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【今週も何とか生き抜いた】 vol.51

(12/16~12/22)

喪失。それでも生きてゆく(若干重め)

Mon.

昨夜見たNスペのことをずっと考えている。
最愛の夫を5年前に亡くした栗原はるみが喪失感と悲しみを抱えながらも、前を向くために何かを挑戦・実践していく、というドキュメンタリー。
わずかでも夫のことを思い出したり語ったりすると自然と涙が出て来ちゃうの、と栗原はるみが始終目をうるうるさせながら語っていた。
それはねぇ、本当に、、本当に本当にどんなに辛いことだろうと思う。
そこまで愛する人と出会えて結ばれて添い遂げられたことは幸せなこと、なんて何の慰めにもならない。
こんなに悲しい思いをするなら出会わなければ良かったかと言えば、そんな訳はないのだし。

番組内で栗原はるみが自分よりも年上の、80代の女性が地方で一人暮らしをしているお家を訪ねていた。
その女性も夫を亡くしずいぶん経つということだった。
栗原はるみがその女性から別れ際に「私はお土産をたくさん集めているの。そのお土産を持って私もいつか天国の夫に会いに行くのよ。今日こうしてあなたと会えたことも私の素敵なお土産(大意)」と言われたと嬉しそうにしていた。

これは「千の風になって」みたいな話だと思った。お土産は夫の元へ届くことはない。お土産ですらない。絶対にない。
でも、じゃぁ現実を見ようよとかそんなことじゃないんだよね。だってこれは祈りだから。
「泣いてばかりいたら天国の玲児さんに怒られちゃうわね」
というのも栗原はるみの真摯で純粋なお祈りだ。だから心を打たれる。
悲しみというものはとても個人的なものだ。他人が推し量れるものでは決してない。だからあんなふうに一生懸命祈ってるひとが近くにいたら、その姿に心を打たれるしか他人が出来ることってないんじゃないだろうか。
栗原はるみがとても悲しいと言いながら夫のことを語る姿は、心底辛そうでたまらないのだけど、目が離せなかったのはそういうことなのかも知れない。
同時に、祈りは太古の昔から人びとがずーっと行ってきたライフハックなんだということを思い知らされる。
そんな、わざわざ言わんでもいいことを、なんだかずっと考えている。

柿が映えるねぇ、最近いただいた小鹿田焼の器に盛ってみる

Tue.

そう、料理家といえば。最近知ったムラヨシマサユキさんが亡くなった。心筋梗塞で自宅で倒れてしまったのだという。
先週末に飛び込んできたニュースだ。
まだ46歳という若さ。私より遥かにお若い。

NKHの料理番組を癒される為だけにたまに視聴している私だが、ムラヨシさんは今年に入ってから知った方だった。
ふわふわした不思議な髪型に丸メガネ、柔らかい雰囲気のムラヨシさん。ソフトな語り口でお料理をするそのお姿に、むしろ強烈な個性を感じて「キャラが、、、なんてキャラが立っているんだ!」と私は一目ぼれ。
その時は「揚げないとんかつ」みたいなゴロっとしたお肉料理を作っていたのだけど、その後ムラヨシさんの他のお料理も見てみたくて、インスタで彼の名前を検索してみると、、、なんとまぁ、ムラヨシさんはパンとかお菓子を作る方だった。
ムラヨシさんの手による、インスタに投稿されていた美しいお菓子たち。
なのになんであの日、NHKでとんかつ作っていたんだろうと思いつつ、やっぱり素敵なひとだなぁと写真に添えられた柔らかいコメントを眺めながら思っていた。

ムラヨシさんについて私が知っていることなんてこれくらいだ。
こんなのんきなエピソードを書いてしまうくらい、急に、本当に急にムラヨシさんは逝ってしまわれた。
ご本人がいちばんびっくりしてるんじゃないだろうか。そのくらい急に。
もっとムラヨシさんのこと見ていたかった。

彼のインスタのを確認したら、無くなる数日前まで写真を投稿されていた。
ああ、ほら。
人はこんなに突然いなくなってしまうのよ。
私の大切な人がある日いきなり姿を消してしまうかもしれないし、私が「急だったね」と誰かに言われたり思われたりすることもあるわけよ。
歳を重ねるということは寿ぐべきことではあるけれど、どんどんこういう経験を重ねることでもある。
分かってるはずなのにさ。
ああぁ、もう!!!
そう吐き出したい気持ちを抑えられない。

Thu.

少し前にアマゾンで注文したキーボードが届いたぞ~!やったーーー!
会社で使う用に、と思い購入。
会社のパソコンは新しいものに変わるたびに、キーボードがどんどん薄っぺらになってとっても使いにくかった。
だって私手がデカイんだもん(つらい)。

なので今回、大昔のオフコン(!)っていうかパソコンのキーボードみたいなキーが深く沈んでカタカタ打てるやつ。これが相当気持ちいいんだよ。この「押してる感」ね!!

