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母娘を他の個人と認め受け入れるまでの時間

なんでもっと普通に生きてくれないの!!!

つい4,5年前までよく耳にしていた母からの懇願が混じる脅迫のような言葉。それもいつもと声色が違うせいで私の心臓は余計に大きく鼓動する。

普通じゃないことがどうしてダメなのか

目立つ事がなんでいけないのか

私としては、普通じゃないことをして目立ってきたという自覚はない。
学生時代は3つ上の姉のマネをしてスカートを短くし、当時流行っていたソックスをみんなと同じように履いていた。
20代になれば、自分で稼ぐお金を使って遊びの幅も広がった。仕事が休みになる金曜の夜から出掛けて、週末は家に帰らないことも度々、帰ってきたと思えば着ていた服を洗濯カゴに放り込み、新しいものをバックに突っ込んで濃いメイクに下着のような服でまた出かけていく。
この頃付き合っていた人は、母が嫌いな外国の人だった。しかし私はこの人と一緒にいるためなら全てを捨てられると本気で恋をしていて、母ともずいぶん派手に言い争った。

したい事をしてきた、そんな私をいつもハラハラする思いで母は見ていた。

自分の理解を軽々越える行動を繰り返す娘、いつかとんでもないことを仕出かすんじゃないかという不安に満ち満ちている様子が嫌と言うほど伝わってきていた。
母娘ってこんな風に平行線なんだろうか
テレビドラマでみる仲のいい関係、女同士だから話せる関係は作り上げられた理想なんだろうか
身近な友達の穏やかな母娘関係を聞いてみてもどこかお伽噺のようで、私がいる現実とは違いすぎてリアルに捉えられなかった。

私は母と仲良くなりたくて、理解できなくても見守ってほしいと望んでいた。それはきっと、私たちが二人とも若かった当時には高望みだったけれど
年齢を重ねた今はだいぶ望みのハードルも低くなってきたように感じる。

人は他人を変えられない

これに私たちは深くうなずく
親子として、一番近い関係であるからこそ、きっと長い間分かってはいても認めたくなかった事実。
親なのに!!!!
私の生んだ子供なのに!!!!
こんな言葉がいつも頭の片隅にあったんだと思う。


時折、間に入って仲を取りもってくれた父が他界し、
私たちの距離はさらに近づいた。

今は、私があと少しで家を出ることが決まっているせいか
この距離が心地良すぎて離れたくない


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