もともと社会不適合で冴えない20代OLだった私が起業をするまで
もともと私は自分に自信がまったく持てなくて、そのくせ社会不適合で、ただただ路頭に迷う、冴えない20代のOLでした。
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こんばんは、ミレディ初期メンバーのNarumiです。
私は約4年前に、知識・人脈・実績・経験・貯金などビジネスに関してプラスになるような持ち合わせが一切ないゼロの状態で、会社という組織から逃げるようにして...
「起業」を目指しはじめました。
今では独立を果たし、当時は未知の世界でしかなかった独立起業も今年で4年目に突入しました。
私の仕事の共通点はどのビジネスでもMacbook1台とネット環境があれば場所を問わずどこでも仕事ができることです。
なので今では国内外問わず、大好きな旅をしながら仕事をしています。
しかし、この 「起業」という働き方に出会う前の私は、好きなことをしながら仕事ができる、そんなワークスタイルがあるだなんて夢にも思っていませんでした。
そんなの理想のまた理想・・・そんなかんじで。
しかしそれ以上に私が伝えたいのは「自分でビジネスをして価値提供をする」という中で自分の思考や価値観、ライフスタイルまでも大きく変化したということなのです。
そして今は毎日に充実感があり、やりがいを感じながら仕事も楽しくしています。
今回は、そんな私の起業ストーリーを綴ってみようと思います。
◇ 「歯車」のようだった会社員時代。
私がまだ地元の外資系企業で会社員だった頃のお話を少しさせてください。
私は大学を卒業後、周りが下ろし立てのスーツを着て新入社員として就職をしていく最中、ずっと憧れだった「海外生活」という夢を諦めることができず、できるだけ若いうちにそんな夢を叶えるため一年間オーストラリアのシドニーへ渡豪をしました。
いや・・・
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"夢を叶えるため" なんてかっこいいセリフ言いましたが、当時の私は会社や企業という組織にはまって働くということがどうしてもイメージできなくて、
そんな現実から逃げるため
だったような気がします。
シドニーで過ごした一年はそれはもう最高で、毎日が楽しくて、異文化が刺激的で、海外の生活にある程度慣れてきた頃からは毎日がパラダイスでした。
そんなパラダイス生活を終えて、帰国。
ずっと逃げてきた日本という現実。これからどうしようか、私の心は一年前と変わらずモヤモヤしていました。
そんな私の不甲斐ない様子を見ていた両親からは、毎日のように「いい加減 "安定した職" につきなさい!!」と口酸っぱく言い放たれ。
私はようやく、地元にある自動車関係の外資系企業に就職することが決まりました。
エンジニアアシスタントという職種で、平凡な収入、ごく普通の会社員。
決まった時間に出社、長時間労働、残業…それが平日の決まったルーティンでした。
外資系企業なだけにとてもフレキシブルな勤務形態ではありましたが、エンジニアが抱えているプロジェクトが終了したその時には超多忙。
プロジェクトの資料がすべてアシスタントに回ってきて、その膨大な英文資料をもちろん英文でまとめなければなりません。
それも与えられる期間はいつもたったの数日間でした。なので、その時期だけは帰宅が終電近くになることもしばしば。
私は女なのでまだ労ってもらっていましたが、男性社員はこの時期になると会社に泊まり込みで資料作成をしてました。次の日みんなの顔はげっそりです(笑)
私へさらにドカンと、重荷を与えてきた場所、それは通勤時の「ぎゅうぎゅう詰めの満員電車」でした。
周りを見渡せば疲れ切って死んだ魚のような目をしたサラリーマン。
くったくたな顔をしたOLさん。
負のオーラに取り憑かれそうになりました。
とにかく、そんな会社員生活に嫌気がさしていたんです。
やり甲斐がなかったわけではありません。でも、企業の中でよく言われるように「歯車」のように働いている自分。
「会社のために」働いている自分。
「自分のために」と言い聞かせている自分。
よく考えるとすごく矛盾していることも分かっていましたが、生活をしていくために "働く=収入を得る" とは、こういうことなのか… こういうことなんだ…!
