何年生きたかにへんてこな自信があった。眩しい輝きの中にある幼さを私だけが自画自賛。流行に乗らない見てくれになった時、私の中ではたくさんのことが熟してた。年を越すごとに自分で作り上げられる階段は登り甲斐がある。
木々の中に立つと空に上った人たちが降りてきてくれる。強く強くすぐそこにいるとわかる。体を離れた真っ白なその人自身は軽やかに舞う。手が握れないからなんだ。問いかけの返事がないからなんだ。葉の隙間にのぞく光には大切な人のやさしさが見える。
ごめんね。いつまでも私に厳しい。弱さゆえの意地悪を言葉優しく見つめられない。私が足りない、だから届かない。心の喜びはどこへいってしまったんだろう。頭と心の距離が遠いのか、心を奥底に落っことしたか。もうそろそろ手厳しい私とお別れの時。
認めるというのはここに在るを良しとすること。いいよとすること。私は足りないと頑固に言い張らない。自分のことだからと存在も美しさも能力も少し下げてしまわない。ちょっとづつ付けた切り傷はいろんな感覚を鈍らせる。君が君に向けて握るナイフはずっと震えていたんだろうね。
苦しい、もう嫌だ、全部をおしまいにしてしまおうと思いながらなんだか幸せ。自分の内側どこかにある心、掴み損ねてた心をやっと聴けた。悲痛な叫びだったのに笑みをこぼす。他にないほど壊れやすくへそを曲げやすいものだから、たくさん喜び嬉しさをさらけ出してその声にもっと近づこう。
こんな私に文句ある?胸に掲げる勲章はないけど評価を形にしたものよりほしいものがある。見せびらかして歩けなくても構わない、煌めき失わないもの。こんな自分、どんな自分だったとしても堂々といられるそういう支え。