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部屋とCLANNADと私

またまたお久しぶりです。Re:eです。

世の中まだまだ下手に外出すると処刑されてしまうような殺伐としたステイホーム世紀末時代に突入していますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか?

この煽りを受けて私もトレーニング以外は最低限の補給以外、極狭のマイルームに己を軟禁してアニメにソシャゲ、酒だけを消費し続け、ダメの限りを尽くしている次第です。

さて、前回SHOW BY ROCK!ましゅまいれっしゅ!!のレビュー記事をダラダラと書きましたが、思っていた以上に色んな方に読んでいただいて評判が良かったので今回もあるアニメのレビュー……というかその作品の視聴を通して私の身に起こった肉体的症状と精神的変化についてレポートしていきたいと思います。

今回のテーマとなる作品はタイトルでお判りの通り



『CLANNAD』です。

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最初に言っておきますが、今この記事の冒頭を書いているだけでも色んな場面がフラッシュバックしてしまい意識を保つのもやっとな状況です。

この記事を書き上げる頃にはこの世に私は存在できないかもしれませんので、この記事が私の遺書とならない事を切に願っています。


それでは気を取り直して参りましょう。


CLANNADは2004年に発売されたKey制作による恋愛アドベンチャーゲームで、今までにPC,家庭用〜携帯用の様々なハード版,アプリ版でもリリースされた大人気ゲームです。2007年には東映アニメーション制作により劇場アニメ化、同年に京都アニメーションによりTVアニメ化されており、円盤売上は驚異の2万4千枚を超える歴史的ヒット作品。

私には詳しい事情は分かりませんが、知人のオタクから事あるごと怒り狂ったように絶対東映版と間違えないように!と強く釘を打たれておりましたので、今回視聴したのは京アニ制作によるTVシリーズ版です。

さて、なぜ今になって私がCLANNADを視聴するに至ったかというと、私は2011年に日本へ亡命しそれまでは佐賀(SAGA)というアジア圏の外国で暮らしていました。

当時佐賀では深夜アニメの放送がほとんどなく、人気作品の放送も半年遅れが基本。さらにオタクへの理解も乏しく、オタクであることが他人に知られてしまうと魔女狩りならぬ"オタク狩り"が執行される国でしたので、私が日常的にアニメを観るようになったのも日本へ亡命し、東京で新たな生活を始めた2011年からでした。

そのため2010年以前のアニメに明るくなく、過去の名作に触れる機会も今までほとんどありませんでしたので、この自粛期間をいかに有効的に使うかを考えた時に、これは歴史的名作アニメをインプットする時間に充てるしかないと思うに至ったわけです。(他にやるべきことしかない)

私は今までKey原作アニメはCharlotteをリアルタイムで視聴し、2年前にAIR,Kanonと順に視聴していましたが(Rewriteは1クールでリタイア)、Kanonを初めて視聴した際のあまりの衝撃によって、それ以降の作品を観ることをずっと躊躇っていました。

さらにはCLANNADを勧められるたびに『CLANNADは人生だから』とただならぬ圧で口を揃えるオタクたち、アニソンのクラブイベントに足を運べば『刻を刻む唄』『だんご大家族』で泥のように倒れ込み、地面と同化するオタクたちの姿を目の当たりにしては恐怖心を抑えずにはいられませんでした。

それと同時にKanonで受けた衝撃を超えるイメージを持てなかった事と、オタクはすぐに"エモい""デカい""尊い"などつい大きな事を言ってしまう生物なので『言うてアニメだし人生は大袈裟すぎでしょwwwww』と周囲の声に反して期待を超えられないのではないか?という疑念を拭えずなかなか視聴するタイミングを掴めずにいたのです。

実は今まで何度かCLANNADを観ようと試みたこともありましたが、序盤のKey作品独特の特徴的なギャグパートの寒さがあまりにもキツく、数話でのリタイアを繰り返していたため、今回の自粛期間はCLANNAD+AFTER STORY全44話を一気に駆け抜ける最大のチャンス!この機を逃せばもうCLANNADを完走する機会は訪れないだろうと思い、今回強い意志を持って視聴を開始しました。


CLANNAD(1st Season)

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さて、意を決して視聴を開始した私ですが、今まで克服できなかった寒いギャグ多発地帯を抜け、容赦ない冒頭のヒロインとの出会いイベントラッシュに脳が混乱。

キャラクターデザインも今風とは異なるため、各ヒロインの顔と名前を一致させることにたいへんなカロリーを使い、何とか各キャラを認識するため再生しては巻き戻して……といった作業を繰り返しました。

今思えばこの作業を繰り返していたことで、冒頭の伏線をしっかり記憶できた良い機会だったなと後にこの行動が功を奏すことになります。

全てのキャラを記憶した頃にはKey独特のギャグにも免疫がつき作品の雰囲気も体にも馴染んできましたが、おいおいちょっと待ってくれよと……


なんだこの日常アニメは?????



