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連載小説|パラダイス〔Part5〕

*Part1~13でひとつの物語になります*
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 福島県に入り、少し走ると、いわきジャンクションの案内表示が見えてきた。
 ジャンクションとは、異なるふたつの高速道路を、お互い乗り換えられるようにつないだ、立体的な交差点のことだ。いわきジャンクションは、僕が今、走っている常磐自動車道と、これから乗り換える磐越自動車道を結ぶ。
「こういうふうに、ちゃんと書いてあるんだね」
 緑色の案内表示と実際の道路を、あずさは見比べているらしい。
「今いるのが、常磐道だよね。ここで脇道に入ると、磐越道に行けるってこと?」
「そう、今度は西のほうに向かうんだ」
 答えながら、僕はウインカーを左に出した。本線を逸れてジャンクションへ入り、そのまま磐越自動車道へ合流した。
 福島県を横長の長方形にたとえると、僕の車は今、ちょうど右下の隅だ。ここから、ひとまず長方形の中央まで走る。
「高速道路って、うまくできてるんだね。あたしも、運転免許取ろうかな」
「それ、いいと思うよ、やっぱり車の運転ができると、便利なことも多いから」
「そうだよね。これから、その、隆さんの遺品整理とかね。家のものも、会社のものも、しなきゃいけなくなるし」
 その言葉に、思わず、僕は声を上げそうになった。
 隆さんの遺品整理。あずさは、そんな覚悟までしているのか。
「……なんてね。あたしも少し、運転してみたくなっただけだよ」
 僕が息をのんだことに気付いたのか、あずさは慌てて明るい口調を作り、自分の言葉を打ち消す。けれど、どちらが彼女の本音なのか、僕には訊くまでもなく、わかっていた。

 磐越自動車道は、片側二車線の広い高速道路にも関わらず、制限速度が時速80kmだ。けれど、僕が100kmで走っていても、後ろから容赦なく車が抜いていく。道路がとても空いていることもあり、飛ばしやすいのだ。
 窓から見える山の新緑が、緑濃く、生き生きとしていた。思う存分、光を浴びる、力強い色。街の風景を見慣れた僕の目にも、春の色だとわかる。
 その元気な風景を走っても、遺品整理という悲しい言葉は、耳の奥にこびりついて、なかなか離れない。口にしたあずさも同じなのか、窓の外を眺めて、黙り込んだままだ。
 運転に支障が出ない程度に、僕はつい想像してしまう。
 隆さんのマンションで、彼の遺品を片付けるあずさの姿。フローリングの床に段ボール箱を広げ、クローゼットや引き出しの中を片付けていく、ひとりぼっちの姿。
 ふたりで撮った写真や、旅先で買ったおそろいの記念品、誕生日に贈った、厳選したプレゼント。床に座り込んだあずさは、きらきらした隆さんの記憶を、ひとつひとつ手に取り、ひとつひとつ眺めては、箱に納めていく。かたわらに置いたごみ袋には、何も放り込むことができず、空っぽのままで。
 隆さんとあずさの生活を、詳しく知らない僕は、写真の背景がどこなのか、おそろいの記念品は何を買ったのか、プレゼントはどんなものを選んだのか、まったくわからない。それなのに、頭の中にぼんやりと映るあずさの姿は、どうしようもないほど淋しそうに、悲しそうに感じられる。
 しかも、そう遠くない将来、この想像は必ず、現実になるのだ。
 その時に、僕があずさにしてやれることなど、何かあるのだろうか。どんなことでもいいのだけれど。

 磐越自動車道を1時間ほど走ったところで、郡山ジャンクションに差し掛かった。ここで、また高速道路を乗り換えだ。今度は、東北自動車道に入って、北へ向かう。
「なんだか、やっと隆さんに近づいてきた気がする」
 あずさが、こぼすように呟いた。
「そうだよな、東北に来たんだって実感が沸くよな」
 僕たち兄妹にとって、まったくゆかりのない土地。
 ジャンクションを通過して、本線に入り、少し走ったところで、安達太良(あだたら)サービスエリアの案内板が見えてきた。
「そろそろ給油するから、寄ってくぞ」
「うん、わかった」
 入ってみると、安達太良はかなり大きなサービスエリアで、駐車場も広かった。車を降りて、通路を歩いてみると、4つ並んだ自動販売機の真ん中に、ウルトラマンのオブジェが堂々と立っている。
「すごい大きいね、これ」
 あずさの目が、丸くなった。
 確かに、自動販売機よりウルトラマンのほうが背が高い。僕の子供たちが見たら、きっと抱きついて大はしゃぎだ。夏休みにでも、連れてきてやろうか。
 さらに歩くと、敷地の奥に、木々に囲まれた小さな公園があった。そこから遠くを眺めると、雪を残した大きな山が、きれいに広がって見える。ほんとの空の里、と大きく書かれた案内板に、智恵子抄に出てきた安達太良山だと、詳細が記されていた。
「智恵子は東京に空がないと言う、あだたら山の上に毎日出ている、青い空がほんとの空だと言う。そんな感じの詩だよね、智恵子抄って」
 あずさも僕と同じように、古い知識をたどっていたらしい。
「確か、そんなのだったな」
 国語の教科書で読んだ記憶は、定かではないけれど、山の上に広がる青空は、確かに僕が見慣れた色とは、少し違って見える。同じように春らしい、穏やかな青ではあるのだけれど、僕たちが今、見ている安達太良の空には、くすみがないのだ。
「なんか、気持ちいいね」
 ひとつ伸びをして、あずさがやっと、ちゃんと笑った。

〔Part6へ続く〕

見出し画像:tenさんnew dawn

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