毒親とは
「とんでもない所に来てしまった」
子どもながらにそう思った。
目の前には新聞紙を丸めて「じぃ~~~~~~~ろぉ~~~~~~っ!!!!」(仮名)と怒鳴りながら次郎君の頭をパコーン!と叩くお習字の先生がいた。
その、お、習字の先生は、
親戚の、お、知り合いか何かで、
母は私をそこへ通わせた。
正確には、断ることが出来なかった、のかもしれない。
今のご時世では丸めたカレンダーや新聞紙で力限り子どもの頭をパコーーーーン!とするのはご法度だ。
今のご時世でなくとも、当時小学1年だか2年だった私も子どもなりに恐怖を覚えたことはしっかりと脳が覚えている。
そもそも、なぜ「字」を習うところで頭を叩かれなきゃならんのだ。
とにかく叩かれたくない。
何がなんでも叩かれたくない。
叩かれない為にはどうすればよいのか。
その時私は「話さない子ども」になった。
とにかく沈黙する。
何がなんでも沈黙する。
返事は「うん」と頷く。もちろん声は出さない。
はい!緘黙症の出来上がり!
ウン数十年後、私の母は私にこう言う。
「親のアナタが何も言わないから!何この字!自分の名前もキチンと書けれないの?!」
どうやら私の息子の書く文字が気に入らないらしい。
読めないわけでもないし、劇的にマスからはみ出しているワケでもない。
全く読めないような文字を書いているわけでもない。
親バカだから、心で気合いで読んでいるんじゃないかって?
多分大丈夫。
きちんと書いた名前のプリントやらテストやら返ってきているのだから。
それでもキチンと書かなければいけないらしい。
そもそも「キチンと」って何でしょうか。
母のキチンとは文字通りの「キチンと」であった。
キチンとしなさい、ちゃんとしなさい、役に立たない人間は価値がない、ダメな人間、ダメな人間になる、なるな、人の役に立たないと、やくに、ヤクニ…………八国ってなんだ?
母の口癖だった。
そもそも「キチンと」「ちゃんと」とは何の基準で、どういう風に、具体的な説明は一切なかった。
それは世間一般的な「ちゃんとしている人」を指しているのか、
そもそも母の思う「ちゃんとしている人」とはどういった人なのか未だに疑問に思う部分もあるが、まぁよし。
もしかしたら私がいわゆる「育てにくい子」だったかもしれない。
もしかしたら物凄く奇抜かつ変人で扱いにくい子だったかもしれない。
母に同情する。
小学5年生の時の担任の先生から衝撃的な一言がノートの片隅に書いてあった。
「私ちゃんは、もっと怒っていいんだよ。」
そうなんだ!私もっと、自分を出していいのかもしれない!
目の前にぱぁーっと道が開けた気がした!
明るい!目の前が明るい!
「その口切ってやる!!!!!!」
大人なんて大嫌い。
絶望した小5の冬。