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連載小説|パラダイス〔Part3〕

*Part1~13でひとつの物語になります*
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 翌日、僕は東北の地図を買った。
 パソコンやスマートフォンのマップでは、画面が小さすぎて、目的地まで位置関係がつかめなかったのだ。
 隆さんがいるという、秋田県のにかほ市は、山形県との県境に接する、日本海沿岸の小さな市だ。移動の融通を考えて、電車ではなく、僕の車で行くことにした。
 僕が暮らす千葉県の柏市からは、ナビで調べたところ、すべて高速道路を使うとしたら、常磐道→磐越道→東北道→山形道→日本海東北自動車道、と5本乗り継ぎ、さらに下道を走って、片道だけで6時間以上かかるらしい。
「一泊で行ったほうがいいよ、日帰りなんて無謀」
 旅程を考え始めた僕に、そう言い張ったのは京子だった。
「ホスピスの面会時間、12時から15時の間なんでしょ? それじゃ、間に合うように着くのも大変。土曜は近くまで行って、そこで泊まって、日曜の12時に会いに行くほうが安全だよ」
 言われてみれば、確かにその通りだし、隆さんにも余裕をもって会える。あずさも、本当は一日でも惜しいのだろうけれど、その意見に同意してくれた。
 ナビでいろいろ検索したり、地図を辿って検討したところ、初日はどうやら、山形県の酒田市まで行くのが良さそうだ。秋田との県境に近い、日本海沿岸の市。土曜のうちに、ここまで着いてしまえば、にかほのホスピスまではもう、一時間程度で行ける。
 それがわかったので、土曜の宿は、酒田市内のビジネスホテルを予約することにした。

 あずさとは、彼女が生まれた日以来、35年の付き合いになる。けれど、2人で旅をするなんて、考えてみれば初めてのことだ。
 兄の僕は、平凡な生き方と言われて、誰もが思い浮かべるような、ありふれた人生を過ごしてきた。
 実家から通える大学を卒業して、今も勤めている会社に入り、30歳で京子と社内結婚、息子と娘が生まれた。そして、3年前にマンションを買って、今は住宅ローンを返しながら、子供たちを育てるマイホームパパだ。良く言えば順調な、悪く言えば、何の冒険もない人生。
 皮肉だよな、と思う。僕が結婚して、祝福されて実家を出たのと同じ年に、あずさは両親と喧嘩別れで、実家を飛び出した。まったく違う色の人生を送ってきた兄妹が、その原因になった男性に会うために、旅に出ようとしているのだから。


《day 1》

 出発の朝、僕を最も困らせたのは、子供たちの反応だった。
「あずちゃんとお出かけ、オレも行く!」
「パパばっかり、あずちゃんとお出かけなんて、ずるいよぉ!」
 あずちゃんを、大切な人のところに連れて行くから、今回はパパひとりで行くんだよ。そう説明しても、子供たちは納得しない。玄関で出かけようとする僕に、ふたりでしがみついて、大泣きに泣いている。
「こら、あずちゃんの大事なご用なんだから、パパを困らせないの!」
「だって、ママ、いい子にしてればオレたちも行けるよね」
「おにいちゃんもわたしも、あずちゃんと行きたいんだもん」
 普段は即効性のある、京子の一喝も、こんな時に限って効かない。
「だってじゃないの。あずちゃんは今、本当に困ってるから、パパが助けに行くんだよ。ふたりとも、あずちゃんが困って泣いてたら、かわいそうで、嫌でしょ?」
「それは、いやだけど」
「じゃあ、今日はパパをひとりで行かせてあげて。あずちゃん、パパが助けてあげないと、いっぱいいっぱい泣いちゃうんだからね」
 この言葉で、子供たちはやっと僕から離れ、今度は京子にしがみついて泣き始めた。その隙に、僕はそっと玄関を出て、愛車が待つ駐車場へ向かう。昨年、やっとローンを終えた、日産の白いセレナだ。
 健司は車まで、一般的なファミリーカーを選ぶんだな。この車を買ったとき、父親がぼそっと呟いた声が、ふと脳裏をよぎる。いいじゃないか、この車のおかげで、僕は家族サービスも満足にできるし、あずさを隆さんのところにも連れて行ってやれるのだから。
 小さく頭を振り、ひとつため息をついて、僕はセレナの運転席に乗り込んだ。

 柏駅の近くで拾ったあずさは、助手席に座った途端、おはようではなく、ごめんねと言った。
「なんで謝るんだよ」
「せっかくのお休みに、2日もお兄ちゃんをつきあわせちゃうの、何だか悪くて。子供たちと遊びたかったんだろうな、って思うし、月曜はまたすぐ仕事なのに」
「ああ、月曜なら大丈夫だよ。俺、有休取れたから」
 これは本当だった。申請をしてみたところ、いとも簡単に通ったのだ。
「それに、俺だってたまには、子供たちと離れて静かに過ごしたいよ」
「お兄ちゃんくらい子煩悩でも、そう思うの?」
「そりゃ思うよ、なんだかんだ言って、いつも自分より、子供たちのペースに合わせてるわけだから」
 子供好きなあずさのことだ、できることなら、自分もママになりたかったのだろう。寂しそうな笑顔に、ふと、そんなことを思う。
 結婚も出産もせずに、愛した相手が今、遠い場所でそっと、灯を消そうとしている。僕だったら、叫びだしてしまいそうな状況に、静かにそっと耐えているあずさが、いじらしくてならなかった。
「じゃあ、行くか」
「うん、お願いします」
 そんなこと、言うなよ。のどまで出てきた言葉を飲み込んで、車を発進させる。まずは、柏インターから常磐自動車道に乗って、北上だ。
「お兄ちゃん、コーヒー買ってきたよ。ブラックで良かったよね?」
 あずさが、ペットボトルのふたを開けて、僕に手渡した。最近、美味しいと話題になっている商品だ。
「おっ、ありがとう」
「ごめんね、すごい距離を運転してもらうことになっちゃって」
「だから、謝るなよ。そんなのいいから」
 うん。短く答えて、あずさは少しだけ黙り込む。赤信号で確かめた横顔は、まるで覚悟を決めたかのように、まっすぐ前を向いて、凛としていた。

〔Part4へ続く〕

見出し画像:tenさんnew dawn

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