【短編推理小説】五十部警部の事件簿
事件その35
その小山の頂に塔はあった。
戦前には陸軍の監視所に使われていた、
今は放棄された高さ二十米ほどもある細い塔である。
五十部警部はその内部の急な螺旋状になった、
枯葉や土埃にまみれた階段を上り屋上に出た。
塔の内部は湿った山の落ち葉の匂いが満ち、
ひんやりとしていた。
周囲を見回しながら一周し、
下を見下ろして見た。
見下ろした下の地面に、
うつ伏せたまま動かない、
一人の男の死体があった。
周囲には警官が二人、
現場を保存しようと動き回っている。
二日前に雨のあった晩秋の薄曇りの午後の事だった。
五十部警部はその日、
早朝から久々の山歩きに出かけていた。
トランギアの携帯用調理器具や、
コンビーフの缶詰、乾パンなどを持参して、
その付近をのんびりと散策していた。
10時頃から霧雨が降りだし、
急に冷え込んできたので、
五十部警部は以前から知っていた、
塔へ向かう細い山道が、
生い茂る笹に覆われてはいたが、
まだあるのを見つけ、
笹をかき分けながら塔へと向かった。
塔の内部で風雨を避けて、
昼食の調理をする心算であった。
そこで、五十部警部は、
地面にうち伏した男の亡骸を見出したのだった。
男は年の頃三十前後。
仕立てのいい背広とコートを着用していた。
背広のポケットには札入れが残されていた。
ハンカチもあった。
腕時計は高級そうだったがそのままである。
革靴は甲革も靴底も湿った泥に覆われていたが、
衣服やコートはまだそれほど湿ってはいなかった。
遺体の下の地面も同様であった。
男の遺体を検めていた警官が、
五十部警部に話しかけてきた。
「この人、やっぱり自殺でしょうかね。
ここいらじゃ見かけない都会風ですが。
普段はまったく人の来ない場所なんですがね。
遺体の状況から見ると、
今朝早くにここへ来たはずです。
最初から飛び降りる心算だったんでしょうね。
あの高さなら確実ですからね。
それを誰かに聞いて来たのでしょうか?」
五十部警部はそれを言下に否定していった。
「いや、他殺だろう」
それはなぜだろう?
五十部警部が塔の内部へ入った時、
内部の階段は乾いていた。
湿った泥のついた靴で階段を昇ったのなら、
靴跡が残っているはずだ。
また、男の靴底にも枯葉が付着しているはずである。