先生、じゃなかった
少し前に書いた文章にて、作家を全員先生付けしていたことを後悔しています。作家を先生呼びするなんて、編集者でもないのに。でもさんづけも違う感じなんだけど。
ある時、母が父の同僚の奥さんと話していて、母が本をいくつも買って読んでいた、「なだいなだ」氏を、たまたま外出先で見かけたことを、話す時に「さん」付けしたら、いぶかしげに、その方、知り合いなの?うれしそうに話すから知り合いかと思ったわ?と言われて、母が苦笑いしていたことがあったっけ。
英語式で敬称略が楽だよね。スティーブン・キングとかさ。ハルキ・ムラカミもいけるかな。バナナ・Yoshimotoはなんか違う気がするのはなぜだろう。リコ・ムライまでいくと誰だよって感じだし。チカ・Uminoも、実は御作読んだことないのですごめんなさいなのに呼び捨てきつい。
作家って、うっかり先生呼ばわりすると怒りだしたりしそうだからね。学生の時に某パーティーで会った、たくさん作品を買って読んでいた作家に会えて嬉しくてわくわく話しかけたら、論文になんかされたら年寄りになったきがするから嫌だとか言われて、私の親が学費を払っている講師に、あなたなんかが話しかける御方じゃないざます!みたいに追い払われたし。ちなみに作家はイギリス人でまだ生きてるよ!もう書いてないみたい。
日本人の作家でワン・アンド・オンリー的にリスペクトしてるのは松谷みよ子、これは先生と呼んじゃうね。エッセイも、自伝を寓話化した短編集も好き。昔話の再話より、お子さんの実話を童話に昇華した作品が、ぞくぞくするぐらい好き。私設図書館、近くに行動範囲がかすってた時期もあるのに、タイミングがまさに合わなくて、行くことなかったままお取壊しになったことを知った時は、悲しくてあまり考えないようにした。
翻訳家では石井桃子先生(!)がマイワンアンドオンリーかな。なんと最近気づいてみれば、子供時代に夢中になった翻訳児童書、ほとんど石井桃子訳じゃない?と。最近読んだ彼女自身の伝記もすごくわくわくした。このことはまた別に書こう。
清水真砂子さんも、ゲド戦記3冊しか読んでないけど尊敬してる。翻訳の頂点の一つだと思う。個人的には、英語の原書より好きです、清水さんのゲド。
ハルキ・ムラカミは、品川猿の市役所職員たちの話と、海辺のカフカのポン引きトークのカーネル・サンダースに私は熱狂します。なにもないところから、違う世界への扉をこじ開けてくれた瞬間だと思ってる。最近の作品は、チャンドラーへのオマージュがすぎるだろうとか、なんか開かない扉の前で手探りしてるようでがっかりもしたけど。
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