![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/156677235/rectangle_large_type_2_7922c683af03828c82281fd976407283.png?width=1200)
【本誌119話】悲嘆の巷に零るるが故に 感想&考察
※この記事は文豪ストレイドッグスの考察です。
※ヤングエース2024年11月号のネタバレを含みます。
24.10.04感想
栞…楔…次元剥離…目がくるくる…ミンコフスキー空間…特殊四次元…高位概念…頭がぐるぐる…悲嘆の巷…庶…夷狄…もうだめ限界…ぶくぶくぶく………
■栞なるもの
超絶パワーワード!しおり!!
今月の本誌難しすぎて芸術的すぎて冷や汗がとまらなーい!昨日の夜からずっとヒーヒーハーハー言いながら情報処理している私の可憐な脳みそちゃん。哀れだわ。なんでこんなことになっちゃってるのかしら。
とりあえずメタ的な解釈でブレイクスルーしていこう。
栞とはなんぞや。栞とは「読者の営み」である。
栞は読者の眼差しと共に運ばれ、読者と本の世界との交わりの証として打たれる符号である。
栞が挟まれた本は、暗にそこに読者がいて今まさに本を読んでいる途中なのだということを伝えている。
読書を「現在進行中」の状況に留めておくための楔、それが栞。
つまりは中島敦。
つまりはゲームプレイヤー。
意味がわからないって方にはぜひ先月の本誌感想の追記を読んでほしいので念押ししとく。この解釈で合ってるかどうかは知らないけど、多少理解は進むはずです。
■ご冗談でしょう、ミンコフスキーさん
もう一個のパワーワードはミンコフスキー空間。断片的に用語を解釈するところから始めなきゃいけなくて今月の感想ちょっとやばめですわ。しばしお付き合いくださいね。難しいよ意味わかんねー!って思うかもだけど、これ以上簡単に説明できないの。本当にごめんなさい。
ミンコフスキーはロシア生まれのユダヤ系ドイツ人数学者。アインシュタインの特殊相対性理論で導き出された「空間」と「時間」が相互に作用し合う関係性について数学的に説明するために理論的な枠組みをミンコフスキーは考えだしました。それが「ミンコフスキー空間」。
本誌に書いてあるとおりだけどわかりやすく言うと、縦横奥で構成される通常の空間に「時間軸」を足した空間のことになります。
なぜ空間にわざわざ時間を足さないといけないかについては特殊相対性理論の理解が必要になります。ChatGPTくんに「中学生でもわかるように教えて」とお願いすれば懇切丁寧に教えてくれるのでそっちで確認してくださいね。
さて、そんなミンコフスキー空間の世界をドスくんは「上位次元」と言いました。それに「特殊四次元」とも。
しかしですよ。
我々の現実世界においてはミンコフスキー空間は特殊でも上位でもなんでもなくて、目の前の世界のとても自然な状態のことを指している。だけど作中にいる彼等にとっては、ミンコフスキー空間は上位であるらしい。
彼等がいるのは時間軸が加わっていない箱型の三次元であり、ドスくんの台詞を鑑みると、どうやら彼等の世界の外側に「時間軸が存在する通常の世界」があるようです。
これを言い換えれば、彼等はミンコフスキー空間の下位概念として存在する「本」あるいは「劇場」のような箱の中に閉ざされている存在であるということになります。ここでもやっぱり設立秘話の演劇の話が絡んでくるのよね。
くどいようだけど上にリンク貼った118話の感想考察の追記に関連しそうなこと書いてあるので、未読の人はぜひ読んでみてね。
■裏頁ってほんとはさ
敦くんのメンタルが限界値でかわいそうになってきちゃった。お姉さんたまらなくなって手を貸してあげたくなっちゃうよ。
敦くんの前に何度も差し出される白紙の裏頁。福地と船上で戦ったときもチラつかせていたし、今回も手の届くところに差し出されて、もうあと少しで触れられる…!というところでストップがかかりました。
栞たる敦くんが本の頁に触れたときになにが起こるのか興味ありすぎる。
