【小説】【漫画】最近読んだアレやコレ(19.11.4)
今年の逆噴射小説大賞は五本制限だから、投稿しながらも忍殺感想記事やこのアレやコレも挙げられるだろうなあと思っていたらなぜか勢いで応募期間全日投稿することになり、何もできなかった私です。とはいえ、生活は流れジャンプは発売され忍殺も連載されてるわけで、逆噴射以外の何もなかったかというそんなことはなく、ヨロシサン・エクスプレスで忍殺が最高の形でミステリやってくれたことに感動して泣いたり、ジャンプでハイキュー!!と鬼滅が史上最高におもしろく脳汁が出まくったり、ルイージマンション3でショーウィンドウを叩き割って金品を強奪したり、眉村卓の訃報にがっくり来たりしておりました。眉村さんの『司政官』シリーズは本当におもしろいのでみんな読もうな。
藤子・F・不二雄SF短編<PERFECT版>(1~8巻)/藤子・F・不二雄
今までこれを読んでいなかった自分を恥じてしまう、そんな短編集。人類種は偶に天帝に捧げるべき供物とでも言うべき凄まじいものを作りあげることがありますが、まあ、そういった類のものですね。余りにも高く、凄く、濃く、語るべき言葉を持ちえない。間違いなく今年読んだ漫画の中でぶっちぎりのベストですし、オールタイムベストに数えて当然というそういう代物です。和製SF小説世界には、小説媒体を構成する全てのステータスがカンストしている筒井康隆とかいうバケモンがいるんですが、なるほど、漫画界にもこんなバケモンが……。何が恐ろしいかって、大した内容でもない作品ですら、異様におもしろく読まされてしまうこと。言い換えれば、内容も備わった作品が、どれほど攻撃力になるかってもあります。勘弁してくれ。前述の通り、語るべき言葉がなく、すげえすげえと騒ぐだけの感想になりましたが、なんとか言葉にできる凄さを絞り出すとしたら、世界に向けられた視点の高さ・客観性の高さになるのでしょうか。滅びの未来も、登場人物の思いも、全てを現象として観察し、シミュレートし、綴る。そういった凄み。
セリヌンティウスの舟/石持浅海
推理小説。なんとなく手に取って読んでみたら、大当たりで嬉しみが深かった一冊。石持作品は『BG、あるいは死せるカイニス』『トラップハウス』『アイルランドの薔薇』の三冊しか読んだことがなく、「変な設定のミステリ書く人だな~」くらいにしか思ってなかったのですが、いやーこれは好みどんぴしゃでした。海洋遭難事故で生き残った六名の内、一人が服毒自殺を遂げ、その弔いのために遺された五人がその真相を推理するというお話。まずこのシチュエーションが大好物ですし、何より登場人物たちが行う「推理未満の推理」「感情論でしかない反論」を、正当な推理として押し上げる工夫がめちゃおもしろい。推理小説の歴史は「推理と呼ばれるものの正体が机上の論理でしかないこと」との戦いの歴史でもあり、本作はそれに対する回答の一つだと思いました。推理未満の代物しか組み立てられないなら、それが通じる環境を整えてやればよい。他サイトからの引用になりますが、「ローカル・ルール本格」という呼称がしっくりきますね。同テーマの傑作としては、他に宮部みゆきの『ソロモンの偽証』などが挙げられるでしょうか。
吾峠呼世晴短編集/吾峠呼世晴
ジャンプで絶好調連載中、アニメも絶好調完結中で、何だか令和を代表するジャンプ漫画みたいになってきた『鬼滅の刃』の人の短編集。どの作品も久しぶりに読んだのですが、やっぱすげえ独特ですね。才気が煥発しておられる。吾峠先生の凄さは、「人間ドラマを物理現象のように観察・操作する冷徹な視線」と「既存のエピソードの意味づけを一瞬で裏返す構成」の二つにあると思っていまして(余談ですが、ゆえに『鬼滅の刃』ってすげえミステリっぽいんですよね。要はパズル+どんでん返しなわけで。半天狗戦とかフィニッシング・ストロークのお手本だと思います)、『鬼滅の刃』、その中でも特に今やってる最終章は、その二つが最高の品質に磨き上げられ、かつ完璧なマリアージュを成している傑作だと思います。それに比べると、確かにこの短編集の作品はどれも粗削りであったり、いずれか一方に極端に傾いていたりするのですが……ゆえに、その二つの武器の威力、むき出しになった原液にたっぷりと酔えます。『過狩り狩り』の鬼と人の生態系に向けられた冷たい視線に凍え、『蝿庭のジグザグ』の主人公の動機が明かす善意の真相に痺れましょう。
ジャイロモノレール/森博嗣
新書。その詳細が失伝し、現代において無用の長物となったロストテクノロジー……ジャイロモノレール(ジャイロ効果による姿勢制御を行うモノレール)の世界で唯一の専門書。私は、新書を読む文化がないので、まあ、完全に作家読みですね。森博嗣先生は、小説家である以前に森博嗣という人であり、小説にこだわらず(何にもこだわらない)色々書いているのです。「何かの役に立つ」という視点を度外視し、「おもしろいから」という動機一つで、役に立たないロストテクノロジーを蘇らせるという作者の姿勢がひたすらロマンにあふれており、かっこいい大人は背中で語るを地でやっています。ももも、森博嗣~!うお~!ってなりますね。しかし、この本を読んで、よ~し俺も何か個人研究してみよう!ではなく、「キャー!森博嗣先生が森博嗣先生しておられるわ!解釈一致!」って黄色い声援あげてるだけの私は、なかなかしょうもない読者では……?ファン精神はテキスト読解の妨げとなる好例ですね。文章の表面に張り付いた森博嗣のキャラクタだけを消費しており、本質にたどり着いていない。深く反省せよ。