聞いていた話と違います。ただの学園ハーレムアニメやないかと。

人生?????やっぱりオタクは大袈裟なんだよなぁwwwww

そう笑っていたのも束の間。物語は最初のメインエピソードである伊吹風子編に突入。

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ツイッターでCLANNAD人生やれんのか煽りを繰り返していた私の手が止まります。

今回ネタバレは控えたいと思いますのでメインシナリオについては言及しませんが、風子編が終わった頃には目の前の長机の上に大量に涙をふき、鼻をかんだと思われるティッシュの跡がおびただしく転がっていました。

そこからの自分に何が起こったのか覚えている限りでは、各ヒロインのエピソードが進行するたびに手が徐々に震えだし、不意に意識に反して視界が曇っていきます。

時折挟まれる、ある他の登場人物の回想シーンと本編との繋がりを連想しては、これから訪れるであろう迫りくる何か大きな存在の予感に動悸、息切れなどの症状が見え始めました。

そうして1日にしてやっとの思いでCLANNAD第1期の視聴を完了した私。この時点での感想としては、たいへん面白い作品であることを受け入れはしましたが"人生"を感じ取れる要素を見つけることはできず、今まで私にCLANNADを勧めたオタクの発言の数々に未だ疑念を拭えずにはいられませんでした。

その時の私の様子がこちらです。

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青春の1ページを切り取った部活物としては素晴らしい出来のアニメかとは思いましたが、果たしてこれで"人生"と呼べるのかと、私は震える手を抑えながらもまだ信じれずにAFTER STORYへと足を進めることを決意したのでした。


CLANNAD AFTER STORY(2nd Season)

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さすがにこのキービジュアルは今までもよく目にしました。

1期とは何やら状況が違いますね。メインヒロインである渚ちゃんが少し大人の表情で生活感に溢れています。1期で暮らしていたご実家のパン屋とはおそらく住居が違いますし、キービジュアルの時点で様々な展開を想像してしまい、手だけでなく全身が震えてきます。

AFTER STORY視聴開始をツイッターで報告するやいなや、『Re:eくんが死んでる姿が目に浮かぶ』『死ななくてすんだのに』『遂にきたか……』などと僕の死を予感させる声を多数いただきました。


またまた…………(ガクブル)


言うてここまで青春部活物の日常アニメじゃないですか。まんがタイムきらら原作アニメですよ……死を予感させる出来事なんて何も……なかったはずです……。

そう自分に言い聞かせながら恐る恐る再生ボタンを押しました。

ホラーや霊的現象にはめっぽう強い私ですが、ここまでの強い恐怖心を覚えたことは後にも先にも初めての経験になるでしょう。

第1話は日常的な野球回から始まり、なんだよ驚かせんなよ……と安心したのも束の間。めくるめくサブヒロインによるエピソードの嵐。第13話までノンストップで駆け抜けて、目の前の長机を目をやるとそこには前日以上に散乱したティッシュの山。

着用しているTシャツの首元は子どもかと言わんばかりにビチャビチャに涙で濡れ、大きな声と共に泣き崩れる自分の姿がありました。

そこからも泣き崩れて動けない私をよそに、dアニメストアは自動再生を止めてくれません。

第15話、目眩や嗚咽だけでなく平衡感覚に異常が出始め、幻覚や幻聴の症状まで見られるようになりました。

これとほぼ同様の現象がメイドインアビスの"アビスの呪い"であり、深界第三層からの症状と酷似しています。先へ先へと進む冒険者の探究心を捕らえて蝕むかの如く、その呪いは私の体に重くのしかかってきました。

さすがに命の危険を感じたため、全身の力を振り絞りやっとの思いで停止。

約30分に渡り虚無の時間が続き、自我を取り戻した瞬間に再び流れ出す涙。



そして、涙。



正直、作品の内容意外に関して自分の身に何が起こったのか明確な記憶があるのはここが最後になります。

このままの継続は不可能と判断し、リフレッシュをするため私はトレーニングへと向かいました。いつもはウキウキでトレーニングに励む私ですが、この日ばかりは気が気でありません。全くトレーニングに集中もできず、いつも以上の負荷が私の体に乗ってきます。

トレーニングを終えてからも先に進む勇気が湧かず、精神を安定させるためアイドルマスターシャイニーカラーズのライブを視聴。決して気がおさまることはありませんでしたが、頑張る女性声優に背中を押された気がした私は再び大きな壁に立ち向かう決意をしました。

第16話以降、そこから私の身に何が起こったのかを知る者は私を含め誰もいません。

意識を取り戻したのは第21話。つまり最終話の前話です。

時刻は午前3:30。ドンドンとドアを強く叩く音、恐らく外国人と思われる『イマナンジオモテルネ!!!!!』という声により目を覚ました私は叫んでいました。

もうやめてくれ、と。ひたすら声にならない声を狭い部屋の壁に向けて訴えることしかできなかったのです。

その私の目は、流血を疑う激しい痛みを伴いながら腫れ上がり、心臓をえぐり取られていないかと思うほどの強い胸の狭窄感が容赦なく私を襲いました。

さらには全感覚の喪失とそれに伴う意識混濁、自傷行為を繰り返すかの如く人間性を喪失し、その先には"確実な死"が脳裏をよぎります。

これはアビスの呪いで言うところの深界第五層〜六層の症状です。

私は悟りました。



ここは人間が足を踏み入れてはいい領域ではなかった。



と。



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2日の完走を目指していましたが、私には明らかに限界が訪れていました。

