かもまいる

午後に就寝したい。 読書が好きです。本はもっと好きです。偏食気味ですが音楽も好きです。

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マガジン

  • 生活記録

  • ペアノート企画 「他者」について

    「他者」とはなにか、若造3人の思う暫定解。

最近の記事

八月某日 コーヒーのある生活

仕事中、1日に数回コーヒーを入れる。 大抵ドリップコーヒーを使う。 一杯のコーヒーができるまでには、いくつかの工程を踏む必要がある。 1つ、お湯を沸かす。 ティファールでマグカップ一杯分よりも少し多い量のお湯をこしらえる。なぜなら、コーヒーが冷めてしまったときにお湯で薄めるため。 1つ、ドリップコーヒーを取り出す。 ティファールが載っている棚の上に、ドリップコーヒーがストックされている。1つ取り出して、封を開け、マグカップの上にセットする。 1つ、お湯を注ぐ。 始めに少

    • 五月某日 ゆめにっき

      蛇を飼う夢を見た。赤くて、10cmくらいの蛇が3匹。 そのうち1匹は特に小さくて、目を離すとどこかに行ってしまいそうだった。 本当はヤモリだか、イモリだかを飼いたくて、でも手元にいるのはどういうわけか真っ赤な蛇だった。 何を食べて生きているのかはよくわからなかったけれど、なにかしらを食べたのだろう。 ちょうど頭の方から順々に、胴が太くなっていた。さながらツチノコのようなフォルムだった。 3匹ともあんまりに赤くて小さいので、トグロを巻くと大粒の梅干しにしか見えなかった。

      • 「読んだ本の話」のネタにしたい本がやたらと長いのでなかなか更新できない、無念。

        • 五月某日 ナイフ・エッジ

          人は変わらずにはいられません。 新海誠監督の映画『秒速5センチメートル』に登場した一節だと記憶している。 確か、上京した主人公が恋人に別れを告げられるシーンだ。ただこれだけの短いセリフから、それとなく関係のもつれ方が見えてくるように思える。 わたし個人としても、これまで幾度となく人の変化を痛感してきた。進学や就職など大きく人間関係が変化するときには、とりわけ「変化せずにはいられない」ことを意識させられる。 「おう、久しぶり」「卒業以来だね」「君、なんか変わったね」「そう

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          34本
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        記事

          四月某日 さらば、全ての

          さすがに月に1本くらいは投稿しておきたく、筆を執っています。嘘です。キーボードをたたいてます。 先日、友人とエヴァの劇場版最終編を観てまいりました。 いやあ、良かった!!!!なにが良かったか語るだけでも連休が終わってしまいそうなくらいよかった!!!!! ご覧になっていない方も、これから作品に出会われる方もいらっしゃると思うので具体的な感想を申し述べるのは控えますが、作品ファンにとってはこれ以上にない素晴らしい一本でした。 アニメ版、旧劇場版、漫画版、そして新劇場版と余す

          四月某日 さらば、全ての

          親愛なる友人へ

          先日、親友からラブレターをもらった。「好きです」や「愛しています」などと月並みなセリフは書かれていなかったけれど、確かにそこにはわたしへの愛があった。恋仲ではない人から愛を投げかけられるのは、なんだかこそばゆいような、胸があたたかくなるような、気がした。嬉しいので皆さんに見せびらかすために、リンクを貼っておこう。 せっかく心のこもった言葉を贈られたので、今日はこの場を借りてその返事を書こうと思う。手紙を書いてくれた親友と、君抜きでは決して語ることのできない、もう一人の親友へ

          親愛なる友人へ

          三月某日 書く速さ、読む速さ

          「あれはゆっくり書かれた本だから、ゆっくり読めばよいと思う。」 谷崎潤一郎の『細雪』について、尊敬する先輩がそう言った。 彼は文学の愛好家であり、同時に物語の書き手でもある。 本は読み手一辺倒、表現も発想も世界観も乏しいわたしからすれば、到底思いつかない文学の楽しみであった。

          三月某日 書く速さ、読む速さ

          読書より本が好きなんです、物としての本が。

          読書より本が好きなんです、物としての本が。

          三月某日 書店「世界のジオラマ」

          久しぶりに、都心の大型書店に足を運んだ。ワンフロアすべてが外国語の本で埋め尽くされた、某本屋である。 ほんとうは、階下の家具屋に用があったので、ついでついでに立ち寄った。 (さて、どこの書店でしょうか?正解は最後に。正解された方には、心の中で拍手を送ります。ご一報ください。) 本がたくさんある。なんといっても書店である。大量の本と、それらを収めるだけの書架が所狭しと並んでいる。 本のうち2~3割はまったく理解できない言語で書かれている。残りの本たちも単語を拾うのがやっとで

