、4月、5月、6月、、、と、撮るのが段々好きになっていき、技術も多少向上していったと思う。

しかし予期せぬスランプが訪れたのは9月も後半に差し掛かった頃。

写真を教えてくれた彼女が長野を離れ、他にも当時なかなか思うように生活が運ばず、それが写真にも出たのか、今まで歩いてきた道を見失ったような写真しか撮れず、ついにカメラを握ることをやめてしまった。

そこからの数ヶ月は泥沼のように死んでいて、自分に一番活気がない時期だったかもしれない。

しかしまた転機は訪れる。

2019年2月、あるきっかけで、写真講座の助手というか、サポートスタッフをやる事となった。

その時僕は心機一転、新しいカメラを購入しようと思い、遂に自分のカメラを手にしたのである。
その講座で約半年ぶりにカメラを握った僕は、初めてカメラを握ったときのような感覚も覚え、またこんな自分にチャンスを与えてくれた主催者の人に感謝しながら写真を撮った。
その時に出会った人の中に、今の自分の人生に大きな影響を与えている人がいるけれど、その人との話はまた機会があったら話そう。
その日は講座が夜7時に終わったのだけれど、その後12時ぐらいまでご飯を食べたり、なんか初めて親に反抗して夜遊びしたなぁっていう記憶がある。
でも終電を逃してしまって、歩いて帰るしかなくなって、雪が地面に降り積もった道を、カメラを首にぶら下げながら帰ったあの日はきっと忘れることがないくらい、満足感に満たされていたと思う。

そこからまた僕は写真を撮り始め、段々と、カメラライフを再開させていった。東京に行ってひと足先に桜を撮ったり、長野でも桜を撮ったり、桜を撮ったり、桜を撮ったり、、、(笑)
桜の時期が来ると写真の楽しさを教えてくれた彼女を思い出す。

2019年度の上半期は、iPhoneで写真をよく撮った。
本格的なカメラを手にしたからこそわかるスマホカメラの取り回しの良さ、クオリティの高さ、それが楽しくて、iPhoneでどこまでの写真が撮れるのかを挑戦していたと思う。

けれど僕自身撮ってて一番楽しい、好きだと感じるのは人物を撮る事だったので人物を撮っていなく、どこか虚無感も感じていた。

2019年8月、金沢に友人が住んでいるので久しぶりに会おうとなり、遊びに行った。事前に調べただけでも金沢は良い所が沢山ありそうで、とても楽しみにしていた。

その時に久しぶりに人を撮った。久しぶりに自分の中で「これだ。」と思えるような写真が撮れた。
そういう写真は撮ってすぐにわかるし、そういう写真が撮れる時は、一枚、また一枚とどんどん良い写真が撮れる。

その旅行は3泊4日と長めの滞在だったけれど、自分の中でも良い写真を連発した日々だった。
良い写真を撮るとその写真も好きだし、それを撮れた自分もとても満たされて、相乗効果が見られたような気がした。

僕は人物撮影が一番好きだと言ったが、人物撮影と聞くと、カメラマンが指示を出して、モデルがそれを表現して撮る。そんなイメージがあるけれど、僕個人の意見としてはそれがあまり得意ではなく、僕はもっと自然体を撮りたいので、特に指示を出さないで、半ば盗撮する様に勝手に撮っているし、そうやって撮るのが一番好きだと思う。そのマインドを与えてくれたのもカメラを教えてくれた彼女だと思うし、僕にとってカメラと彼女の存在は切っても切れない物であり、感謝しかない。

僕にとってカメラとはなんなのかといえば、自己表現のできる唯一の手段であり、写真とは誰かに認めて欲しい、承認欲求の自我の塊なのかなと思う。

毎回毎回うまい終わらせかたがわからなくてどうすれば良いのかと思うけれど、これからも自分や誰かに訴えるような写真を撮っていきたいなと思う。
カメラオタクですね、写真大好きなので。笑

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