小説★アンバーアクセプタンス│十一話
第十一話
楽しいどんぐり暗号の解き方
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権利と言えるだろう。
義務とも言えるだろう。
プライバシー保護法。A条の一。二〇二六年改正。
『なんぴとも理由の如何に関わらず、個人が自主的に守ろうとする秘密を暴いてはならず、また暴こうとしてはならない。ただし、成人もしくは成人と認定された未成年者のうちの、業務上透明性を欠かせない類いの秘密については、この限りではない』
(*注釈。宇宙領域での成人認定に要する手続きは、未成年者本人が希望を申告する場合のみ中立母星振興市の長が個別審査を行う。市は簡易裁判所と協議した上で成人認定の必要性の有無を決定する)
・・・
三年制の学習センターにはセンター生だけが使える投稿ボードを実装した学内アプリケーションがあり、利用者はそれぞれ任意のアカウントネームを使える。そういうことはもちろん大人たちも知っている。
けれど、実際どの子がどんな別名を使っているかなんて、大人にはわからない。いくつになっても学習センターを卒業できなくてみんなから子供扱いされ続けている、ミスターポールみたいな自他共に認められる永遠の少年は例外として。
個人にしろ法人にしろ国家にしろ、人が秘密にしておきたいと意識する情報は、その秘密に関わる者同士で守り合いましょう。それが現代的な考え方だ。
ぼくは識別名称がharuka.omで、アカウントネームがアンバー。この真実はぼく自らセンターの外部へ公開するまで、飛車八号の検索機能を使ってもウェブ上ではまったく紐づかなかった。秘密情報と判別されるデータは開示できないプログラムが働いているから。
識別名称とアカウントネームの組み合わせ、それと使用する端末の本人認証が、投稿アプリのログイン・キーになる。第三者の端末からその手順でログインしようとするとブロックシステムが起動し、通報される仕組みだ。違法なアクセスをすると必ず身元をたどられて検挙されてしまう。
学習センターのサイトのセキュリティはこのように堅牢だ。地球の暗号通貨であるビットコインの仕様に少し似ていて、サトシ・ナカモトみたいな匿名の技術者が設計したと言われている。
さて、ちまたの話題はさておき、どんぐり問題だ。この謎を作った本人と直接会う前に解いておかなきゃだ。実力を試されている気がする。
ミスターポールが隔離棟へ連行される途中、わざと落としたどんぐり型のカプセル。これには、しわくちゃの紙切れを何枚も重ねて作った団子のような物が入っていた。
複数枚の手書きのメモをマトリョーシカみたいな入れ子構造にしていたようだ。
その一枚一枚に記載された情報はそれぞれ単体だと一見したところ何の意味もなさない、アルファベットや数字や記号のランダムな羅列だった。さながら落書きの詰め合わせである。
しかし子供だけがわかる法則にしたがってそれらメモの並びを整えれば、希望的かつ様々なメッセージがこれでもかという程わかりやすく記されていたと気付く。
伝達用暗号の作成をする上でクローズドコミュニティのメンバーの固有名を応用するアイデアは、シンプルだが有効なのだな。
センター生で大人たちから嫌われそうな投稿を披露しようなんて思う奇特な子はこれまでぼく以外にいなかったから、複数の名称と固有名の照合で開くロックはセンター生だけに解析できる連鎖式暗号になる。
ミスターポールと同じかそれに近いタイプの暗号作成センスを持っていれば案外すぐ解けるのだ、と考えられる。
「……ほんとかなあ」
それじゃ簡単すぎるかもしれない。それで浮かび上がる程度の情報はちょっと信用ならない。簡単すぎて希望的というには古典的すぎるし、これは迷彩でミスリードじゃないか?
どんぐりに唾液の匂いをつけた意味は、ここにないのか?
そこで、はっとした。
「フェイク。眉唾ものだ。一度疑えという」
ポールが何か伝えようとしているのは誰かというと、ぼくだった。ぼくという端末にしか解析できないB面の解も仕込まれているはずで……いや、もう一人ありえるか。ベル・エムもだ。
ポールはぼくたち二名のうちの、どちらかに伝われば成功だと思っている。学習センターのメンバーの名称とアカウント名の組み合わせ、それはとっかかりのヒントに過ぎず、本題に含まれない。
ハルカドットオムとベル・エム・サトナカ、それぞれの実名が、どんぐり暗号を解くための第一キーであると仮定すると。第二、第三の鍵は、第一キーからマトリョーシカ的なマトリックス思考法から導き出されそう。
マトリョーシカとマトリックスは語源が全く異なるけれど、不思議に共通項がある。
マトリックスはラテン語 matrix (母体・子宮)が起源、英語では子宮・行列・基盤などの意味。映画マトリックスでは仮想現実世界を指す名詞として使われた。
一方、マトリョーシカはロシア語 матрёшка 、愛称形のマトリョーナから派生。十九世紀後半からの説が有力。複数のサイズの木製人形が入れ子式になってる。お土産におすすめ。
このように語源も意味も全く異なる言葉でありながら、どちらも多層的な構造を持つという共通点はある。マトリックスは行列の要素が層のように並び、マトリョーシカは人形が層状に重なってる。
マトリョーシカ構造から映画マトリックスを想起させたのもポールの意図か。マトリックスという言葉が本来の意味とは異なる意味で映画に使用されたこともヒントと仮定。
言葉の奥深さ、それもさておき。
ベルは棋士時代から博士時代に至るまでメディアには本名を公開していない。ベルの本名を知る者なんて、船内中を探してもそうはいない(当の本人は地球にいるし)。
飛車八号搭乗以前にベルを取材しまくっていた元記者のミスターポールと、ベルとのダイレクトコミュニケーションをしてきたぼく、そのほかの人物は考えられなかった。
ハルカドットオムはアンバー。
ベル・エム・サトナカは里中すずみ。
「まず、これらがキーのコアになるとして」
たぶん通る気がする。勘だと、こっちだ。ポールはアンバーやベルが考えやすい方法で解けるキーを構築していたはずだろうから。逆に言えばぼくらしい考え方が正しい解き方に当てはまらきゃ、ポールのセンスを疑う。
「よし。ここから、ポールの唾液とどんぐりのDNA情報とをクロスするならば、こう、天に唾を吐くように。えーと、下から上だな、偉そうに、ペッて感じ……! 漢字は二つだけで、カタカナはいち、にい、さん、しい、中略、ひらがなは、三文字。中点はレゴの要領、純粋にブロックで遊ぶようにつなげる。それでいよいよ取り出したります、この種も仕掛けもなさそうなどんぐり生まれのメモたちを、外側からじゃなくて包み込まれた時間軸に従って、内側にあった順から重ねましょう、そうすると、お? そうしたら? おおお! わーい、解ける解けるー。なんかしらんけど解けてきたぜー、うははは」
業務上の秘密ではないベルの秘密の実名を暗号に使ったポール。それを密かに解析するぼく。どっちも誰かにばれたら明らかにプライバシー保護法違反だった。でもどっちにしろ二人共すでに捕まっている。今まさにそんなの大した問題じゃない状況なんだな。
「しかしさすが、ぼくだ。コナン・ドイルより、ミスターチルドレンより、かっこいい。るんるん」
機嫌は平手の将棋で初めてベルに二連勝した時くらい上々だった。
そしてその後は、ちょっと辛い現実を伝えられそうな連想=予感。
解析はさくさく成功したが、それで読み取れるテキストの主題が、なんと「遺書」だ。
「遺書か……よいしょ! って気持ちで書いたのかい? 世のため、人のために」
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