見出し画像

斜面                ☆絵・写真から着想した話 その7


☝🏼このフリー画像から書いた妄想話です

 土の中から、斜めに手が出ていた。
 肘の手前あたりまで。形はパー。雑木林の遊歩道脇からニョッキリ。火曜日の朝、九時五分。丘陵地を活かした自然公園。青彦の周りには、誰もいない。早朝には、鳥撮りのカメラマンたちが、十時過ぎると保育園児のお散歩、野良猫に餌をこっそり与える老人。放課後には小学生たちがやって来る──ので、散策は平日のこの時間と決めている。それにしてもこの埋め方、発見を希望しているとしか思えん。昨日は無かった。現場の土は、小豆色に湿っている。触れてみると柔らかい。簡単に抜けそうだ。
 小さな手を掴んで引き上げると、埋まっていた体が現れた。真っ赤なドレス。プリンセスラインというやつだろうか。裾に向けて広がった形。ウエストに大きなリボンが蝶結びされていて、胸と裾に華やかなレースがあしらわれている。土にまみれてはいるが、どろどろというわけではない。レース飾りは土粒が入り込んでいるものの、光沢ある生地部分からは、ぼろぼろと土が落ちた。埋めたて、だろうか。あたりを確認してから土をはらってやる。金髪に絡んだ土が、どうにもこうにもとりにくい。
 青彦は公園の手洗い場まで彼女を運び、ドレスを脱がして洗ってやった。金髪はもしゃもしゃになってしまったが、顔は綺麗になった。洋服もざばざばと洗ってやって、仕方がないので、濡れたまま着せる。

「あの。落とし物なのですが」
 レストハウスの窓口で、青彦は彼女を差し出した。初老の男性管理人は、びちゃびちゃのそれにぎょっとして、乱暴に机に置いた。
「どこに?」
「えーと、ため池の右側を登った先の雑木林に。遊歩道のすぐ横です」
「この人形が落ちていた、と」
 二十センチほどの八頭身ナイスバディが、珊瑚色の唇をうっすらと開いて見上げている。星浮かぶ青い瞳。みっしりと濃い睫毛。
「いえ、埋まっていまして。片手が出ていたものですから。洗ったんですが……。すみません、ハンカチの持ち合わせが無くて拭いてやれませんでした」
 状況を説明すればするほど、妙な空気が増すように思う。
「乾かして、あとでそこに入れときますから」
 窓口横の「公園内取得物」の箱を、管理人が指した。口元がにやついているのを見て、青彦はむかつく。馬鹿にされていると思う。俺はこんなに正しい事をしているのに。むかつきの加速度がどんどん増す。今に見ていろ。俺はいずれ成功者として名を馳せるのだから。「拾得物発見者用紙」の記入を辞退し、ぶつかるようにガラスのドアを押して外に出た。

 翌朝、救出現場でしゃがんでいたところへ、たったったっと足音が近づいて来た。立ち上がって振り返った時は、少女が青彦のすぐそばまで来ていて、見上げるなりこう言った。
「おじさんが?」
 堀り跡を目で示す。地元の有名私立中学の制服。色白の顔を囲うショートヘア。細い目とアーチ型の眉。小さな鼻とおちょぼ口……こけし。そう、こけしそっくりだ。
「君が?」
 今度は青彦が、土の跡を指した。
「なんで、出したのよ」
 こけしの声は、顔に似合わず低い。そして顔に似合わず棘がある。
「あきらかに存在をアピールしていたから」
「勝手なことして、届けたでしょ?」
「レストハウスに行ったってことは、結果を捜したってことじゃないか。人の形をしたものを、こんないたずらに使って、感心できないな」
「消して欲しいって。シホコが」
「この人形の名前?」
「そう。シホコが、いなくなってみたいって」
 面倒だな。この子。──青彦は逃げる方法に頭を巡らせ始めた。
「おじさん、今、うざいって思ったでしょ」
 うわ。こいつも相手の内心に敏感だ。
「おじさんだと? 俺は二十八歳だ」
「ふうん。おじさん、会社、さぼってるの?」
「どこにも所属していない自由人だ」
「高等遊民的な?」
「コウトウ……何それ?」
「わからないなら、いいです」
「あ、今、俺のこと馬鹿にしただろ。君だって、学校はどうしたんだ。授業中のはずだろ」
「自由意思で、行きたくない日は行かない」
「俺と似たようなもんだ。意志の自由、だろ」
 唐突に少女は鞄から人形を──シホコを出した。今日は、水色のミニワンピースだ。金髪も整えられて戻っている。と、その髪先を掴んで逆さづりにした。無表情でぶんぶん回す。
「あっ、何を! 首がとれたらどうする」
 青彦が少女を制止しようとしたはずみで、彼女の手から鞄が落ちる。
「──ごめん」
 拾って、渡してやった鞄のネームタグには「志保子」とあった。
「君の名前は、なんていうの?」
「──エミリ」
 逆さ吊りしたエミリを手に、少女は去った。

 雑木林の斜面に、水色のワンピースを着た人形が──エミリがひっかかっている。うつ伏せだが、あれはエミリだ。手を伸ばして届く位置ではない。立ち入り禁止の急な場所だ。青彦は、レストハウスに向けて走った。
 二度と会いたくなかった管理人に、必死で訴える。
「斜面にダイブしている人形を救出してください。なんとかとれませんか。じゃあ俺がやりますから、ロープを貸してください。ああ、だめだ。違う。エミリじゃなくて、志保子のほうです。こうしている間にも──。ほら、あの時の人形です。持ち主が、志保子が取りに来た時の連絡先控えがあるんじゃないですか。教えて下さい。人形はいいです。連絡先を。一刻を争うんです」
 管理人は、露骨な溜息をつく。
 チクショウ。どうしていつもこうなんだ。

                              了