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生きた

一番上のいっちゃんが、もうすぐ小学校を卒業する。その準備が少しずつ始まっており、そのうちの一つが「6年間頑張ったこと」という発表だった。

習い事や勉強、なんでも良く、そしてそれにまつわるモノ、例えばサッカーを頑張ったならサッカーボールなどを持っていく。

いっちゃんは何を持っていくのかと聞くと、いっちゃんの部屋に置いてあるキャラクターの人形だと言う。

頑張り屋のいっちゃんは、6年間で経験した事は多々あるだろう。それでも一つと言われたら、その人形だと言う。「頑張ったことは何にするの?」と聞くと、一言「生きた」。と答えた。

いっちゃんの6年間は、我が家の壮絶な時期とぴったり重なる。いっちゃんが小学校へ入学するまで、2番目のニンタは発達の遅れこそあったものの、ぼうっとした子という印象で、手はかかるがまだなんとか生活はまわっていた。

しかし、いっちゃんが一年生のときに3番目のミコが産まれ、ニンタは嫉妬で覚醒した。ニンタは泣き叫んだり暴れる事が増え、我が家は、完全に育児崩壊した。

そして、ニンタは知的障害と難病であることが分かり、いっちゃん2年生の時に、私とニンタが長期入院。その後も入退院を繰り返し、いっちゃんはその度に、仕事で遅い夫の帰りを、近所の家におじゃまして待っていた。

食事療法が必要な病気であることから、日常生活も私だけではとても手が回らなくなり、訪問看護やヘルパーさんが大勢出入りする家になる。そして、いっちゃんは元気にいつもその人達に挨拶をした。

私は度々、夕方に立ち上がれなくなるほど参ってしまうことがあった。そんな時、いっちゃんに「おかあさん、今日のごはんどうするの」と聞かれると、私はなるべく明るくこう答えた。「今日は〜、目標を変える!今日の目標は生きること!栄養バランスも関係ナシ!寝る時間が遅くなってもしょうがない!」

そして宣言通りに、生きるに足りるだけの簡単な食事を用意して子に食べさせ、でも結局は、だいたいいつも通りの時間に寝るのだった。

それで、いっちゃんも私に習い、私が、「あれもやらなければ、これも終わってない」と落ち込んでいると、「おかあさん!生きるだけでいいんだよ!」とたしなめるというか、励ますようになった。

そういうやりとりが関係しているのかいないのか、私にはわからない。いっちゃんの発言のその心は、「生きることそのものが尊いのだ」という前向きな気持ちなのか、それとも「生きる」ことの反対の道を検討したが戻ってきたという意味なのか。

情けない事だけれど、私は怖くて詳細を聞くことが出来なかった。

そして、いっちゃんの部屋に、いっちゃんの生きる横に、いつもそのお気に入りの人形が居た。おそらく、親にも言えない事を、その人形に向かって話していたのだろう。

「でも、先生がキャラクターはダメだって言うんだ。だけど、他にコレってモノがないし」。と言うので、「いっちゃんの頑張ったこと、すごくいいと思う。もう一度先生にキャラクター人形を持っていきたい理由も伝えてごらん。難しかったらおかあさんからも口添えしてあげるから」。と言った。

そういえば、私は最近「今日の目標は生きること!」という宣言をしていないな、と思った。ヘルパーさんも一年半以上お願いしていないし、下の二人が大騒ぎして収拾がつかなくなる事も減った。朝晩は目の回る忙しさだけれど、それなりに料理を作って、やることを終えていつもの時間に寝る、変わらない毎日。

みんな、生きて、そして、長く苦しいトンネルを抜けつつあるのかもしれない。授乳が終わり、オムツが終わり、イヤイヤ期が終わり、ニンタの治療の成果も出てきて、なんとか話が通じるまでになってきた。きょうだいゲンカはまだするにしても。

6年間、生きた。

まだ小学生のいっちゃんに、そう言わせてしまうくらい、我が家は壮絶だった。でも、いっちゃんが胸を張ってそう言いたいのならば、私はそれをかわいそうだとか申し訳ないとか、そう言って後ろめたく思うのではなく、この環境でやさぐれもせず、真っ直ぐに生きて成長したいっちゃんを、ただ褒めたいと思う。

いっちゃんは、立派に生きた。

親として、こんなに嬉しいことはない。



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