キーを押すたびにガチャコーン!ガチャコーン!と音を感じられるのが気持ちいい

私はいつも会社ではイライラしながら仕事してるから、その怒りを受け止めてくれるキーボードが必要だったのだ。
これだよ、これえ~。定年まで持ちこたえておくれ、頼むぞ。
ところで、このキータッチのカンジのことを「打鍵感」って言うのね。そりゃそうだろって話なんだけど、そんな言葉知らなかった。聞いたことも言ったこともない。いやぁ、勉強になるわ。

お気づきだろうか。まさかの「スタート」キー

Fri.

15年近く付き合いのあるオタク友達の久しぶりなインスタ投稿が、映画「ロボット・ドリームズ」の感想だった。
彼女らしい言葉で暑苦しい文章(褒め言葉)がとても早口で語られていて(文章なのに早口だと感じ取れてしまうオタクの語り)、へぇソレ気になるじゃん。
なんだけど、私はジェイミー・ベルを再発見して歓喜した「リトル・ダンサー」を観に行きたいのでネットでチケを予約しちゃうよ。
が、しかし。ちょうどいいタイミング時間での上映がなかった。無念…
と思ったら「ロボット・ドリームズ」の上映があるじゃないの。
あ、これオタク友達がインスタで言ってたやつだわ、彼女のお眼鏡にかなった作品なら(彼女は本当にメガネを常用している。「私の顔はメガネをかけて完成するのだから」とコンタクトを装着しながら伊達メガネを掛けちゃうくらいお眼鏡をかけている)間違いないでしょと思ってチケットを購入。
で、観たのよ。「ロボット・ドリームズ」

映画、素晴らしかったです!
ありがとうオタク友達…!ナイスおメガネよ!

すぐさま友達にLINE。
感想を言い合うお経(のように長い文章を綴った)LINEの応酬が始まった。

(この後ハゲしく内容に言及します。うっかり読んじゃったのなら、そこはゴメンネ)

後日気付いた。実際の2人は互いを見てるのに、2人の影はそれぞれの人生を歩み出してるということを!ああ、なんちゅう映画!(絶賛)

まずね、私が映画を観終えて最初に抱いた感想は
「ちょっとーーー、名曲「September」に何してくれちゃってんのよ!!!」
というものであった。
劇中で何度もリフレインされる「Do You Remember?」。
計算しつくされたタイミングにオリジナルの原曲、或いは口笛アレンジ、或いはジャズピアノソロ。
そんなのさ、
「今後September聴いたら絶対絶対この映画のあんなシーンやこんなシーン思い出して泣いちゃうだろ!!!」
という気持ちと、
「やはりそうか、やはりSeptemberは最強の曲だったのだ。全人類のオールタイムベスト、それがSeptember。間違いない」
という気持ち。
劇中歌はこの曲以外、考えられない。
とにかく今後、Septemberという言葉や歌を聴いたら心が動かされる人生を歩むことが決まってしまった。

ローラーダンスシーンはひたすらにイイ

仲良く暮らすドッグちゃんとロボちゃんの素敵な生活。ニューヨークの名所名物を楽しみながら、どんどん仲良くなってかけがえのない存在になってゆく。
エンパイアステートビルに登ってみたり、クイーンズまで出掛けてみたり、地下鉄に乗ったりホットドッグを食べたりすることも、二人でやればそれは特別な経験になる。
二人が楽しそうにしているシーンはすべてに多幸感があふれていて泣きそうになってしまう。
盛大に流れるSeptemberは二人のパーティーソング。ローラースケートでダンスしているドッグちゃんとロボちゃんの楽しそうな顔といったら!
軽快に、弾けるように、曲に合わせて踊る。踊る。互いの笑顔を見あって踊る。
ああ終わらないで。2人が楽しい、みんなも楽しい。これは最高のパーティだから、この曲もこのひと時も、どうか終わらないで。
それなのに、やっぱりほんの些細なことで二人は引き裂かれてしまうのよ。
そうか、やはりそう来たか、、、。

ロボちゃんは動けずどうしようもないって状況で、現実逃避なのか希望なのか、ドッグちゃんの元へ帰る夢を何度も見る。ビーチで過ごさなければならなくなってしまったロボちゃんはその季節ごとにドッグちゃんと再会する夢を見るのよ。雪を払いながら、花に囲まれながら2人で暮らしたあのアパートに帰る夢を。
そしてバックに流れるDo You Remember、、、("September")
待って。
もしかしてこれが映画のタイトル「ロボット・ドリームズ」ってことなのか!
ご丁寧に「ドリーム」には複数形の「ズ」がついてるじゃないの!!!

