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【小説】逆噴射の荒野に挑む私を打ちのめした恐るべき五人のマリアッチ

 10月後半は逆噴射小説大賞にに注力していたため、ノーマルな記事を全然書けなかった私でございます。パルプ小説冒頭400字という厳しいメキシコの荒野は、油断をすればすぐに行き先を見失い、他の参加者の銃弾に脳天を撃ち抜かれる危険な土地。安寧と灯を求めた私は、馴染みの店舗こと我が家の本棚にいるマリアッチたちの立ち振る舞いから生き残る術を見出そうとしたのですが……五分後、そこには全身を蜂の巣にされ転がる死体が残るのみでした。#逆噴射小説大賞でわかったこと プロの小説家は化け物。そんなわけで今回の記事は、逆噴射小説大賞募集期間に参考にしようと読んでみたけど凄すぎて全然参考にならなかった好きな小説の冒頭五つです。

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グラン・ヴァカンス 庭園の天使Ⅰ/飛浩隆

 鳴き砂の浜へ、硝子体をひろいにいこう。
 その朝、ベッドの上で目を覚ましたとき、ジュール・タピーはそう決めた。


(グラン・ヴァカンス 庭園の天使Ⅰ、飛浩隆、ハヤカワ文庫、第2刷、p.9)

 こんなん真似できるわけねーだろふざけんなぶん殴るぞ!とぶち切れ嗚咽し、ゲロを吐き失禁するしかないあまりにも凄すぎる冒頭二行。原文では硝子体にはグラス・アイのルビがふられております。私は初め先の引用文を「硝子体(グラス・アイ)」と書いたのですが、「鳴き砂の浜へ、硝子体をひろいにいこう。」の完全な一文を乱すことがどうしてもできず、やめました。文章の流れ、句点と読点の配置、漢字とひらがなの使い分け、読み上げた時の音の響き、文字列という映像情報としての美しさ……毛一筋ほどのゆらぎもなく、文字のはらいの先の先にまで浸透した創意と美意識。たった二文にみなぎる強烈な厚み。これこそが「本物」の文章なんだということをわからされますね。あと飛浩隆と言えば、先日待望の、本当に待望の、本当に本当に待望の新刊『零號琴』が刊行されたわけですが、これの冒頭もとんでもない代物でして、その強打に意識を失った私は未だ一ページ目から進めておりません。


牙の領域 フルコンタクト・ゲーム/中島望

 昼下がりの地下道は獣のにおいがする。
 場違いな野生動物の体臭、食欲の対象として自分の命を狙う邪悪な意思が、薄暗く澱んだ闇に潜み、高密度で溶けている。


(牙の領域 フルコンタクト・ゲーム、中島望、講談社ノベルス、第1刷、p.9)

 中島望の小説は、目が眩むほどの怒りと、舌を噛みちぎるほどの絶望と、大気いっぱいに満ちた暴力と、そしてほんの少しのイノセントでできている。『牙の領域』の冒頭はそれらの成分が理想の割合通りに混合されており、中島望がどういう小説を書くのか?と問われたならば、これを見せればそれで済むと私は思う。しかし凄いですね。本気だ。本気で、怒りがこちらを向いている。作者の冷え切った眼光と指先、そしてその内で燃える強烈な激情と衝動を感じさせるこの書き出しは、まるでパルプの獣が獲物(読者)に飛びかかる寸前に身を縮めたようで、何度読んでもビクリとひるんでしまいます。また、その攻撃意思に偏りすぎた前傾姿勢が醸し出す独特の滑稽味、ちょっと気恥ずかしさを覚える「隙」も何とも悪魔的な魅力を放っているんですよね。野生の獣は凶暴で恐ろしく、でもモフモフしててちょっとだけカワイイ。私の考える「パルプ小説の冒頭」として、これを越えるものは思いつきませんね。


さよなら神様/麻耶雄嵩

 「犯人は上林護だよ」
 俺、桑町淳の前で神様は宣った。


(さよなら神様、麻耶雄嵩、文春文庫、第1刷、p.8)

