2022/3/24

先週、父が自宅で転倒して救急車で運ばれた。何度目だろう。

救急車で運ばれて病院に入ったらコロナ対策で会えなくなり、

「これが今生の別れか」と思った。

大腿骨骨折で手術をしなくてはいけないと医師から説明を受け、病室の父とzoomで会談。耳が遠いのでzoom画面に向かって大声を張り上げる。

「みっちゃん、大丈夫かー!骨が折れてるから手術してもらおうか」

すると父は、「切断は断る」とキッパリ。

「親父が満州で指切られたから俺は意地でも切られへんモゴモゴモゴ。。。」

あー、またアルコールが抜けて、ちょっとせん妄が始まっているな、と思いながら、

「切断はしーひん、骨が折れているところにボルトを入れてもらう手術やで」

と言ったら、あっさり、「あーそうか」と納得した。

亡き祖父は戦前、島津製作所の技師だったが、戦争から帰ってきたら手の10本の指が全部半分しか残っていなかった。

私の記憶に残っている祖父の指は短くて、その先から鳥の爪のような細長い黒っぽい爪が出ているのだった。

子どもの頃、「おじいちゃん、なんで指ないの?」と聞いたら

「じいちゃんな、饅頭喰うでそのまま寝てしもて、指にあんこがついててな、それでネズミに齧られたんや」

ニコニコ笑いながらそう答えた祖父の言葉を私は小学6年くらいまで信じていた。

大正のはじめごろに生まれた祖父が大人になる頃は、満州事変、日中戦争、第二次世界大戦と戦争の時代だ。

祖父が何年ごろ満州に行ったのか私は聞いていない。

私の記憶にある祖父は近所の工場で働いていて、グレーの作業服姿でニコニコと道の向こうから帰ってくるのだった。

陽気で優しい人だった。

戦争の話は一切しなかった。

父は昨日、手術のために転院したのだが、検査、診察、入院準備と朝から夕方までバタバタだった。

医師は父のカルテを見て「肝硬変、腎不全、心不全もやなあ、え〜これで今までよお頑張ってきはったな」とおっしゃった。

数年前にも別の病院で同じように言われたっけ。

手術しないと寝たきりになるが、手術に耐えられるかどうかわからない、手術をしなくてもいつ何時どうなるかわからない、そんな説明を受け、たくさんの同意書にサインをした。

昭和13年生まれで労働組合運動一筋、安保反対、三池争議、いろんな運動に参加してきて9条の会に入り、今もデイサービスに行く時のカバンに「9条守ろう」バッジをつけている。

病院のロビーの大画面テレビでは、ウクライナの戦況を伝えるワイドショーが流れていてゼレンスキー大統領が国会で演説する、と告げていた。

ロビーでは年配の人たちが見るともなくテレビを眺めていた。

ふたたび戦争が始まった。

肌寒い春の午後、病を抱えた人たちが静かに座っている病院のロビーで、戦争はテレビの中から声高にどちらかの正義を訴え始めていた。

そうやって、退屈で愛すべき日常の中にすんなり入り込んできていた。

騙されないぞ絶対に加担しないぞ、といくら心の中で誓っても、国家という装置は私の決意を悠々と置き去りにし、すでに経済制裁という形で戦争に加担している。

主権は手の中にある?

私の暮らす町で「トンネル掘って北陸新幹線延伸に反対」と言ってもその声が議論のテーブルにすら上がらないなら、それは国家が戦争を始めた時に止められないことを意味しやしないか。

主権は手の中にある?

頭の中でそんな言葉を反芻している私の横で、ストレッチャーに寝かされた父は目を硬く閉じ自分の痛みと闘っていて、もうニュースは耳に入らない。


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