映画館で貰ったポストカード。めちゃくちゃ嬉しい…

とても仲の良い2人、互いに互いが心地良い存在の2人。この2人が離ればなれになってしまったら、、、、?
情熱とか信頼とか不安とか、湧き上がる全てのことをドッグとロボットは見せてくれてるんだよな~。
私の2人への感情移入はどんどん広がり、やがてスクリーンいっぱいに私が満ちていく。

あのさ。やっぱりさ。
ドッグちゃんもロボットちゃんも、それぞれ「寂しい」に人生を覆われるんだよ。
そしてさ、そこへ新しい出会いがあれば享受するよな、当たり前だよ。
だからやがて2人がそれぞれに遭遇する新しいパートナーとの出会いを良かったねと思う気持ちと、それでいいの?という気持ちで引き裂かれそうになる。
2人の新しいパートナーつうのがさ、とてもイイ奴なのよ。だから余計に「あああああ」と思いながら映画を見続けることになるんだよね。

Our hearts were ringing
In the key that our souls were singing
As we danced in the night, remember
how the stars stole the night a way, oh yeah

"September" - Earth, Wind & Fire

2人が離れ離れになってしまった時、2人は会えないまま残酷な終わり方をする話はたくさんある。紆余曲折あって再会を果たす話ももちろんある。
これはそのどっちなんだろうと思いながら映画を観ていた。
でもドッグ氏とロボットちゃんの話はそのどちらでもなかった。
互いに相手に出会えた喜びを、相手と過ごしたあのキラキラとした幸福を、それはそれとして大切にしながら互いに今を大切に、かつての自分たちが過ごしたような時間を今の互いのパートナーと慈しみながら生きて行こうね、という答えを出す。
こんなことってあるかしら!
だってこの映画、セリフがひとつもないんですよ!そうそう、すっかり言及すんの忘れてたけど、まさかの誰も言葉を発しない、そんな映画なんだよ〜!

この単純な線とデザインのドッグちゃんとロボットちゃんのお目目に盛大やられる我々観客たち

こんな可愛いらしい見た目の2人が、めちゃくちゃ大人な選択をして生き直す映画だったのでした。

私たちは知っている。
どんなに辛くてもそれでも人生は続いていくということを。
宝物のような日々が確実に存在したのだという記憶は、いつだって自分らしさを担保してくれるのだということを。
そして、私たちは自分で自分を幸せにする義務があって権利があるということを。

おメガネ友達が「(ドッグちゃんが)あんなに簡単に買ったロボットなのに…こんな気持ちにさせられるなんて」とお経LINEで切ない気持ちを吐露していた。
うんうん、本当にそうなのよ。
「彼らの迷いや選択があまりに人生だったよね」
我々の「すごい映画を観ちまった」という高ぶる気持ちを鎮ませるお経は、中々終わらなかった。。。

あとね!!!
これは80年代半ばのニューヨーク、イーストビレッジが舞台なんだよ〜
あの頃の空気感がたまらねえな、の仕掛けが沢山散りばめられていて、私は全てを拾えてないけど、こういうのたまらんタイプの人にはタマランチ会長降臨だよ(80年代的昭和ギャグ)。
マンハッタンの景色も丁寧に描かれていて、ヤンキーススタジアムやツインタワー、ストリートでダンスする若者や地下鉄の改札をすり抜ける若者。そういう、数回しかニューヨークに行ったことのない私でさえ「はいはいはいはい!あのエリアね!」みたいになりました。
そんな眩しさがドッグちゃんとロボットちゃんのお話の合間に挟まれているんだから、もう、最高にグッと来る映画だった訳ですよ。

ああ、持つべきはオタクな友達よ。
この映画に出会わせてくれてありがとう。
うん。こういう出会いがあるんだからさ、生きていこうぜ。

Weekend

今年もトップバッター。さすがに私もテレビに向かって叫んじゃったわよ

そんなこんなで、今回初めて「特定の芸人を応援しながらM-1を観る」ということをやったわ。
それがこんなにも楽しいだなんて。ま、推しコンビが優勝したからそう言えるのかもだけど。でも底抜けに楽しかった。
おめでとう令和ロマン!ありがとう令和ロマン!

優勝を果たした後に「M-1はひとまず卒業」とくるまが言っていたのを聞きました。
ということは、来年の彼らは初めて「M-1をやらない」時間を過ごすんだよね。
特にくるまが、どういう気持ちになるのか、すごく興味ある。彼はどんな風に来年のM-1見るんだろうかしら。
どこかでそういうインタビューとか見れたらいいな。
とにかく、彼らの連覇でM-1は第2章が完結した感がすごくする。
来年からはM-1、第3章。きっとね。

優勝ももちろんだけど、くるまが感情爆発させて喜んでいる姿を見れたのが嬉しかった~!

くるまもケムリも、お願いだから令和ロマンと漫才を楽しく続けて欲しい。
そこに、ずっといる凄み。見せてくれー!


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