③朝鮮学校への差別 被害者について考える3
朝鮮学校の差別問題のニュースを見た。
コロナ下で朝鮮学校の排除拡大、国連の是正勧告に従わない日本政府 マスク支給でも格差、「非人道的」批判受けたさいたま市は撤回 在日朝鮮人差別問題 前編
共同通信=粟倉義勝
これはいわゆる煽り記事で、炎上させてPVを稼ぐ方法だ。
案の定炎上している。
在日韓国問題には、ふたつの要素がある。
つまり、日本と朝鮮(北朝鮮と韓国、と書くのがめんどなので朝鮮と書く)の双方に問題がある、と言う事だ。
日本の問題とは、腰抜けな事と思考停止である。
これだけ腰抜けで思考停止した国と国民が富を持っているなら、恫喝し泣き落としつくった見た目コントロールする事は容易い。
ところが今日本にはもう富がない。
今はまだ底をついていないだけ、という状況になった。
そこをつきかけているが、腰抜けと思考停止は変わらないので、当然朝鮮も方法を変えない。
だが、この日本の国力の低下は貧民を大量につくりだしている。
この、持たざる者は強い。
なにせ命すら軽いのだから、戦いにはもってこいだ。
今、日本は多くの持たざる者であふれかえるようになった。
持たざる者は要求する。
なのに、救済されない。
救済されないのに、外国の教育機関が救済されようとしている。
しかもそれは統一教会やパチンコをはじめとし、他国の富を吸い取り敗退させる事を目的とした国家のつくる教育機関だ。
持たざる者は許さない。
ゆえに、日本の教育機関と同等に扱われるわけがない。
私には、在日朝鮮人の友人が複数いる。
皆優秀で人も悪くない。
だから、ひとからげに朝鮮を否定する気はない。
特に人はひとりひとり違うのだから、人身がとうこうとは言いたくない。
されど、振る舞いというものがある。
私はこれが朝鮮側の問題だと思う。
他国に住む事を考えた時、もし私ならよき隣人であろうとする事を態度で示す。
文化には良い面とそうでない面があり、ただ単に住んでいるだけでは、いつまでも相容れない。
良い面をもたらしてくれるなら受け入れられやすく、そうでないならその逆だ。
韓国は概ね逆ばかりしている。
それではいつまでも平行線どころか、辟易され呆れられてしまう。
朝鮮によく行く人でないなら、日本人は朝鮮の事を、朝鮮政府の反応、ニュースでの朝鮮人、身近な朝鮮人を基準に判断する。
もし、彼らがよき隣人たろうと行動したとしよう。
国ならば統一教会を引き上げ、パチンコを撤退し、軍事威嚇の停止などなどという具合だ。
在日朝鮮人ならば恫喝せず泣き落としせず、笑顔であいさつするなどだ。
そうすれば朝鮮の評価は一変する。
しかも今は日本人の程度は低下の一途を辿っている。
世界に誇れる民族でないのは、現代日本人もさほど変わりない。
朝鮮学校に突撃する右翼は、右翼の名を語る日本の面汚しでしかない。
もし、朝鮮や在日朝鮮人がよき隣人であろうとするなら、腰抜けで思考停止した我々は両手を振って歓迎するだろう。
そのために必要なのはおそらく新しい世代の朝鮮のリーダーだ。
儒教の悪きところ、すなわち目上を過剰に重んじ、(改変した)過去をいつまでも恫喝の道具として引きずる。
これを辞める若い世代が台頭した時、韓国は飛躍するだろう。
だが残念ながら日本はその時すでに沈み切っているかもしれない。