忘れたはずだった夢を20年越しに叶えた話−前編−
子供の頃に話してた将来の話。ケーキ屋さんになりたいお花屋さんになりたい、今そう思うことは全くありません。現実を理解できたおかげです。だけど、中学生から社会人になるまで好きだったカメラは、突きつけられた現実を前にも夢を見ることができました。
なのに実際、カメラマンの肩書きになったのは数ヶ月からです。カメラがずっと好きだった、好きだったのに仕事としてを考えないようにしてきました。周りからやめときなさいって言われた、自立した生活をする勇気がなかった並べたらもうキリがなかったんですよ。そうです、要するに意気地なしでした。
それなのに性懲りもなくまたカメラを始めた、さらに職業にもしちゃいました。一体どんな魔法がかかったんでしょうか。まずはカメラにハマったときから話をはじめます。
おじいちゃんのカメラ
最初のカメラはおじいちゃんから勝手にもらった*コニカミノルタのフィルムカメラでした。*2006年3月31日でコニカミノルタはカメラ事業廃止しています。
シャッターを切ると自動でフィルムが巻かれるもので、シャッター音にたまらなく興奮してました。その後は、CANONの一眼レフ→おじいちゃんのライカと変化します。やっぱりカシャという音がお気に入りだったのは間違いなさそうですね。
この頃、家のカメラは全てフィルムのものでした。←時代的にデジタルはまだなかった
フィルム写真といえば、赤いライトの部屋で現像液や保存液を使ってする現像作業をしてやっと一枚の写真になるものです。それまではどんな写りになってるのかわかりません。
しばらくシャッター音が好きで写真を撮っていたけど、だんだん撮影した写真にも興味がでてきました。好きな柄の端切れを合わせて作った、おばあちゃんの部屋着。めずらしく雪がちらついた庭。これ好き、でレンズを向ける楽しい瞬間でした。好きなものだけを写すので、写真はまるで宝物です。私の目線が捉えた一瞬の好きは二度やってこないからシャッターを切る、いっそのことこの目をレンズに変えちゃいたい!狂気すら感じる常軌を逸した熱量ぶりでした。
写真を撮り終えたら、近くのカメラ屋さんで現像してワクワクしながら写真を見返します。そこで、またもやフィルム写真ならではの*ネガ 登場。ネガは写真現像の元になるものです。*ネガフィルム ↓
現像後必ず写真とセットで手元にくるネガをライトに透かしながら、これがこうなるのかと不思議に思っていました。ちょうどこの頃、高校生になっておじいちゃんのライカを愛用し始めます。
写真部に入りたい!人物を撮りたい!どっちもうまくいかなかった!
休み時間の教室でライカを手にモノクロ写真を撮る子が私でした。写真部でもないのに、です。
どうして写真部はあったのに入らなかったのか、理由があります。入学後、部活動入部のためのガイダンスに写真部を見つけてドキドキしながら説明会に行きました。指定された教室には私一人、遅れてやってきたのは顧問のおじいちゃん先生と写真には一切興味なさそうなやんちゃな先輩(男子)でした。色々説明してくれたと思うけど、全体的にやる気のない空気感でこっちもやる気にならなかったんですよね。
ただ、暗室(現像する部屋)はあったから、現像体験への心残りはありました。
さあ、これで写真部でもないどの部活にも所属しないただの写真好きです。放課後や体育祭のお祭り騒ぎに紛れてシャッターを切りまくりました。廊下からバイバイしてくる子をレンズで追いながらバイバイする。昼休みに、友達同士で同じ髪型にする様子をカメラ越しに眺める。一人だけにレンズを向けてなかったからか、みんな普段通りの表情で写っててそれは今でも好きな写真です。
家の好きな場所を撮るのもいいけど、やっぱり人間は魅力的だって思いました。
高校生活にライカを相棒にしたのは、15歳のとき観た*ユーサフ・カーシュの美術展がきっかけでした。
*ユーサフ・カーシュ ↓
数十年前に撮られた写真に強く惹きつけられて、図録買っちゃったくらいです。こんな風に人物を撮りたいこういう写真家になりたい、だから現実を見ながら考えました。そこは、ケーキ屋さんになりたいって語り合うだけで満足できる夢と大きく違っていたところです。
どんな方法があるのか調べながら、心の中はワクワク3割ムリっぽいな7割でした。
怖くて逃げたことを忘れたふりしてたら、夢も忘れちゃった
写真を学べる専門学校から資料を取り寄せて隅々読みました。読んでるだけならワクワクです。その一方で、どうやって学校まで通うのか卒業後に仕事に就けるのか、それを親と話し合うのはムリだってわかってました。わかってたけど、普段の会話でさらっと口にしては『なれるわけない、やめときなさい』と会話終了です。
自由になるお金が1円もなくて、強行突破な行動ひとつできませんでしたね。勇気がなかったとも言えますよね。説得するだけの材料がない、はっきり伝えられるのはやりたい意思だけです。そんな意思も、見えない将来と葛藤する不安で揺らぎ気味だったからすぐへし折れました。いろんな言葉に傷ついたけど、最後を決めたのは私でした。立ち向かっていくのを怖がって諦めて逃げたんです。
雑誌*Zipperとかに載るデザイン系の学生に触発されて、友達を被写体に撮ってたのは高校生までです。進路が決まってからはカメラを触ることすらありませんでした。
*Zipper ↓
ケータイカメラでバシバシ撮っててもカメラは使わなかったです。そうして、社会人になってもやっぱりただの写真好きでした。きっと、心の隅っこで怖気付いてたんだと思います。もう一回本気の気持ちが潰れてく言葉を耳にすることに、です。
すると不思議だけど、心の傷は治ったように感じて同時に最初から夢はなかったようになりました。
夢はないな、それが口癖だったこともあります。
それなのに、今さら?って聞きたくなるような今になってものすごい勢いで思い出してしまったあの時の夢。
後半はいよいよ魔法がかかります。