私の死に方
アラサーになってから、自分の今後の人生をどうしていくべきか、よく悩みます。
自分がどんな人生を送りたいのか、考えてもよくわからない。
だから発想を変えて、逆から考えてみることにしました。
「生き方」ではなく「死に方」
でも、「生」と「死」は分断できない。
生きることの終わりが死ぬこと。
つまり、「どう死ぬか」というのは「どう生きるか」と同じだということに気がつきました。
人生の最期を迎える時、自分はどんな人生だと振り返りたいか考えてみました。
「ここまでよく頑張った。おつかれさま。」
最大級に労いたい。
楽しい人生でも、幸せな人生でなくてもいい。
これは想像の範疇でしかないけど、おそらく自分は人一倍生きづらさを抱えていると思います。
他の人が気にしないことを気にして悩んだり。
他の人が簡単にできることに苦労して取り組んだり。
そして、それを周りに気づかれないように取り繕って孤独を感じたり。
周りの人に甘えないという選択をしたのは自分だけど、実はたくさんのことを抱えています。
だからこそ、将来が楽しみにはならない。
振り返ると小学生の頃、高校には進学しないと言い張っていました。
それなのに大学に進学して、社会人として働いているなんて不思議でたまらないのが正直なところ。
自分の中ではボーナスステージ中です。
「ゴールしたのにまだ続くのかよ」っていうのが本音です。
(ちなみに、ゴールがどこに設定されていたのかはわかりませんが笑)
そのため、人生がいつ終わってもいいと思っています。
今、急に終わったとしても、後悔しないと思います。
その理由は、今の状態でも十分に自分を労えるだけのことをしてきたから。
大きなことをしていなくてもいいんです。
今まで生きてきたから。
ちょっとスッキリしました。
最後の晩餐に食べたいものとか、死ぬまでにやりたいこととか、みんなが楽しそうに話していても、私は全然思いつきませんでした。
いつ死んでも後悔しないと思いながらも、なぜなのか疑問に思っていました。
でもそれは、自分なりに一生懸命、人生を生きているからなんですね。
「ここまでよく頑張った。おつかれさま。」
おそらくまだ人生は終わらないけれど、今、人生を振り返ってみて、自分に声をかけたいです。
だからもう、終わってもいいと思っているんだと思います。
少しネガティブな話になってしまったかもしれませんね。
でも、本当は、常に自分を労えたらいいように思いました。
終わり際じゃなくても、今ある自分のことを、褒めて、認めて、労うことができたら、もう少し気持ちが楽になるのかもしれません。
今すぐは難しいけれど、いつか、自分の生き方が変われることを願って。