 コンセプト枠。推理小説なんて型にはまった伝統芸能だと安心しきっていたお前は、冒頭一行で真相をネタバレしてくる麻耶ミステリの型破りに脳天を撃ち抜かれ、死ぬ。これはちょっと説明が必要ですかね。『さよなら神様』の名探偵・鈴木太郎くんは全知全能の神様であり、事件が起こる前に犯人の名前もトリックも動機も何もかも知っています。そのため、推理という過程を踏むことなく、冒頭一行目、事件が発生するよりも前に犯人の名前を宣告できるんですね。通常の推理小説は、謎という不条理を前に「これはどういうことなのか?」を考えるわけですが、本作はその逆、真実という不条理を前に「どうすればこの答えに辿り着くのか?」を考えるわけです(その点で、いわゆる「倒叙もの」とも異なります)。私も今回逆噴射小説大賞に投稿するにあたって色々変な推理小説を考えてみたわけですが、やはり「途中式を問う虫食い算」とでも言うべき本作のコンセプトとアイデア、それによって生まれる開幕一行の衝撃は圧巻という他ありません。


阿修羅ガール/舞城王太郎

 減るもんじゃねーだろとか言われたのでとりあえずやってみたらちゃんと減った。私の自尊心。
 返せ。


(阿修羅ガール、舞城王太郎、新潮文庫、第二刷、p.9)

 冒頭の強さという点で舞城王太郎作品はほぼ無敵と言ってよく、『ディスコ探偵水曜日』の「今とここで表す現在地点がどこでもない場所になる英語の国で生まれた俺はディスコ探偵水曜日。」とか、『SPEEDBOY!』の「線の上を走り続けるのは難しいが空中に並んだ点に順番に体当たりするのはたやすい。走るとき、僕の意識は足にはなくて胸にある。」とか、まあどの作品も充分ここに挙げるに足る逆噴射小説大賞投稿者殺傷能力を備えているわけですが……まあ、選ぶならやっぱり『阿修羅ガール』のこれですね。開幕一行即銃撃戦。出会いがしらに一息の間もなくこちらの顔面を撃ち抜く拳。文章がいきなりトップスピードでぶっ飛んでいくさまはさながらバキのゴキブリダッシュです。舞城王太郎独特の「登場人物の頭ん中の考えそのまま文体」の没入感によって足元の床がフッと消え、一瞬の浮遊感の後、いきなり強烈な速度の中に投げ出されるこの気持ちよさよ。


虚航船団/筒井康隆

まずコンパスが登場する。彼は気がくるっていた。

(虚航船団、筒井康隆、新潮文庫、第二刷、p.8)

 参考になるわけねーだろ!ふざけんな!というか筒井康隆を参考にしようする方が間違ってんだよこのアホが! 文句なしの「日本語遣い」の頂点、天才の中天才、GOD筒井康隆によるはるか天上の御業にひれ伏すのみでございます。なんというかもう、「逆噴射小説大賞の参考にしよう」という発想でこの本を開いてしまったことを恥じ、腹をかっさばいて死ぬべきでは?と思えるほどの圧倒的凄さ。ステータスの「アイデア」値がカンストしている怪物と、「文章力」値がカンストしている怪物が、同一人物だという奇跡。というかこの冒頭の凄さについて自分の言葉で語ろうとする行為がもうナンセンスじゃないですか。そりゃあ、異様だとか衝撃的だとか本当に凄い書き出しはどこまでもシンプルだとかまるで神話が始まったかのような強烈な「物語の始まり」が匂い立つとか言葉を尽くすことはいくらでもできますよ。でもそんなの群盲宇宙を撫でているだけです。手作業の点描で宇宙一つ分の情報量を表せるわけがない。「まずコンパスが登場する。彼は気がくるっていた。」 この冒頭について、この二十三文字以外の全ての表現行為は無為だと私は思います。