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分かりあえないないことが前提のグローバルコミュニケーション

■日本人同士でありがちな「分かりあえることが前提」のコミュニケーション

海外で仕事をするようになってから、感じていることがあります。

それは、「分かりあえることが前提」のコミュニケーションか?

「分かりあえないことが前提」のコミュニケーションか?です。

このどちらを前提にするかによって、コミュニケーションの取り方が全然変わってきます。

日本人同士ですと「分かりあえることが前提」のコミュニケーションであることが多いですね。

少し極端な表現になりますが、日本は島国であり、歴史的背景から、単一民族、単一宗教、単一言語、単一文化。

そして、閉鎖的なので移民の受け入れもあまり進んでいないため、いつも同じ日本人同士で過ごすことが多い人種です。

(最近は労働力不足でそんなことを言っていられなくなっていますが)

そのせいか「暗黙知」というか、「阿吽(あうん)の呼吸」というものが存在し、「分かりあえることが前提」のコミュニケーションになりやすく、とかく説明不足になりがちなような気がします。

「そんなこと言わなくてもわかるだろ・・・・」

「そのくらい言わなくても察してよ・・・・」

などなど。

これは、恋人、夫婦、親子、取引先、政治、親子、上司・部下など、あらゆる場面で感じます。

■日本以外では・・・・

一方、一歩日本を出ると、英語が話せるのは当たり前、でも、多民族、多宗教、多言語、多文化なので「分かりあえないことが前提」になったコミュニケーションを取るので、説明が丁寧で、ロジカルで、話し好きが多いような気がします。

これも同じく、恋人、夫婦、親子、取引先、政治、親子、上司・部下など、あらゆる場面で感じます。

■分かりあえないないことが前提のグローバルコミュニケーション

要するに、「分かりあえることが前提」のコミュニケーションは、とかく説明不足になりがちで、誤解を招いたり、解釈を間違えたりして、あまり良いコミュニケーションではないことがわかってきました。

それに比べて「分かりあえないことが前提」のコミュニケーションになると、分かってもらおうと、一生懸命に話しますし、ロジカルに話しますし、丁寧に話すようになります。

何と言っても、海外では、日本では考えられないかもしれませんが、自分の考えや思いを含めて、ちゃんと説明をしないと、一歩間違えたら自分の命にかかわることもありえます。

■「国際会議で最も困難な仕事は、日本人をしゃべらせること」

この二つを比較した時に分かると思いますが、話す「前提」が違うだけで、コミュニケーションの取り方が全然変わってきます。

あなたはどっち派ですか?

もちろん、情緒的部分においては、日本の阿吽(あうん)の呼吸や暗黙知も素敵に働くことも多々あります。

ただ、私の経験から、ビジネスという論理的部分を必要とする場所では、例え日本人同士でも、しつこいくらいの論理的説明があった方が、お互いの理解を深めながら仕事を進めていける気がしてなりません。

ある方がこんなことを言っていました。

The toughest job in international conferences is how to make the Japanese speak up and how to make the Indians shut up.

 「国際会議で最も困難な仕事は、日本人をしゃべらせること、そして、インド人を黙らせることである」(笑)

■まとめ

私の子供も高校からアメリカに行き、今もアメリカの大学にいますが、よく伝えていることは、

「日本では、謙虚さや空気を読むことが大切な場面もある。でも、海外で仕事をしていく上では、謙虚とか空気を読んだりしていたら、あったという間にやられる」と。

私より息子の方がもう海外暮らしは長いのでわかっていることだと思いますが、その切り替えが面倒くさいと思う人は、外国人と話している方が楽とか言ったりもしますよね。

よその土地を訪れた際に、その土地の風習や慣習を尊重し、それに従うのがよいという意味のことわざである「郷に入れば郷に従え」とはよく言ったものです。

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本日もお読み頂き
ありがとうございました。
また次回お会いしましょう。

(追伸)
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