死者の再生については物語的因果整合性の観点で本当に実現可能なのか気になるよね。神人に吸い込まれた人間たちを復活させたいなら神人にそうお願いすればいいのに、わざわざ頁を使うとは。希望を持たせるようなこと言ってただ躍らせようとしているだけの魂胆が見え見えな気もします。
この頁が本当に効力のある本物の『本』の頁なのか、ちょっと疑わしいよね。実はただのぺらぺらの紙でした、『本』はたとえそれが『頁』であったとしても上位次元にしか存在できないものでした、ぼくが持ってるこれ偽物なのテヘペロっていうのが起こる可能性には要警戒。
■ハイブリットやつがれ爆誕
わーん。やつがれかっこいい~!!そのうち気づいたら推しがやつがれになってるかもしれない、そんな予感がしています。
やつがれの登場の台詞があまりにもやつがれの変化を象徴していてもう胸が苦しい。すごいよ。好きすぎる。
昔のやつこれね。
死を惧れよ 殺しを惧れよ 死を望む者 等しく死に 望まるるが故に
死を望むものは自分にも等しく死が返ってくる、そういう意味よね。ここで言っていることは因果応報の死であってマフィアを殺そうとするものは自らも同じように殺されるだろうっていう感じの言葉。
報復のマフィアとしての台詞でもあるし、復讐の魂を抱えている芥川のもともとの性質を表している言葉でもあった。
だが今回のは違う。全然違うんだ…。
死を懼れよ 殺しを懼れよ 死が無垢なる御魂を弄ぶ時 悲嘆の巷に零るるが故に
死を恐れなさい。なぜなら、無垢なるものの無実の犠牲は、我々の心を痛め、人々を悲ませるからだ、なのよ。弱きものを護ろうとする正義の精神で溢れかえってて、もうこれだけで泣けるやろ。泣きながらご飯10杯食えるやろ。
それからね、文ストにしては結構珍しいなあと思ったのは「巷」と「庶」という言葉だったのよね。領主としてのブラちゃんの視点がなければ出てこない言葉だったんじゃないかなあという気がしている。
文ストって「社会のため」っていう概念が比較的希薄な印象で、「特定の誰かのため」に比重が置かれていたと感じるから、今回のやつがれの「巷」と「庶」はなかなか新鮮だったなあとしみじみ。
そんでなになに?やつがれ新衣装?
やつがれはもう太宰の外套を着ていない。つまり操る外套は太宰の外套ではなく、吸血種として授かった外套だということになる。となれば、芥川の精神のほうも太宰の軛から解き放たれていると考えるべきかな。
敦は五衰編を通じて院長という師を克服し、新たな師として太宰の幻影を見た。同じくしてやつがれも、五衰編を通じて太宰という師を克服し、新たな師としてブラムの意志を継いでいるようね。
そしてどうやら肉体は吸血種としての能力を残したままになっていて、意識は戻っているけれどもブラムの成分が注入されている。
だから吸血種としての肉体強化の異能を持ったまま、芥川自身の異能も使えて、つまりはふたつの異能を持ったハイブリットと化したってことだよね。
吸血種化した樋口が黒蜥蜴を襲ったときの身体能力を思い出してほしいんだけど、吸血種っておそらく動きがとても機敏で身体能力がとても高い。だから芥川が見違えるように強くなってるのは吸血種の特性による部分だということらしい。
羅生門で作ったっぽい剣と盾もすこぶるかっこよくて、アカン、これでは主人公が芥川になってしまうのではないか、このかっこよさにみんな抗えないだろ…!状態ね。ヒーローへと変革を遂げた芥川を主人公にしたBEAST 2ndに期待してしまう~。
今月ドスくんもすごくてうっとりだったけど、胸にぐいぐい突き刺さってくるのやっぱやつがれだから、私もいよいよ過去の軛たる推しを克服して、新たなる推しへと乗り換えるタイミングか…
貴様は誰だ?という台詞だけが異様に気になるが、空間を操る者同士の対決とその先の共闘に向けてわくわくが高まっていく頃合いですね!
バトルに視点が移るなら、敦くんの謎の方は解明まではしばらくお預けでしょうか。シグマくんが握った秘密も気になるしなあ。乱歩さんの「時の氏神」も発動してほしいしなあ。地獄の峠はもう越えてくれてたらいいなああ。
そういや26巻のお知らせなかったので来月号の分までが26巻に収録されるのかしら。近頃の本誌まじで爆速だから息が……0.5話ずつ進んでたあの頃はまったりしてたな。いよいよ懐かしい。
24.10.15追記
はあ。こんなに頭を抱えるはめになるとは!
