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連載小説|パラダイス〔Part13〕最終回
*Part1~13でひとつの物語になります*
*Part1はこちら*前回はこちら*
日曜日、子供たちを京子に任せて、僕は独りで出かけた。
あずさから、自宅に帰ってきたという連絡があったのだ。隆さんのお骨と一緒に。
「パパ、お仕事がんばってね」
「はやくかえってきてね」
一緒に行きたい、と泣き出すのがわかるので、子供たちには、仕事だとごまかして家を出た。
そのまま車を出して、あずさが暮らすマンションへ向かう。隆さんの車がなくなったから、着いたら彼の駐車場を使ってと言われていた。
「つらいよね、あずさちゃん」
家を出る前に、京子と交わした会話を、ふと思い出す。
「でも、あずさは隆さんと一緒にいて、本当に幸せだった、って言ってたよ。パラダイスだったって」
「パラダイス……」
その単語に、京子はそっと目頭を押さえていた。
マンションへの道の途中、京子のお気に入りの花屋へ寄った。隆さんへ供える花を注文しておいたから、受け取って行くようにと頼まれていたのだ。
男の僕には、思いつきもしない心遣いだ。
「枕花とか、お悔やみって言わないで、大人の男性向けのお花を作ってください、ってお願いしたの。華やかなほうが、あずさちゃんにもいいでしょ」
京子がそう言っていた通り、用意されていたかご花は、カラフルで楽しげなものだった。
大きな黄色い薔薇をメインに、淡いグリーンのカーネーションと、スイートピーというのだろうか、小さなリボンのフリルのような、淡い紫の花を合わせて、綺麗な半円形に仕立ててある。僕の目にも華やかで、けれど派手すぎず、隆さんに似合いそうだ。
その花を抱えて、訪ねた彼とあずさのマンションは、7階建ての、どちらかというと質素な建物だった。エレベーターで3階に上がり、一番奥の呼び鈴を押す。
「お兄ちゃん」
顔を出したあずさは、泣いてはいないけれど、目の下のくまや、腫れたまぶたが、やはり痛々しい。かご花を差し出すと、京子ちゃんからね、と受け取りながら礼を言った。
帰ってきたばかりだから、まだ何もないの。そう前置きをして、あずさが僕たちを通したのは、12畳ほどのリビングだ。ダイニングテーブルに4脚の椅子、90度に配置された二人掛けのソファがふたつ。あずさが独りで使うには、多すぎる。
その、ふたつのソファが囲む位置にある、長方形のローテーブルの上に、アイボリーの和布に覆われた、四角い箱が置かれていた。金銀の細い糸の刺繡と、白い飾り紐。あまり目にした経験のない僕にさえ、骨壺を納めた箱だとわかる。
あずさは、その箱の横に、僕が持ってきたかご花を、捧げるようにそっと置いた。
「明日、葬儀屋さんに連絡するから、うちにもお骨を置く祭壇、作ってくれるように頼むんだけどね。今は、お線香も何もなくて」
その言葉を受けて、僕はそっと、隆さんのお骨に手を合わせた。妹を、本当に大切にしてくれた、あたたかい人。こんなに小さくなってしまった、その現実を目の当たりにすると、もう受け入れるしかない。
ありがとうございました。目を閉じたとき、僕はごく自然に、その言葉を口にしていた。
その後、ダイニングテーブルの椅子に座ると、あずさがお茶を淹れてくれた。
「隆さん、緑茶が好きだったんだよね」
そう言いながら出された、若草色の大振りな湯飲みは、厚みがあり、僕の目にも良いものだとわかる。添えられた白い和皿には、パウンドケーキが一切れ、ちょこんと乗せられていた。
「いちじくのパウンドケーキなの。秋田から戻ってくるとき、前にお兄ちゃんと行った、象潟(きさかた)の道の駅にまた寄ったから、買ってきたんだ。天気が悪くて、海はあんまり、きれいに見えなかったんだけど」
隆さんが最後に、自分の足で歩いて見た、象潟の海。
吠えるような悲しい声で、あずさが泣いた海。
「悲しいけど、でも、あたし負けないからね。最後に、ちゃんと隆さんに会って、お別れできたから」
僕の顔をしっかりと見て、妹は一生懸命に笑う。
「それがなかったら、あたし、切り替えも踏ん切りもつけられなかったと思うの。でも、お兄ちゃんのおかげで、自分の中に、区切りみたいなものができた気がするんだよね」
区切り、か。
「お兄ちゃんには言ったけど、隆さんの隣は、あたしにとって、パラダイスだったの。そこにいて、本当に幸せだって思ってた。でも、その世界がもう終わったこと、はっきりわかったんだ。隆さんに、ホスピスで最後に会ったときに」
きっぱりとした、あずさらしい口調。
「最後に話ができて、ほんとに良かった。きちんと終われたから、あたしは大丈夫だよ。ありがと、お兄ちゃん」
……あずさ。
頑張れよ、あずさ。
隆さんという太陽が消えた、暗い世界にも、いずれ必ず、新しい夜明けが来るんだ。困ったときは、いつでも助けてやるからな。
「あずさには、隆さんの会社を守るっていう、おまえにしかできない使命もあるもんな」
「うん、遺言だからね。絶対つぶさないよ」
きっぱりとした、あずさらしい口調。
「それにね、あたしやっぱり、運転免許を取ろうと思ってるの。車を選ぶときは、手伝ってね」
「任せとけ、値下げ交渉まできっちりしてやるよ」
「頼もしいな、やっぱりお兄ちゃんだね」
僕をからかうように、妹が珍しいことを言う。
まぶたはまだ腫れているけれど、その瞳には、僕が子供のころから知る、あの強気な光が、しっかりと宿っていた。
〔了〕
*最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
*この物語はフィクションであり、登場する人物、場所等は、一部を除き、すべて架空のものです。
見出し画像:tenさん「new dawn」
*tenさん、素敵な作品を使わせていただき、ありがとうございます。
この絵が、悲しい物語に、温かい光を灯し続けていてくれました。