桐箱入りの 銀化の俳人005 大嶋康弘
俳句結社『銀化』に集う個性ある優れた俳人たちの秀句を鑑賞していきます。第5回となる今回は『銀化』第一同人・大嶋康弘の一句を鑑賞します。
私たち日本人の間には、桐の箱をとりあえず有難がる「桐箱文化」ともいうべきものが存在している。なんでも桐の木が湿気を調節し、箱内の湿度を一定に保つ効用があるそうだが、それはともかく昔から貴重なもの、高価なものを収納するのに桐の箱を用いてきたことは確かだ。
ところが近現代になり、貴重・高価なものを容れるための桐箱だったはずが、いつの間にか私たちの心に「桐箱に入っているものはみな貴重・高価である」という逆転の思い込みが刷り込まれてしまった。
すると、悲しいかな世の常として、その人心を巧みに利用して商売をする者たちが現れてくることは論を俟たない。
彼らは、けっして貴重でも高価でもないもの——言ってみれば、何だか判らないが珍しいもの、胡散臭いもの——を、さも由緒正しく価値あるものであるかのように演出する小道具として、桐箱を用いるようになった。いわゆる「河童の手」や「人魚のミイラ」あるいは古文書、秘薬などといった類がそれである。
20代の頃、酷い痔になったことがある。その折、藁にもすがる思いで「秘伝の妙薬」と称する民間痔疾薬を、結構な値段で購入したことがあった。そういえば、あの「秘薬」も桐の箱に入っていた。
作者はいったいどんな「秘薬」を購入したのだろう。「亀は万年」と言われるように、不老長寿の秘薬だろうか。はたまた、竜宮城で酒池肉林の時を過ごした浦島太郎よろしく、そちらのほうのもっと艶っぽい妙薬だろうか。
「桐箱」「秘薬」といった言葉から、ちょっとした背徳感を感じるのは私だけではあるまい。だが少なくとも、痔の薬ではなさそうだ。(了)