あんまり考え切れてなくていまいち精彩に欠ける内容になっちゃうと思いますが、とりあえず気になるところについてぽつぽつ語っていきます。
今月の本誌に出てきた気になるキーワードとして「根源辺縁体」と「影」というのがありますね。
「根源辺縁体」はおそらく本のことですが、BEASTでは「根源近縁体」と呼ばれていました。近縁から辺縁に変わった経緯はわかりませんが、呼び名が変わった…?というのは文ストあるあるだし、「根源に近しいもの」「根源のまわりを取り囲むもの」であることには変わりないかな。
さて、辺縁と影というこのふたつのワードと親和性が高いのがホログラフィック宇宙です。急に宇宙やら物理学の話になっちゃってごめんなさい。当方の趣味でして…
ホログラフィック理論とはなにかというと「世界とは、二次元平面に書かれた情報が投影されたホログラムのようなものである。世界の実体はモノではない。世界のように見えるものは遠いところに書かれた情報の影なのだ」という理論です。怪しい理論に聞こえるかもしれませんが、最先端の物理学に立脚した正統な理論なのでどうぞご安心ください。
無印さんのこの記事がとてもわかりやすいよ。
この理論が文スト世界を理解するのに結構役立ちそうなんですよね。
文スト世界とは「小説のように文字で書かれた世界」なんじゃないの?っていうのは結構ストクラの間でもそれなりに浸透しているアイデアなのではないかなと思いますが、それでも二次元の文字情報から三次元の動く文スト世界を立ち上げるためにはひと工夫必要です。そこで、ホログラフィック理論です。
文スト世界の実体は、世界の辺縁(シャボン玉でいうところの虹色の膜の部分=境界面)に模様として書かれた表層情報であり、そこに書かれた小説の文字の方が世界の根源なのだと考えてみましょう。その二次元の表層情報は、ホログラフィック理論によれば、ホログラムのような形で三次元の空間内部に投影されます。我々が見ている文スト世界は、投影された方のホログラムなのではないか。そんな捉え方ができそうです。
となれば、境界面の二次元情報を書き換えれば自然と空間の内部の出来事も変わっていくことになるので、それがすなわち白紙の文学書の仕組みに通じているのかもしれないなあというのが、現時点でたどりついている考察です。
こんなに難しく考えなくても、文スト世界はゲームの世界だからプログラム言語で書かれていて、白紙の文学書はプログラムを書き換えるために必要な手続きなのだと考える方が手っ取り早いような気も。
神人の「影」については、ホログラフィック理論による影とは少し出所が違いそうな感じがしてます。ホログラフィック理論の影の根源はあくまでも世界の境界面上ですが、今回のドスくんの台詞によれば神人の根源は境界面上ではなく、上位次元にある。つまり外側の別の四次元世界からの投影であるということになりそうです。
どちらも影ではありますが、神人の方は白紙の文学書の支配から逃れている存在であるという感じになるのかな?
とはいえ、ドスくんの言っていることなので話している内容の信憑性はかなり怪しいと考えるのが妥当な気が。
しかし神人に対する説明としてはだいぶ怪しいこの話ですが、敦くんに対する説明としてはもしかしたらある程度、的確なのかもしれません。
敦くんが上位次元に本体を持つ観客(ゲームプレイヤー)なのだとすれば、敦くんこそ「影を叩いて人を殺せますか?」という問いに対して不可能を突き付ける人物であり、それが虎の正体とも通じているように思います。
そこで今月の本誌で出てきたもうひとつの点です。
本誌では「敦」と「虎」は別の存在なのだ、ということが示唆されました。
虎のほうが栞で、敦のほうは栞を宿すための器である、ということらしい。
キャラクターという器に宿っているゲームプレイヤーという考え方で今回も考察を進めてみましょう。すると「生命の輝き」という謎の形容詞にひとつの解が浮かび上がってきます。
文豪ストレイドッグスの世界には生きている人間がいません。
はあ?となるのが普通の反応だと思いますが、文豪ストレイドッグスの世界には架空の人物かすでに死人となっている文豪のシミュラークルしかいないはずなんです。つまり彼等は生命エネルギーとは無縁であり、当然「生命の輝き」なんてものは持ち合わせていない。
しかし、虎には生命の輝きがある。生命の輝きを持っているのが敦ではなく虎のほうであるのは重要な点だと思います。
なぜなら、キャラクターという器が敦で、ゲームプレイヤーが物語の外側にいる栞(つまり虎)なのだとしたら、架空の物語の外側に実際に生きている生身の人間は虎のほうだからです。
キャラクターという器でも演者でもなく、虎として表象されるプレイヤーだけが物語の外側に本物の生命エネルギーを有している。だからそこにある本物の生命の輝きに対して、死者である澁澤は相当な憧れを抱いていたという風に考えられます。
物語は情報の集積ですが、情報化あるいは記号化できない唯一のものが生命エネルギーだということでもあるように思います。
ではなぜ、その姿形が虎なのか。
この点についてはまだ考察が足りてなくてあんまり大したことは言えないのですが、おそらく山月記にヒントがありそうかなあという気もしています。
虎に変身して自意識を失ってしまったほうがおそらく幸せになれるだろうという李徴の考えや、李徴の世俗からの隔絶と理解されない孤独、さらには目の前を兎が駆け抜けた途端に人間の意識を失って喰らいついてしまう野生の本能などなど、そういうところから検討してみるのが楽しいかなあと。
とりあえず好き放題書き散らしてみましたが、もうちょっと情報を待ちつつもまたなにか閃いたらお伝えしていこうと思います!
一カ月がアッと言う間で困る~~。