躁鬱病とバセドウ病になった話①

こんにちは。午後茶です。

たまに文字を書きたくなって、絵を描きたくなって、歌を歌いたくなって、すぐやめてしまうのが癖です。

そんな私がガッツリと【躁鬱病】と【バセドウ病】になってから約1年が経過いたしました。

ぽろっとSNSで口にしたりしていたのでご存じの方はご存じだと思います。

毎日書き記している日記にはがつがつとそのことを殴っているんですが、あまりにも殴りすぎて読むとカウンター食らっちゃう感じだったので。

簡易的に備忘録的に、「誰でもすぐなっちゃうんだよ」というのも含めて、ちらりと書きたくなりました。

鬱というものは最近の研究からすると遺伝子レベルでなるならないがあるそうですね。

もう一種の病気だと、「心の風邪」などと他の病気に例えるのではなく【鬱】という【病気】だともっと幅広く知られればいいんじゃないかなと思ってます。

私の場合【躁鬱】というもので、簡単に言えば以下みたいな感じです。

躁「めっちゃ元気な時はそこはかとなく元気でブレーキがきかない。世界中で自分無敵状態。」

鬱「ダメな時は勝手に涙が溢れてきてすぐ死にたくなったり食ことも摂取できない。」

※わかりづらい人はぐぐるか、おとなのひとに聞いてね!

とは言っても、こういうものも普通に滞りなく生活している場合はそう簡単になるものでもないと思います。

(若い頃、もっと激しく情熱的に病んでいたことがある元メンヘラな私なので私基準になりますが。)

例えば、パターンとして、毎日毎日何かの小さなストレスに苛まれて、バケツに少しずつ水が溜まるように、一粒ずつ辛さが悲しさが悔しさが積り、溢れてしまった場合。

例えば、突然思いもよらぬ負の出来ことが起こってしまった場合。

私の場合はどちらもでした。

基本【鬱】【自律神経失調症】【不安定】を生業にしているようなものなので、元気に振舞っていようがそれも演技だと思われてしまうことが多々ある不適合な人間でもあります。(ちゃんとしてるから社会に適合はしてるよ)
ただ、演技もしてなく笑う生活に心配されたり等が繰り返され【どうすればいいのか】という迷路に迷いこんだ時期でもありました。

「普通にしているのに」「楽しいのに」「これがやりたいだけなのに」「怒ってないのに」

私の気持ちの向き先は基本的に配偶者(つまり夫)へとしか向かない生活でしたので、夫の気遣いが悲しくなることもありました。
当人からすれば「気を使って言っている」なんでしょうが、うまく租借ができない家族になっていた気がします。
これが、溜まり溜まったバケツの水。

もう一つ、とてもとても嫌なことがありました。詳しく書くことではない至極プライべートなことなので内容は割愛します。
が、とてもとても悲しく、私は食事ができなくなりました。悲しいことは2つ重なっていて、1つはもうどうしようもできないこと
1つはどうしたらいいかわからないことでした。
前者はもう【泣き倒す】ということしかできなかった為、私はひたすら泣き続けました。
後者は本当に【どうすればいいのか】が別のところから襲ってき、全身の血が凍り、逆さに流れる音を感じました。
初めて指の脈が波打ち立てる音を聞きました。吐き気がして、その場から完全に動けなくなってしまったのです。
それでも夫へはあまりそういう姿を見せたくなかった為「少し体調が悪い」と這いずりながら横になりました。

眠れませんでした。

その後何日も眠れず、お腹も空かなくなりました。
仕事へは行き、滞りなくすべてを終わらせて帰ってきましたが、帰ってきたとて何もできませんでした。
食べてもプチトマトをかじるくらいで、あの時の私はトマトで生きながらえていたと思います。
6月の1日。一人で映画を楽しんだ後から一週間。もう隠すこともできなくなり、病院へ行くことにしました。
眠れず不安の為の動機、震える全身を抑えるはずの両手も震えて止まらず、吐き気もひどく下血もありました。
体重も笑えるくらい減っていったことを覚えています。もう、薬に頼るしかなく夫へ伝え職場から直接病院へ。

少し色々な診断をされ、血液検査をされ、カウンセリングを受けたとき、情けなさで「なぜこんなところにいるのか」と、本気で逃げ出そうと思いました。人によればきっと「そんなことで」と笑われるようなことだと思ったから。
でも、すらっとしていないけれど若い男の先生は「お恥ずかしい話なのですが」と話す私へ
何も恥ずかしいことなんてないですからね」と自分の両手を握りしめながら言ってくれました。
言えなかった事をダムの放水のようにはいかなかったけど、少し夏の水遊び程度の強さで言えたこと、どうして行けばいいか、どうしていきたいかなどのこと。
少しだけ話し、少しだけ泣き、処方箋をもらって帰りました。

帰り道の事は覚えてません。ただ夫に「病院が終わったから帰るね」とLINEで伝えました。
夫は精神的な病気について非常に知識が乏しい為、そんなに深刻だとも思っていなかったように思えます。
また、私がこうなっている原因についても彼には吐露していなかった為、辛さの予想も難しかったでしょう。
精神安定剤と呼ばれるものと、睡眠導入剤を握りしめ家に帰りました。
トマトをかじって、貰ったお薬をかじって、久々に眠った気がします。
おそらく、きっと、眠れたと思っています。副作用で気持ち悪くなったことも、安定剤が効かなかったことも覚えているけれどあやあふやです。

「たすかった」と少し思いました。

多分、手から腕から足から腿から血を流すこと無く済んで「たすかった」と私は思ってたと思います。
包丁を使っていた時、振り下ろしてまな板に刺した時、腕を置いていなくて「たすかった」とも思っています。

ただ、髪は幾何か引きちぎられ、至る所に痣があったのを覚えてます。
昔、爪で腕の内側をお風呂に浸かりながら沢山掻くと、きれいな紫の線が次々出来ていったことを思い出して、ごしごしと擦ってみたりもしましたが、うまくいきませんでした。

私にとっての自傷は「私を私たらしめる行為」です。辛くても目に見えない状態で本当に辛いのか。
眠れないのはそう思ってるだけじゃないのか。など、本当にわからなくなるのです。
だから、傷がついたり髪が抜けたり痣が多いと「私は辛いんだ」と思うことができる。
今の自分を確認する行為でしかありません。脳の時間軸がいつも狂うのです。
昨日のことも、辛かったことも、いつだったのか、今日は今日なのかがわからなくなります。
だから日記を書き、メモを書き、SNSをする。これも、もはや傷跡なのかもしれないです。
(幸い今はそういうことはしていないので安心してください。)

実際に薬は合わずに他の物を処方されることになります。
心の病気は本当に正解を導いてくれないんだなとしみじみ痛感しながら、続きは気が向いたときにもまた。

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