無題

  犬がしきりに入りたがるのでドアを開けると、すっかり物置にされてしまった私の部屋には、また物が増えたようでした。
 夕焼けにそまる部屋のなか、天井からさがったヒモを引いて蛍光灯に明かりをともすと、犬がベッドのわきの段ボール箱をひっくりかえし、ボールのようなものをくわえて、部屋の外に駆けだしていくのが見えました。
 箱の中から散らかった、ボールや小さなぬいぐるみを元にもどしていると、犬のあつめた宝物のなかに、父のサングラスが混ざっていることに気がつきました。
 よだれでべとべとになった真っ黒なサングラスを拾いあげ、服のすそで軽くふいてから光に透かしてみると、私は不意にむかしを思い出し、おかしさがこみ上げてきました。
 子供のころ、サングラスをかけている人はみんな、父と同じように片目のない人なのだと、私は思い込んでいたのでした。

 居間のテーブルにすわって、ぼんやりとテレビをながめている父に、私が黙ってサングラスを差しだすと、父はあっと声をあげました。
「どこに行ったかと思って、ずっと探してたんだよ。どこにあった?」
 犬の宝箱の中、と私が答えると、父は顔をくしゃくしゃにして笑いました。
「そうか、あいつの仕業か。まったく、届くところにあるもんは、なんでも持って行っちまうんだよな」
 父がそう言ってサングラスをかけて見せると、横幅のひろい四角い顔は、昔より増えたシミやいぼが目立ってみえました。
 私がテーブルにつくと、父は部屋のすみで熱心にボールをかじる犬をしばらくのあいだ黙ってながめていましたが、私がポケットからスマホを取りだしたのをみて、何かを思いだしたように口を開きました。
「それなあ、スマホ。俺もスマホにしたんだよ。ほら、見てみ」
 父も私と同じようにスマホを取りだすと、意外なほどに慣れた手つきでなにか操作をしてから、私に手渡しました。
 受けとって画面をのぞいてみると、ほとんど犬の写真ばかりのアルバムが映っていました。
 百枚近くスクロールして、ようやく11月という文字が出てきたのをみて、私が苦笑いを浮かべると、父は得意げに笑いました。
「エスエヌエスってやつもやってるんだぜ。ちょっと貸してみ」
 私からスマホを取り返した父は、またせわしなく操作をしてから、ふたたび私に手渡しました。
「すごいだろ?その写真、今でもまだコメントが増えてんだよ」
 スマホの画面には、犬がなにかをかじっている写真と、写真に対するたくさんの反応がうつっていました。
 よく見ると、犬がかじっているのは父の義眼のようでした。
 私が慌てて、これ、と声をあげると、父はひとしきり大笑いしてから、そうなんだよ、と言いました。
「うっかり置いといたら、おもちゃにされちまって。でも、結果オーライってやつかな。みんな、意外と義眼って見たことねえのな」
 私がすっかり呆れてスマホを突き返すと、父はサングラスをはずして嬉しそうに笑顔をうかべ、左目を指さして見せました。
「結局、新しいのを作ってもらったよ。まあ、だいぶ古くなってたしな。何年使ったかわかんねえや」
 あたらしい義眼をたしかめるために父の目をのぞきこむと、父はおどけたように、わざと右目をぎょろつかせて見せるのでした。

 一年ぶりの帰省とはいっても、さして話題があるわけでもなく、間を持たせるためにお茶をいれる私に、父はぽつりと切り出しました。
「なあ、ちょっと相談があるんだけど。お前に、左目の話をしたことあったっけ」
 カラスに食べられたんでしょう?
 むかしから、目のことをたずねるたびに父はそう答えたので、なにをいまさらと思って私がそう言うと、父は真面目な顔を作って、ゆっくりうなずきました。
「ああ。でも、それには事情があってな。実はな、”がま”に頼まれたんだよ」
 ”がま”ってあの、カエルのでっかいの?と私が聞くと、父はおおきな音をたててお茶をすすり、腕組みをしてから、おう、と答えました。
「それも、バケモンみたいにでっけえやつだ。がま大明神だな。俺がガキの頃の話なんだが」
 そう言って、父はふしぎな物語を語りはじめました。

