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連載小説|パラダイス〔Part12〕
*Part1~13でひとつの物語になります*
*Part1はこちら*前回はこちら*
≪after that≫
あずさから、再び電話が来たのは、秋田から帰った2日後の朝だった。
『今、連絡あって……隆さん、さっき、亡くなったって』
予想通りの言葉なのに、何と答えればいいのかわからない。そうか、と言うのが精一杯だった。
『だからあたし、今夜からうちの所長と、所長の奥さんと3人で、秋田に行ってくるね。所長が車を出してくれるから』
また僕は、そうか、としか言えない。
『隆さん、ご両親もとっくにいないし、お兄さんも亡くなったから、ひとりぼっちなの。だから、お葬式、会社で出すことになって』
いつもより、少し早口なあずさの声は、意外なほどしっかりして聞こえる。
でも、実際はどうなのだろう。
「おまえ、大丈夫か? いや、大丈夫なはずないけど、でも」
『お兄ちゃんが心配してるよりは、大丈夫だと思う。あたしがしっかりしてなくちゃ』
その言葉を、今は信じるしかなかった。
「なんか決まったり、困ったり、必要なことがあったら、電話かLINEしろよ。なんでもいいから」
『わかった、連絡入れるようにするね』
電話を切ると、僕は自分が、いつの間にか汗ばんでいることに気付いた。大きく息を吐き、麦茶を求めてキッチンに向かう。冷蔵庫を開けていると、子供たちを小学校に送り出した京子が、玄関から戻ってきた。
「今、あずさから電話があってさ。隆さん、さっき亡くなったって」
実際に口に出してみると、その事実は、耳で聞いた時よりもぐっと、重みを増した。
「嘘……まだ、健司とあずさちゃんに、会ったばかりでしょ」
見開いた目が、みるみるうちに潤んでくる。
「早かったよな。あずさは、会社の人と三人で、今夜から秋田に行くって」
「大変だね。でも、あずさちゃんにとっては、独りぼっちでいるより、もしかしたらいいのかもしれないけど」
「ああ、そういう考え方もあるか」
冷蔵庫から麦茶のボトルを、食器棚からグラスをふたつ取り出して注ぎ、ひとつを京子に手渡した。泣き出してしまった彼女が、ありがとう、と言いながらそれを受け取る。
出来事を話したり、飲み物をわけあったり。僕が当たり前に、京子と過ごしている、こんな日常のすべてを、あずさは失ってしまったのだ。パラダイスだとまで言った、幸せのすべてを。
「健司が今から泣いてちゃ、駄目でしょ」
突然、京子がこんなことを言った。
「泣いてる? 俺が?」
「うん、泣いてるよ」
慌てて、僕は目に手を当ててみる。
自分でも気が付かないうちに、流れ始めていた涙が、麦茶で冷えたはずの指先に、生あたたかく触れた。
二度目のにかほへ、あずさはどんな気持ちを抱えて向かうのだろう。その日の僕は、仕事がおろそかになってしまうほど、妹のことばかり考えていた。
あの日、象潟(きさかた)の海で思い切り泣いた後、あずさは帰りの車の中で、ほとんど口を開かなかった。声が枯れたから喋れない、と言い訳していたけれど、本当に枯れたのは声ではない、ということは、僕にも察せられた。
何も食べず、話さず、おまけに眠りもしないあずさに、何とかジュースだけは飲ませることができたけれど、それで力など戻ってくるはずもなかった。
「あずさちゃん、お願いだから、今晩はうちに泊まって」
あずさを乗せたまま家に戻った時、魂が抜けたような表情を見て、京子が言ってくれた。彼女には、隆さんがどんな状態だったのか、あずさの顔を一目見ただけで、すぐにわかったのだという。
「嬉しいけど、私、明日は仕事だから、帰らなくちゃ」
「仕事なら、うちから行けばいいじゃない。大丈夫、職場まで、有休の健司に送ってもらえばいいんだから」
京子のその提案に、あずさが素直に従ったことが、僕にはとてもありがたかった。
本当に、不安で仕方なかったのだ。もしもこのまま、あずさを独りで帰したら……妹が、自分自身を傷つけて、どうにかしてしまうのではないか、と。
秋田に滞在している間、約束通り、あずさは何度か僕にLINEを送ってきた。
ホスピス側に手配をしてもらい、あずさは、会社の新所長夫婦と一緒に、秋田で隆さんの火葬を済ませたそうだ。お骨は自分が抱いて、日曜日に帰ってくるという。
【お葬式は千葉に戻ってから、改めて社葬で出すことになったの】
お通夜や告別式の日程を気にする僕に、あずさはすぐに返事を寄こした。
【社葬って言っても、隆さんの希望で、家族葬の会社版みたいに、社員だけで小さくね。もう所長職は降りたから、それでいいんだって】
自分の命がもうすぐ終わる、と知った隆さんは、きちんとエンディングノートを書いて、残されたあずさや会社が困らないよう、準備をしていたというのだ。
死ぬための、準備を。
子供のいない隆さんは、永代供養となる樹木葬を選び、その手配も費用の支払いも、生前に済ませていたそうだ。小さな社葬の後は、あずさのタイミングで、その墓地にお骨を納めるだけで終わるように。
【気が抜けるくらい、隆さん、全部自分で段取りをつけてたんだよ。あたしに何も言わないで、ちょっとひどいよね】
あずさが、LINEでそう愚痴を言ったほど、葬儀以外のことも、隆さんはすべて、自分で完結させていたという。
ふたりが暮らしたマンションは、所有者は会社で、隆さんが賃貸契約を結んだ形になっているのだが、その家賃も、あずさが望むなら住まわせてほしいと、向こう三年分を前払いして。財産面でも、長年暮らした事実婚のパートナーとして、生命保険の受取人に指定することで、あずさに相応の金額を残してくれたそうだ。
もしも僕が今、自分の寿命の終わりを、はっきりと示されたなら、隆さんと同じことができるだろうか。きっと、死にたくないと落ち込み、京子と子供たちの人生を案じて、でも実際には何もできずに、ただ泣くだけになるのだろう。
そう考えてみると、隆さんの覚悟と、あずさへの愛情の大きさが、少しだけわかる気がした。
〔Part13へ続く〕