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関ジャニの独占欲って最高だよね、って話。

閃光ばなしの感想をまとめようとしたら邪念がうじゃうじゃ湧いてくる。それだけ私の生活や心に刺さったということなのだろうが、なんせ妄想癖が強いので閃光ばなしの本筋なのか私の妄想なのかがそのうち区別できなくなりそうに思っておびえている。

まあ、そんなことはおいておいて。今回の本題に入りたいと思う。

『関ジャニ∞メンバーの、メンバーによる、メンバーのための独占欲』がたまらなくおたくに刺さるってこと。こっちのほうが題名に掲げるか迷うくらい正直ドンピシャに内容が表せていると思っている。

閃光ばなしの中で「みんな」という定義について触れる場面が何度もある。記憶力がないのでセリフは意訳だし、雰囲気で書くことを許してほしい。

是政の婚約者だった白渡由乃(しらと・よしの)が結婚式に来なかった是政を責めるシーンで、是政が「仕方なかったんだ、電柱が治らないとみんなが困るから」といった。これに対して由乃が「みんなって言わないで、どん詰まりの皆さんのため、もしくは自分と妹のためだといって。そのみんなには私は含まれていないのだから」と返す。

他にも、にさんあった気がするけどうまく思い出せない。どん詰まりで、そこに暮らす人に責められていた是政が開き直って「俺がみんなっていうときは俺と政子だけだ」と宣言したとき、ぼっちゃん命の加古さんが悲しんでたり、是政も大好きな政子に、私を巻き込まないで!と拒絶されてたり、不憫が連鎖していたシーンも、みんな、について話しているシーンだった、気がする。

とにかく、みんな、というときに、どの範囲を指すのかって結構難しい。
私は自分不信の人間不信なので、みんなって言われたときに自分が入るか結構真剣に考えることは今までによくあった。だから閃光ばなしでそれが副題のように取り上げられててとても共感したし、安心もした。

なぜそこで関ジャニの独占欲につながるのかといえば、何でも関ジャニにつなげてしまうオタクの悲しい性でしかないのだけれど、私の号泣ソング「元気が出るSONG」が脳内に流れてきたから。

関ジャニはファンを大切にしてくれるグループである。この評価は誰に何と言われようと譲るつもりもなければ曲げるつもりはない。でもそれを超えるくらいメンバーがメンバーを大好きであるグループでもある。

説明する必要もないけど、元気が出るSONGは元気が出るCDで7人が作詞作曲した曲である。

関ジャニはライブで手をつなぐ。それはファンもやる。

元気が出るSONGの出だし、手と手つないで一歩踏み出した、は、私にそれを思い出させる。冷静に聞けばファンの入る隙なんて無い歌詞だけどオタクの脳みそは都合よくできてるから安田君の歌詞はファンとの軌跡なのかもしれないという期待が残る。

続いてすばる君の歌詞。
同じ街で見た同じ夢、笑いあった帰り道、今も何も変わらない気持ち、7つ根っこで引っ張り合って。

もうここにファンはいないよね。いたとしても風景でしかない。

つぎに村上君。1つずつ集めた思い~~~描く未来はいつも同じ、と続く。これはファンも入れてもらってもいいかなって気がする。いくつまで集めたかはいってないし、関ジャニの明るい未来、楽しい時間を願っているのはファンも同じなのだから。でも、1つずつ集めた思いは7個だと、村上君の力強い声にいわれている気もしてしまう。

次の錦戸君。笑ってる君の隣に僕はいたくて、楽しそうなその横顔をずっと見ていたくて、やわらかな空気が運ぶこの時間が、永遠に続けなんて願わないから、せめてあと少し、少しだけ。

私の号泣ポイントです。
亮ちゃんは本当に関ジャニが大好きで、7人でいたかったんだな、と思わされて、あれ以来「永遠」という言葉に敏感になった私としてはせめてあと少し、という切なる願いのあらわれた言葉に、その少しがもっともっと長かったらよかったのに、と思う気持ちでいっぱいになる。

たのしそうなその横顔って聞くと、みんなでげらげらしてるMCが浮かぶし、章ちゃんがギャグやって滑ってるとこ見るの俺好きやねんと笑う亮ちゃんが浮かんでくる。

時間軸はずれるけど、関ジャムでビートルズの曲をすばる君とうたったときに、ジョンとポールみたいや、と嬉しそうにしている亮ちゃんや、すばる君最後の関ジャムでもう横で歌えないと泣いた亮ちゃんが思い出される。

亮ちゃんにとって関ジャニは横にいて、横顔を見る存在なのかなって感じて、笑ってる顔、じゃなくて、笑ってる横顔、なのもメンバーである特権を歌っているようでぐっとくる。