無理やりにでも納得させて、給料というニンジンをぶら下げられてそれを求めて必死に走り続けている、そんなかんじでした。
でも同時に不安が募りました。
もしこれから先には結婚したり、出産したり、なんて行事があるかもしれませんが今の時代、子供を大学まで送りだすには共働きが世間でも一般的なこと。
このまま定年まで何十年もこの矛盾した想いを持ち続けながら、同じような生活をしていくのだろうか?
不安と心配でいっぱいな毎日。閉塞感もありました。
◇ 私の人生に影響を与えた恩師の存在。
少し話しは変わりまして。
私の人生に大きな影響を与えた一人に、今は亡き「恩師の存在」があります。
出会いは私が大学2年生の頃で、私が当時アルバイトをしていた飲食店の常連さんがその恩師でした。
恩師は私が見るかぎりとにかく「スーパーフリーダムな人生」を送っていました。
✔️好きな時に家族を連れて海外旅行
✔️会社は従業員にすべてを任せており恩師は朝の会議だけ参加
✔️ハワイに別荘あり
✔️高級車を5台所有
私は恩師から何処と無く感じられる、「経済的・時間的・精神的な余裕」というものに惹かれていったのです。
ランチタイム時には週に3回ほど、夜も秘書や社員さん、経営者のお友達、時にはご家族や親戚、お孫さんを連れて月に数回ほど来店されました。
当時私は大学の講義の後は、ほぼ毎日のようにアルバイトへ行っていたので恩師の席を接客することが多々あり、徐々に恩師と気さくに話しをするような関係になっていきました。
そして大学4年生の時のこと、私は周りが就職活動をはじめていく中、どうしても就職をするイメージができず、「今はとにかくアルバイトをしてお金を貯めよう。そして大学を卒業したら一年間海外へ行ってみよう!」と、決めたのです。
もちろん両親は猛反対。「安定した職につきなさい」の一点張りで、私の意見などまともに聞いてくれませんでした。
きっとあの大学4年生の頃が今までの人生で一番、両親と仲が悪かった時期だったと思います(笑)
大人はみんな、
"安定した職につくことが正義"
そう言うんだ。
ある日、これからのビジョンを恩師に聞かれたので恐る恐る大学卒業した後は海外へ行くというプランを話してみたのです。
どうせまた反対されるんだろう、、と思っていた矢先、恩師は私にこう言ってくれたのです。
「海外へ行くって?!いいじゃん!行っておいで!!
日本では得られないような貴重な経験ができるでしょうね。」
はじめて認めてもらえた瞬間でした。
周りがどうであれど、
"自分が決めた道"
を進んでいこうと思えた、そんな瞬間でした。
そして恩師は私が渡豪をする前に、こんな言葉をかけてくれたのです。
Narumiさん
これからの人生ではきっと
たくさんの選択の場があると思います。
それはもう様々な選択をして
その道を進んでいくことになりますが、
・・・
良いものを選択してくださいね。
良いものを見て
良いものを食べて
良い経験をして
良い環境を選んで
そして
良い人を選んでください。
Narumiさんらしく、がんばっておいで!
