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普通の考え方
普通、人の思想は自由である。何をどのように考えても個人の勝手である。
表現はどうでしょう。
普通、思ったままを現せれば良いわけだけれど、そう思うかどうかも含めてぼくは自分で決めるのが良いと思う。思ったことを伝える方法も、伝えるべきか否かも、自分なりに考えてから決めたい。
個人的な考え方はシンプルな場合と複雑な場合があるから、言わば交通規則みたいにルールを決めて制御しているわけじゃない。頭の中は公共の場の話とちがうこともある。
だいじなことをちゃんと考えてから表現に移したいし、特に深く考えず表現しても良いだろうと信じられることはあるし、それが大事か小事かに関わらずまんま自然に言ったり書いたりしてしまう調子の時もある。
ざっくり言うといいかげんに考えなきゃ頭のキャパがもたなくなることもあるでしょう?
きっちりした普通の考え方が能率的な行動を渋滞させたり肝心な自己そのものの在り方や表現の自由を否定してしまうこともあるのである。ましてや常識外の何か新しいことにチャレンジするなら常識の枠にとらわれながらではつまらないプロセスになりそうである。また、矛盾するようだがきっちりした考え方とか行動が悪いなんてまったく考えていない。当然だ、だいたいそんな人が実に素敵なんだからあこがれている。
ぼくなりの考えは常識的な人たちに迷惑をかけない範囲であろうとつとめている。何か普通じゃない要素が多いわりに。
けれど世間の普通意識と少しずれた考え方をする人はわりといて、たとえばストレートのお好み焼きはもちろん良いがそれ以上にうまくなるかはともかく一風変わった具材や珍しい調味料などの加味されたものを味見してみたくなるのが一般的に広く理解される嗜好傾向のはず。
だから普通の考え方に限らない考え方、ちょっと変な発想がむしろ共感されやすいのであり、どこか普通っぽくない、どこか変な人だなって思わせる、何か欠けたところのある気配の人には、その必要性とか信頼性とかに関係なく必然として興味や親近感が湧くのである。
あたし普通じゃないの。だめでしょ、とか。そう思う人には上から目線で言えてしまう。
「大丈夫。ぼくよりよほど普通です」
その根拠はお好み焼き作りにおける企業秘密以上の普通に説明できない事情が色々とあるので深く探らないでくれと願っているが。
さて、ここまで読んでくれた勇者には、こういう意識もあろう。
「普通に読みにくいわあ」
わかっているわかっている。だからこそ、それでいいのだと思える人がいてくれてどこか助かる、そういう話のふりだしに戻る。
ヘッダーの広告は単なるおなじみの景色でぼくとは無関係だけど、身近な企業にがんばってほしいなってふんわりした考えもある。
むしろそこが面白い、なぜか笑える、あるいは泣ける、というような、やさしい味付きの考え方のできる人がいてくれたら嬉しい。
こんな文章を書くやつもいるんだな、その小説はどんなもんじゃろう、そう感じて読んでくれる人が増えたらもっと嬉しい。
note創作大賞へチャレンジしてみたいので弾みをつけるつもりで書いてみた。
追記16時43分
奇遇にも今しがた親からお好み焼き屋に来いというラインきてわらった。
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