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今はきいろ、30分前はあかちゃいろ
あなたは疲れていますね。と言われると安心してしまう。身体のだるさは疲れというものだったんだと分かるから。
身体や精神の状態に名前をつけてもらえるのはうれしい。
だから病気とか感情にたいしていろいろな名前がある。でもどれだけ自分の中に、借りてきたことばの中に適するものをさがしても見つからない時はある。
私はそれはそれでいいと思っている。もやもや、とか。つっかえている、とか。ぴたりとはまる言葉がない、のは消化不良のままでいてほしいのだと思う。
友達と初詣にいってお守りの色に迷ったとき、すすめてくれた色と違う色を選んだ。その時のその子のなんともいえない顔。気づいていたのに気づかないフリをした自分。素直に選んでくれた色にすればよかった。
後悔と言われたらうなずける。
でもぴたりとはまってない気がする。もっと息苦しくてせつないきもち。色でたとえるなら黒にちかい赤土色。
はっきりとこういう時はこういう名前の状態だとすれば気が楽。名前があるだけで認識する力がぐんとあがる。認識すると正体がわかったように安心できる。
それでも原因不明といわれる病名だけの病気があって、感情はそれよりも名無しのものがおおい。
しっくりこない、名無しで中間色の気持ちは、いろいろなかたちでこころに残りつづける。よくもなくわるくもなく。