日本ではなぜごちゃごちゃしたデザインが多用されるのか
今年のアカデミー賞は、韓国映画「パラサイト」が作品賞含む4部門を制覇し、話題となった。
その傍らで、「日本版のポスターこれひどいよwww」といった話も(定期的ではあるが)ネット上で沸いている。
そう。(このポスター改変の問題は単にゴチャゴチャしているだけではないが、)日本は映画ポスターに限らず、なんだかごちゃっとした商業デザインが多い。
この現象に関連して、面白い投稿があった。
日本ではごちゃっとしたデザインの方が売れるらしい。
なんでなんだろうと、すごく興味深くなった。
日本美術の視点から
私は美術が好きなので、日本美術の視点から考えてみた。
「ごちゃっとした絵」で真っ先に思い浮かんだのが、洛中洛外図に見られる風俗画だ。
(福岡市博物館本の洛中洛外図)
かなりの情報量で、どこを見ても面白い。
反対に、「シンプルな絵」を考えてみた。
禅画だ。
(仙厓 円相図)
そう。「禅」の文化があるのにも関わらず、日本はごちゃっとしたデザインが多用されるのだ。なぜなのか。
詫び寂び(わびさび)では購買意欲に結びつかない
そもそも禅とは何か。
禅は、心を落ち着かせ、空にする。
そうか!
禅は、商業デザインが目指すところとする購買意欲とまったく逆の働きをしてしまうのだ!
「日本には禅文化があるのに、なぜデザインはシンプルにならないのか」と、ずっと思っていた。
しかし逆であった。
禅文化が根付いているからこそ、購買意欲をかきたてるために商業デザインはごちゃっとする必要があったのだ!
日本人は、(映画のポスターに苦言を呈する人も多いように)決してごちゃっとしたデザインが好きなわけではない。
ただ、シンプルなデザインを前にすると無の精神になってしまい、購買意欲がわかない価値観を持っているのだということに気づいた。
デザインの本分は問題解決
「デザインの敗北」と言われたセブンカフェのテプラ問題にも見られるように、どうやら日本人はシンプルすぎるものを見ると心が無になってしまうらしい。
もちろんそんな日本文化をディスっているわけではなく、想像力のトリガーが違うというだけ。
私たちが「情報が多すぎる」と感じても、日本人ユーザーにとってはそれが普通のことなのです。問題は、一つのインターフェイスですべてのユーザーがターゲットとなっていて、ユーザーのニーズに基づいた差別化がされていないということです。
ごちゃっとしていてもいい。シンプルでもいい。
ターゲットが抱える問題を解決できるデザインができていれば。
P.S. パラサイトまだ観ていない。観たいな~。
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