恩師からの言葉は、これが最期となりました。
実は恩師は半年前から容態が急に悪くなり、検査したところある病の宣告を受けて病院へ通い続けていたそうです。
私が最後に会った時にはもう余命宣告をされていたそうで。
症状もかなり重くなってきていたそうですが笑顔で私をオーストラリアへ見送りたいから病気のことは黙っておこう、と秘書の方へ伝えていたそうです。
私が渡豪した3ヶ月後に、恩師は帰らぬ人となりました。
◇ 恩師の"最期の言葉"が脳裏に浮かんで。
念願の海外生活を終えて帰国をし、就職をしたはいいけれど、私の心は何処と無く将来に対する不安に苛まれる日々。
一年前と変わらずモヤモヤする現実。
負のオーラに取り憑かれそうになる会社員生活。
そんな時、亡き恩師の、最期の言葉が浮かんできました。
"良いものを選択しなさい"
そうだ、もっと自分の内なる声を聞いて、自分がワクワクするような道を進んでいこう。きっとそんな道を一生懸命に走っている姿を恩師も望んでいるはず。
現状に"モヤモヤ"するんなら、もっと"ワクワクするような世界"を自分で創りあげていけばいい。
私は今、そのための"選択"をするべきだ。
◇ 少しずつ「行動」に起こしはじめる。
そして私はインターネットで、【自由 ビジネス 旅 自立 稼ぐ】なんてワードを入れながら情報を調べはじめました。とにかく必死に情報を調べ、模索する日々。
そして私は、ネットを活用したビジネスと出会うことになります。
ブログを書いて収益化をしたり、一個人がビジネスを展開していくために不可欠となるようなマーケティングの手法、個人が認知度や影響力を持ちブランド化していくブランディングスキルなどを徹底的に学び始めました。
必死で、とにかく無我夢中でした。
その学びを深める過程は、もちろんなかなか形や成果へ繋がらず苦しい時期もたくさんありました。
しかし、社会人になってはじめて「生きている心地」がしたのです。
自分自身の成長とともに思いっきりビジネスライフ、人生を楽しんでる!!そんな感情が生まれて、嬉しくなりました。
◇ 徐々に変わりはじめた私の人生。
さらに、ビジネスを通して得たマインドや知識・スキルは一生使えるのでやりたいこと、伝えたいこと、興味のあることなど、あらゆることをビジネスとして活動できるようになりました。
例えば、個人や法人さんのコンサルを行ったり旅先の海外で知り合った方と事業の話しへ繋がったりと、私自身の見える世界が大きく変わりました。
だからこそただ淡々と仕事をするのではなく、
「もっと価値提供をしたい」
「良質な情報を伝えていきたい」
「クライアントさんに貢献したい・応援したい」
といった、使命感や責任感をもって仕事をするようになったのも会社員時代では決して感じられることのなかった心境で、大きな大きな変化の一つです。
◇ "ワクワク"にフォーカスした結果。
そんな中でも一番の変化は「自分自身」でした。
ビジネスを通して、自分の考えを主張したり自己表現をすることで自分のことを改めて知ることができれば理解もできたり生き方を追求したり、本来の内なる声に寄り添い耳を傾けながら正直に生きられるようになりました。
ビジネスを通して得たものはもはや計り知れませんがそれは確実に私自身の「自信」へ繋がり、さまざまなことに挑戦できるようになりました。
好きな時に大好きな旅を楽しめるようになったり、スポーツ好きの起業家仲間と平日の昼間からフットサルやバスケを楽しんだり、好きなタイミングで実家へ帰省したり、もちろんこのミレディの参加を決断できたりと、会社員の頃では考えられないくらいの変化とともに選択肢の幅が、本当に大きく広がりました。
「選択」が変われば「行動」が変わる。
「行動」が変われば「環境」が変わる。
「環境」が変われば、必ず「未来」が変わります。
そうすべては、選択次第。
そんなことの大切さを教えてくれた恩師には感謝してもしきれません。今では感謝の言葉を伝えることもできないので、私の人生そのもので恩師のあの最期の言葉を、しっかりと体現していこうと思っています。
「自分の内なる声に耳を傾けて、
いつだって "最善の選択" を。」
今回は、もともと冴えないOL女子だった私が起業に至るまでのストーリーを書いてみました。
"少しでも現状を変えたい、モヤモヤする..."
そんな方に、当時の私の赤裸々な想いと私が受け取った恩師の言葉が、少しでもお役に立てば嬉しく思います。長編となってしまいましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました!
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Write by: ミレディ初期メンバー Narumi
「自分らしく、自由に生きる」をテーマにした、セカンド起業・独立起業を目指す人のためのオンラインサロンを運営したりビジネスコンサルタント、webマーケター、ブロガー、海外事業などにも従事しています。