          三月某日 書店「世界のジオラマ」

          三月某日 レコードだっていいじゃない

          えっもう2月終わったんですか!?わたしの記憶ではとうとう1度もnoteを更新しないままに、新しい月を迎えてしまいました。亡き2月に合掌。 ……よもや、と思い確認したら、1件だけ投稿してましたね。忘れられた書き物に、再び合掌。 あんなに威勢の良かった冬も何処となく落ち着いて、舞台袖からチラチラと春が顔を見せる季節になりました。例によって花粉症の煽りを食って、なんとなくボーッとフワーッとしております。さもありなん。 閑話休題。先日友人から面白い言葉を教わりました。 日常生活

          三月某日 レコードだっていいじゃない

          二月某日 月日の密度と生活記録

          昨年末から毎日、手元のノートに日記をつけている。いや、実際は毎日ではなくて、1日空いたり3日分一度に書いたり、それくらいいい加減なのだが、それでも大まかにいつ何があったかわかる程度には記述が積み重なっている。 いわゆる「自粛期間」が続き、コロナだギネスだと騒いでいるうちに(わたしはギネスが好きです)早1年が経とうとしている。以前にも書いた通り、変わり映えのしない毎日を過ごしていると、流れる時間と感じる時間とで速さがズレ始めるのである。少しでも油断すると、アッと言う間に記憶の

          二月某日 月日の密度と生活記録

          一月某日 言葉のバケツ

          きれいなものを産み出すためには、きれいなものを取り込み続けなければならない。きれいなたべもので身体をみたして、すきとおったもので心をみたして、それでいて漸くいっぱいいっぱいになったところから、ほんとうのすきとおったものが零れ落ちるのだと、わたしは信じる。

          一月某日 言葉のバケツ

          一月某日 年は明けたし、人はやがて死ぬ。

          2021年がやってきた!ヤア!ヤア!ヤア! と、いうわけで新年であります。本年も精進を重ねる所存です。 今年こそは頑張るぞ!!なんてね。 はてさて、我々こども卒業済みの人間からすると、「2021年」なんて響きには近未来の佇まいを見るわけだが、目下わたしの頭の中は、数十年前さかのぼって20世紀真っ盛りである。 何の気なしに読み始めた『もういちど読む山川世界現代史』を機に、プチ世界史ブームが到来している。 高校卒業を最後にほとんど触れることもなくなった歴史(通史)の世界だが

          一月某日 年は明けたし、人はやがて死ぬ。

          十二月某日 趣味としての読書

          師走である。(という書き出しで、実はもう5,6度も物を書いている。どれも書き終わらないまま放り出してしまった。)流行り病の時勢では例年ほどの「年の瀬」感もなく、師も自宅に篭らざるを得ないのがいささか寂しいような気分になる。 さて、日常会話や就職活動など、生活のさまざまな場面で「趣味はなんですか?」と問われることがある。大抵の場合、予期せぬタイミングで忘れた頃にやってくるのが厄介なものだ。 普段は当たり障りのないよう、「音楽です、ええ、演奏も鑑賞もしますね。あとは強いて言え

          十二月某日 趣味としての読書

          十一月某日 流れにあらがうこと、流れから抜け出すこと

          あっという間に11月になりました、すっかり秋も深まってまいりましたが皆さまいかがお過ごしでしょうか。 薄くなったカレンダーを見ては、時の流れの速さに驚く日々です。 さて今日は、そんな流れについての話。 便利な世の中であります。画面を撫でれば買い物が済み、次々に文字や動画が目に飛び込んできます。地球の裏側まで1秒もかからずに言葉を届けられ、遠く離れた知人でもタイムラインに行けばいつでも近況報告をすることができる。 今や空間的距離は技術の前に障害とならなくなっています。心理

          十一月某日 流れにあらがうこと、流れから抜け出すこと

          八月某日 SNSを日記代わりに使うな

          冒頭、特大ブーメランここ1,2年、SNSに日記をつけている。主にTwitterやNoteを利用しているが、つくづく便利なサービスだと思う。間違いなく日常的なアウトプットを格段に増やしてくれる道具だ。 一方で、これらはある危険をはらんでいるようにも思うのだ。 SNSの倫理によって、思考の枠そのものが狭められてしまう可能性である。 壁に耳あり障子に目ありSNSでの発言は、必然的に不特定の他者に受け取られ、評価を下される期待をもってなされる。 例えばnoteでは、ハッシュタグ

          八月某日 SNSを日記代わりに使うな