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誹謗中傷という行為について考えてみた

辞書で言葉の意味を調べてみると、
「誹謗中傷とは、根拠のない悪口を言って相手を傷つけること」と広辞苑には記されている。

「誹謗」単独では、「他人を悪く言うこと。そしること」

「中傷」は、「根拠のない事を言いふらして、他人の名誉を傷つけること」

根拠のない事というのは、想像をめぐらして創作された、事実に反することであり、虚言とも言えると思う。

「誹謗中傷」とは、言い換えると、作り話で相手の悪口を言いふらして攻撃する。ということだろうか?
もし、そんな人が周囲にいたら、まず嫌われるだろう。悪意と敵意だけに満ちた頭のおかしい人だ。

しかしながら、ネットやSNS上にはそんな人が溢れているような話をよく耳にする。
氏名を伏せ、自分の姿も見せず、言葉だけで登場するから他者を攻撃しやすいのだと言われている。
悪質極まりない行為である。そんな人たちが投稿した作り話は直ちに削除すべきである。

一方で、私は疑問に感じる事がある。
「誹謗中傷にさらされた!」と訴える人は、本当に清廉潔白なのだろうか?その人物に対する投稿は、嘘に嘘で塗り固めた作り話しか存在しないのだろうか?
それ以前に誤解を招くような言動はなかったのだろうか?
「瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず」ということわざのように、瓜畑の真ん中で靴を履き直そうとしたり、スモモの実がなる木の下で冠を直そうとしたり、他者に疑念を抱かせるような行為は一切していないのだろうか?

やっていない事を、なっていないと証明するのは難しい事ではあるが、身に覚えのない事柄に対しては、何がどう事実と反するのか声をあげるべきだと思う。なぜなら、それは間違いなく誹謗中傷だからだ。

だが、他者から疑惑の目を向けられるような火種があったにも関わらず「誹謗中傷にさらされた」とだけを言い張る人がいることに、私はザラっとした疑問を感じている。
少なからず根拠のある自身の言動について他者から指摘され、悪く言われたのだとしたら、それは単なる「誹謗」である。
根も葉も無い事実無根を指す「中傷」という言葉を使ってはいけないと思うのだ。

昨今では、傷付けられたと感じる側が、「誹謗中傷」と言い放って、あたかも意見した方が悪であるかのように幕引きさせようとする傾向にあると感じている。

やましい部分を持ちながら、なんの説明もなく、ただ単に「誹謗中傷!だからそっちが悪である」と決めつけるような行為そのものに、狡猾さを感じるのだ。そういう人たちは、得てして、「誹謗中傷を受けた」という事だけをフォーカスして大騒ぎする傾向にもあるようだ。

その根底には、非を相手になすり付け、口封じしようとする魂胆があるのではないか?と、感じる時もままある。

誹謗中傷という言葉を使う時には、身に覚えがあろうがなかろうが、そのひと言だけを用いて済ませるべきではないと考える。
「事実無根。よって誹謗中傷」と、乱暴に済ませてしまう行為には隠れた悪心があるのでは?と、更なる疑惑を抱くし、相互理解から大きく乖離する一方である。

世の中には、全く身に覚えがない事柄に、嘘が嘘を呼んで、それがあたかも真実と誤認されて苦しんでいる人もいると思う。なにがどう事実と異なるのか発信することは非常に大切な事だと考える。その発信を見る者、聴く者は自らの秤で慮る。事実を知る第三者が現れ、後押ししてくれるかもしれない。

誹謗中傷という行為は決してしてはいけない行いだ。同時に、誹謗中傷という言葉を使って反撃に出る場合は整然とした説明をも行わなければならないと考える。さもなければ、「真実」に対して「誹謗中傷だ!」と、こき下ろす、その言葉のほうが「誹謗中傷」になり兼ねないのだ。

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