少し肯定された気がした日
今まで僕はたくさんのことに興味を持ち、やってみて、飽きてきた。
動画を作りたくて買った10万円のカメラレンズと、MacBook Pro。結局2、3本動画を作って辞めた。
楽器が弾けるようになりたくて買った3千円のウクレレ。部屋の隅っこが定位置で、たまに僕に使われるくらいだ。
絵を描くぞ!と思い立った次の日に買いに行ったスケッチブックと色鉛筆。久しく触れていない。
今までこのようにたくさん試しては辞めてきた。それが少しコンプレックスで、次こそは続く気がする!といつも思うけど結局いつも通りだった。
今の僕なら分かる。別に続かなくてもいいし、その時々の興味のアンテナに引っ掛かったことをしておけばいいということを。続かなくても「あぁ、また続かなかった。俺には覚悟ないんや。」なんて思わなくてもいいということを。続かないことは悪いことではないし、必ずしも続くことが良いということでもない。また、覚悟がないから続かないということでもない。分かっている。
でも、いつも心のどこかで何かひとつを極めている人に憧れ、近づこうとしている自分がいた。分かっているつもりだった。
しかし、先日今までの僕の人生が少し肯定されたように感じられた日があった。
友達主催のイベントでカメラマンとして参加させてもらったのだ。
僕は旅行が好きで、”綺麗な景色を綺麗な写真に収めたい”という気持ちから少し良いカメラを持っていた。そして、動画を作ると決めた日に撮影用で良いカメラレンズを買っていた。それほど頻繁にカメラで撮影することはなかったが、少し遠くに遊びに行くときなどはよくカメラを持って行っていた。そんな写真をインスタで自己満程度であげていたのだった。それをたまたま見ていた友達が僕を誘ってくれた。
人生って本当に偶然の重なりだと感じた。僕がインスタで写真を載せていなかったら。動画を作りたい!という衝動に駆られ、勢いでカメラレンズを購入していなかったら。もっというと、僕がたくさんのことに興味を持ち、始めていなかったら。
どれかひとつが欠けていれば、あの日が訪れることはなかったかもしれない。
もう僕の心のどこにも憧れに近づこうとする自分はいない。むしろもっと色んなことをしていきたい。
もしかするとこの日記のような僕の文章も誰かが読んでくれるかもしれない。それは分からないけど、そんなことは自分が書くための理由にはならなくて、やっぱり僕は今まで通り好きなときに好きなように書いていくことにする。
おかげさまでいつも楽しくやらせてもらってます。ありがとうございます! これからもどうぞよろしくお願いします。