 いくつの時だったか、もう覚えちゃいないが、夏のはじめの話な。
 その時は、なんだかやたらカラスの目立つ年だったんだよ。
 縁側で昼寝してたら、なんだか目の前に、俺よりでっけえがまとすずめが服着て座っててな、俺に言うんだよ。
「わしはここいらのカエル連中の主なんだが、今年はカラスのやつらがひでえ悪さをしとるんだ。わしらが食われるのはまだいいが、近頃はスズメも襲われるようになっとってな。君、気の毒とは思わんか」
 俺は、どっちも食われんのはかわいそうだと思ったからさ、素直にそう言ったら、なんだか気に入られちまったみたいで、あいつら俺に変なこと頼むんだよ。
「すまないが、カラスの親分と話をつけてくれんかね。わしらカラスと違って田畑は荒さん。だから、これは君らのためでもある」
 わかったって返事をしたら、がまがでっけえ手で俺の顔をつかんでさ、なにやらぶつぶつ唱えたあと、左目にまじないをかけたって言うんだな。
 そしたらすぐに目をさまして、妙な夢を見たもんだと思ったんだよ。
 半月ほどして、がまのことなんてすっかり忘れちまったころに、昼寝のあいだにまた変な夢を見てな、こんどはでっけえカラスが出てくんの。
 そんで、おどかすみたいに翼を広げてよ、真っ黒い目でカーっと俺をにらみつけて、こう言うんだ。
「がまの親分から聞いたぞ。お前の片目を食わせるかわりに、悪さをやめろだと」
 そんなこと聞いてねえって俺が叫んだらよ、カラスの野郎、かまわず左目をほじくりやがって。
 でもな、なんだかようすがおかしくて、やけに苦しんでるみたいでさ。
 目は痛えし、カラスもギャーギャー騒ぐんで、俺はわけがわかんなくなって大声で叫んだんだ。

「そしたらな、いつのまにか病院で寝ててよ。左目も無くなってたんだ」
 父が真面目なようすでそう言うので、私はどう受け取ればいいのかわからず生返事をすると、父は続けました。
「それから、病院のベッドで、また夢を見たんだな。例のがまが出てきてよ、すまんかった、おかげで助かったって。そんで、お礼に俺の願いをひとつ叶えてやろうだと」
 私は話を合わせることにして、なにを頼んだのかとたずねると、父はにっこりと笑って言いました。
「それがな、そん時は決められなくてさ。決めらんねえって言ったら、それ以来、毎年の正月に出てきては、決まったか聞かれるようになったんだよ。なんだか俺、野郎と話すのが毎年楽しみになっちまって」
 私が笑って、それじゃあ明日も出てくるのかと聞くと、父は満足したようにうなずいて、それから私に言いました。
「でもな、俺もそろそろ何があるかわからねえ歳だよ。だから、そろそろ決めようかと思ってな。なにが良いと思う?」
 なにか欲しいものはないか、やりたい事はないのか、なにを聞いても、父はない、ないと繰り返すので、私は面倒くさくなって、じゃあ母さんと一緒に百まで元気で過ごしたいと頼んでと言うと、父は手を叩きながら大笑いして、わかったと言いました。

 父は犬といっしょにさっさと寝てしまいましたが、私は居間でテレビを見ながら母といっしょに年越しを迎えることに決めました。
 おせちのきんとんを作るために、茹でたさつまいもをテーブルでぐにぐにと潰していると、となりに座る母が、私に父と何を話していたのかとたずねました。
 ”がま”とカラスの話、と私が答えると、母はふしぎそうな顔をして聞きました。
「その話、父さん覚えてたんだ。でも、なんでその話を?」
 願いごとが決められないって相談だった、と私が言うと、母はとつぜん大声で笑いはじめ、吹き出しながら私に言いました。
「母さんもね、むかし同じ話を聞いたよ。左目のお礼に願いをかなえてやる、ってやつでしょう?だけどね、母さんが聞いたのは、願いをかなえてもらったって話だったんだよ」
 へえ、と返事をすると、母は笑いながらも、すこし恥ずかしそうにつづけました。
「なんでもね、俺はかわいい嫁さんが欲しいって頼んだんだってさ。まったく、あきれた話だよ」
 私は笑って見せましたが、父が左目を失ったほんとうの理由を母にも話していないことに気がついて、複雑な気持ちになりました。
 しばらくのあいだ、部屋にはテレビの音だけが流れていましたが、外から鐘の音が聞こえ始めたころ、母はつぶやくように私に言いました。
「まあ、”がま”や願いごとの話なんて、信じちゃいないけど。要するに、あんたに困りごとがないか、父さんは聞きたかったんだろうね」
 私がうなずいて、父になんと答えたのかを話すと、母はすっかりだまりこんでしまいました。
 鐘の音が聞こえなくなり、テレビが新年のおとずれを知らせると、私たちは顔を見合わせて、今年もよろしく、とあいさつをかわしました。

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