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田に立ちて 中原道夫句集『九竅』を読む(15)

「銀化」主宰・中原道夫の最新句集『九竅』(2023年9月発行)を毎月一句ずつ、24回に亘って鑑賞していきます。今回はその第15回です。

雪形の消えかからんを田に立ちて
            中原道夫

中原道夫句集『九竅』所収

『伊勢物語』東下りの段に、次のような歌が出てくる。

時知らぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらむ
(時季を弁えぬ山は富士山だ。いったい今をいつだと思って、鹿の子の斑模様に雪が降り積もっているのだろうか。)

 在原業平の作とされ、後の『新古今和歌集』にも収められているこの歌、おそらくは日本文学史上、雪形というものが初めて登場する作品ではないだろうか。
 精選版日本国語大辞典によれば、雪形は「山腹に消え残った雪の形。農作業の目安にしたり、農作物の豊凶を占ったりした」とある。実例としては富士山の〈農鳥〉が有名だが、他にも兎や馬、鳳凰、種蒔き爺さん等、地域によって様々な形があるようだ。しかし近年、頻発する異常気象や地球温暖化により、古来自然暦であった雪形はその発生時季にずれが生じ、次第に「時知らぬ」ものとなってきている。
〈あの山に馬が出たら耕そう〉〈爺さんが現れたら種を蒔け〉といった旧き良き伝統は、すべて口承口伝によって共同体に代々受け継がれてきた。しかし、企業化や効率化、後継者がいない等の面から、もはや雪形は現代農業の実情に合わなくなり、自然暦としての雪形は今や絶滅に瀕していると言える。

 掲句の主人公は、遠くの山に消えかかる雪形を望みながら「田に立ちて」いったい何に想いを馳せているのだろうか。単に行く春を詠嘆しているのではない——謂わば懐古や無聊や諦念といったものが綯い交ぜとなったような——気持ちをそこに読み取ることはできないだろうか。
 中原道夫には「雪」の句が多い。新潟生れの作者にとって、雪は蓋し身近なものだったに違いない。2001年の作にも〈雪形の爺の加齢の定かなり 道夫〉がある。これなどを読む限り、少なくとも24年前から作者は雪形に表れた地球の異変に気づいていたのかもしれない。(了)

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