最終話を翌日に残し眠りにつくも、一切満足な睡眠は得られず、生ける屍と化した自分がその部屋に横たわり、死臭が充満しているような辛気臭さだけが立ち込めていました。

逃れようなない明確な死を前に、人は無力なのです。

午前9:00 翌朝目覚めた私の顔は恐ろしく腫れ上がり、その姿はまさに慣れ果て。この挑戦がラストダイブだったことをようやく知ることとなりました。

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そこからの時間の流れは今までに感じたことのないほど緩やかで、ツイッターのタイムラインを虚ろな目で眺めるか、大切にしていたアイドルたちを雑にプロデュースするだけの意味のない時間だけが過ぎ、現実を忘れようとすればするほどその流れは重く永遠のように感じられました。

鉛のような重い自分の体を起こした頃には時計は午後15:00を回っていました。

体にひたすら息を送り込みます。深く、深く。呼吸を繰り返し、十分な水分を流し込んで意識をはっきりと保つように集中する姿はさながら決死の武士のようで、私はその先に待つ死の恐怖に打ち勝つ精神力を無意識のうちに得ていたのです。

迎える決戦の刻、最終話。

私は携帯電話を持てないほどに激しく震える手で最後の力を振り絞り、再生ボタンを押しました。

冒頭、目の前で何が起こっているのか理解できず、消えゆく意識の中で第1期序盤からここまでの出来事を全て細かく思い出しました。

その瞬間とめどなく流れる涙。前日の目の腫れがさらに膨らみます。激しい痛みを掻き消すように目を擦り、画面へと向き合って現実を直視します。

Bパートに入り、私は天に向かうもう1人の自分の姿を確かに見ました。自分の体はここにいるはずなのに。摩訶不思議なことに次に目を開けると、天に向かう自分がベッドに横たわる自分を見ていました。

あぁ、これが最期か。私は理解しました。

真っ白な意識の中、ラストシーンが静かな部屋を鮮やかに照らします。天に昇る私の表情は人生で1番安らかだっただろうと思います。

と同時にその薄れゆく脳裏の中で突然今まで起こった全ての点と点が1本の線で繋がりました。その瞬間ベッドに横たわる私がゆっくりと目を覚ましました。

いわゆる臨死体験。そう、私は一度死んだのです。

物語が幕を閉じ、死を超えた私はただひたすらに涙を流していました。人生で感じたことのない感情が私の全身に流れ込み、自分の人体に驚愕するほどの涙が無限に溢れ出しました。




『CLANNAD、人生じゃん…………』




その空虚な部屋に倒れ込んだ男が、最初に発した一言でした。


最後に

今回CLANNADを視聴して、私はCLANNAD人生とかwwwwwとの煽りを繰り返し、一瞬で掌を返す事を分かっていたので結果まさにその通りとなりました。

が、その行為がいかに愚かであったか私は深く反省しましたので、その罪の禊として現在CLANNADの2周目を視聴しています。

2周目のCLANNADは想像よりもはるかに重く、初回を超えるほどの強烈な辛い体験を今まさに己に課している最中なわけですが、改めて最初からしっかり一つ一つの台詞を追いかけて行くと、いかにこの作品が綿密に作られよく出来たアニメかが分かります。

小学生の頃に初めてマスターグレードのガンプラを買ってもらった時にそのパーツの多さに困惑しながらも、内部の骨組み、機械パーツを組み上げた後に装着する外装があまりに綺麗にはめ込まれていく様を見て、少し恐ろしさすら感じた時と同じ感覚があります。

アニメとしての完成度も今まで何度も聞いてきた噂の通り『CLANNADは人生』そのものでしたし、そう言わしめるにふさわしい作り手側の明確なメッセージと強い意志を感じました。

今回この記事では作品のネタバレを含む作品の根幹には触れませんが、今まさに誰しも昨今の情勢からストレスが蓄積して生活習慣が乱れがちになってしまうことがあるかと思います。

そんな今だからこそ、家族の尊さや今自分がここに生きている奇跡をCLANNADという作品を通して再認識してみるのはいかがでしょうか。

自分が健やかに生きていることだけで幸せに思ってくれる人が少なからずいるのではないかと、この自粛期間1ヶ月で生活習慣が破綻した私でさえ思いましたので、これから健全な生活を取り戻していきたい気持ちで今いっぱいです。

もし次に『刻を刻む唄』『だんご大家族』をアニクラで耳にすることがあれば、私は一瞬で地面と同化してしまうことでしょう。

今まで私と同じようにCLANNADが気になってはいたけどもなかなか触れる機会がなかった方はたくさんいるかと思いますので、今ならまだまだ自宅での生活が続くこの機会に、私と同じ臨死体験をして是非生命の尊さを実感してみてください。

それではまた、生きてお会いしましょう。


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