種草莓
苺に対するジレンマの話。
赤くて甘くてツヤツヤしている苺は、果物の中でも人気が高いだけでなく、可愛らしいものの代名詞的存在だ。可愛いキャラクターはたいてい苺が好きだったり苺のモチーフを身につけていたりそもそも苺が名前に入ってたりする。するんでしょ?
しかし実際の苺はどうだろう。赤という色は生々しい肉体や鮮血を想起させ、照りを帯びた表面も相まって妙にグロテスクではなかろうか。さらに、規則的に並んだ粒々は集合体恐怖症泣かせ。全体的にシンプルに気持ち悪い。世間はそのことに全く気づいていないようですが。そう私は、苺は別に可愛く無い、どちらかというとグロいということを世間にわからせたい。この場合の世間には苺というだけで頭から可愛いと決めつけバカみたいにはしゃいで写真を撮るやつらのことが含まれている。つまりお前のこと。苺は可愛くない、苺はグロい。
これだけ苺をこき下ろしているが、私は適度にグロテスクなものが好きである。よって苺のことも好きなのだ。もちろん見た目だけでなく、甘くみずみずしい果物としての苺も大好きだ。ではなぜこれほどまでに「苺は可愛くない」というネガティブな主張に固執するのか。
可愛いものを手に取ることができない。なぜなら私自身が可愛さとは程遠い位置にいるからだ。可愛いって色々な要素を含むけれど、どの角度からアプローチしても私から可愛いの成分を抽出するのはかなり難しいと思う。
まず外見が可愛くない。背が小さいことを可愛いにカウントするなら良い線いってるかもしれないけど、小さくて可愛らしいってほどではないしなぜか背が低いことに気づかれづらい。
顔ももちろん可愛くない。常に人あるいは物を睨んでいるように見えるらしい。性格も可愛くない。そもそもこんなことぐだぐだ書いてるやつが可愛いわけないだろ。はぁ。
つまりは私自身が可愛く無いから、可愛らしい苺なんて手に取れない。好きだけど触れられない、そのジレンマが苺への愛憎を増幅させる。
愛憎といえば、インターネットで得た情報なので嘘かほんとかいまいちわからないんだけど、中国語でキスマークをつけることを意味する「種草莓」(なんて読むのかわからない)とは、苺を植えるという意味らしい。他人への執着の印であるキスマークの比喩に苺を使うことで、愛情のグロテスクさを表現しているようで実に秀逸だと感じる。
そんなことはどうだっていいのだ。苺が可愛かろうがグロテスクだろうが、生まれたての赤ん坊もシワシワの老人も、女子高生だろうがおじさんだろうが苺モチーフを身に付けたければ、苺がてんこ盛りのパフェとツーショットを撮りたければ、他人に迷惑をかけていない限り好きにすればいいのだ。
それができないのはやはり私の自意識が知恵の輪のように複雑に入り組んでいるからに他ならない。
別に苺にはじまったことではなく、中学生くらいの時から気付けば私の自意識はいつのまにか醜くよじれて手がつけられなくなっていた。その結果、可愛いとされるものを手に取ろうとすると脳内に別の自我が現れて、お前にそんなものは似合わない!キモい!!みんなキモいと思っている!!って言ってくる。ような気がするようになってしまった。なぜ。
正直これは誰にでも起こる現象だとわかっている。自意識の葛藤なんてみんな通る道でしょう。でもあなた方はいつのまにかそれに折り合いをつけ、普通に生活するようになっていましたよね。私はそれができなかった。
別の自我に対して言い訳するように、私は他人にどう見られるかなんて気にしていないし、可愛いものにも別に全然興味がない、というふりをした。どうしてそこで人の目を気にしないで本当に好きなことするって方向にシフトしなかったのか。他人にどう見られているかなんて気にしていないふりをする人間こそが本当は一番他人にどう思われるかを意識して生きている。なぜこんな屈折が生まれたのかということは一生かけて解明していこうと思うので今回は割愛しよう。
ともかく、他人からの視線など気にしてませんよキャラのポーズをとっているうちに、成人して数年経つというのにメイクもしない服もろくに買わない美容院にもほとんど行かない化け物が誕生してしまった。いや、メイクをしない女性を化け物と揶揄しているわけではなくて、私の拗れた自意識を指して化け物と形容した。それだってあくまで自分の意思で今の姿を貫いているのならなんら問題はない。私の場合、全ては拗れた自意識に支配された結果なのだ。
もちろんおしゃれするのが面倒くさいっていうのもある。でもこの面倒くさいというのは、おしゃれすることが習慣化されていないから面倒くさく感じるのであって案外中学生くらいから毎日おしゃれしてたらそんなに苦でもないのかもしれない。し、中学生くらいからおしゃれを生活の一部にしたって面倒くさくて苦痛なのかもしれないそっちのルートはもう試せないからわからない。
化け物として生きるのはとても苦しいので、苺が可愛くないということを世間にわからせて、可愛くない人も苺を手にとりやすい空気を作って、誰の目も気にせずに苺を愛したい。いや、本当は苺が可愛いか可愛くないかなんてどうでもいいってさっきそういうことになったでしょうが。
私は苺が似合う可愛い女の子になりたいんじゃなくて、(ゆくゆくは可愛い女の子になりたいけどね!)好きなものを誰の目も気にせずに好きと言える人間になりたい。それを実現するべく、今年は人生ではじめていちご狩りに行って、苺とツーショットを撮った。写真の中の怪物はとても幸せそうでした。