お次は横山君。楽しい時過ごす人はいた、つらい時君がいてくれた。なんだってできる、なんにだってなれる、∞の力はここにあるんだ。

よくいう言い回しであるから他意はないのかもしれないし、私の自信のなさがそうさせるので決して横山君は悪くないけど、私の脳では楽しい時=ライブなのでなんだかここでは「君」にすらなれていないような、この君は、やっぱり関ジャニだよなあ、の気持ちになる。正解はわからない。

どんどん挑戦する横山さん。なんだってできる。何にだってなれる、関ジャニのためならとたくさん新しいことを初めている横山さんが浮かぶ。やすだくんとインスタライブしたときに、俺関ジャニでおるから体型とか維持できるけどそうじゃなかったらみてられへんと思う、というようなことをいっていた横山くん。食事や運動に気を使って、ボイトレして楽器演奏して。無限の力はここにあるという言葉通り、関ジャニのためにたくさんのことをしてくれているのが単純にうれしいしありがたいと感じる。

そして丸山君。私はこの歌詞が一番に浮かんでいた。もう、私は陰キャオタクなのでしゃべりはじめると長い。

思い出のかけらを集めて夜を明かそう、くだらないことでもいいよ、僕らにだけわかればいい。

はい、独占欲~~~

たまらないよね、もうこれはファンは追い出されたと思うよ。

わからない。丸ちゃんはファン込みで「ぼくら」なのかもしれない。
でも「ぼくら」は関ジャニなのかもしれない。

何の特典だったか、手錠ドミノで「関ジャニ∞は13ねんじゃあああ」と兄貴と子分の15だか16年だかの年月に負けているのに絆では負けないと怒っていた。

1人で出る番組でギャグやるのはいいけど、誰も回収してくれないねん、といっていたマルちゃん、絶対に拾ってくれるか、笑ってくれるか、マルちゃんを一人にしない関ジャニへの信頼と愛がしっかり見える。

ファンは時間がたってからしか事実を知ることができない。教えてもらえない事実もたくさんある。言いたくないこともきっとあると思う。言えないこともあるだろう。

角煮事件、妖怪ケツ洗い、真冬にオーバーオール、夜中のペットボトルと朝の歯磨き、バナナジュース、車の中で虫のおもちゃ渡して怒られた話、アフリカ行って帰ってきたときアメリカの国旗着て現れた。など、古典落語として関ジャニが教えてくれるからファンも知ってる些細な日常。最近で言えばエクレアに名前書いてるとか。しかもこれらは話したら受けると思うから話してくれたけど、たぶん話してもうけないだろうなーっていう日常は関ジャニの中にしまってあるはず。

やっぱり、僕ら=関ジャニだとおもう。

最後に大倉君。この元気が出るCDは私が高校生の時に発売された。ビジュアル担当な大倉君なのでやっぱり君の明日が見えなくても支えるから、とか言って、キャー支えてくれるって!アイドルだわー♡と思っていた浅はかな高校時代。全然いいと思う。めちゃくちゃピュアな気持ちしかなくて、当時に戻れるなら今の厄介オタクになり果てた自分より、ずっと理想だと思う。

でも、今の私がきくと、やすだ君のことを歌ってるように聞こえてしまう。

いつもそばにいてくれる君が温かくて、当たり前がうれしくて、笑いあってる時間がいとおしくて、例えば君の明日が見えなくても支えるから。

おーーくらぁ?やすー!っていう声が聞こえてくるような歌詞。ギャルのようにキャッキャしている2人。大倉君が一人でラジオしていた時、高橋優君とラジオしていた時にゲストできたやすだくんとの会話が温かくて仲良しで優しくて、レコメンの頃に、大倉と毎日一緒にいる。という安田君とか、なんか、隣にいるのが当たり前なんだなっていう距離感。

私が衝撃を受けたのは、♪美味しかった歯ブラシッ!のやすだくんに、おい!ただのゲイラジオやんけ!!といっていた大倉君。他意はない。純粋に本当に衝撃だった。笑

そして、やすだくんが病気したり怪我したりの時に、ただ生きててくれ、親友を失いたくない、って言った大倉くん。のちに涙が出るといいながら安田君が話してくれた言葉。きっと安田君の支えになったと思う。

以上。
みんな、とか、君、とか、難しいことを閃光ばなしが副題のように取り上げていて、パワーあふれる舞台の中で混沌とせずしっかりとメッセージが伝わるのがすごいと思った。

考えた結果関ジャニの独占欲最高、っていう結論に至る私の短絡的な脳の構造が残念なだけで、この舞台自体はとても深いことを問いかけてると感じた。

あと6公演。キャストの皆さんには精一杯どん詰まりで生きてほしい。あと、怪我しそうなポイントしかないから、怪我無く安全に走り抜けてもらいたいと願うばかり。


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