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なんで、人は生きるの?

突然、一年生の子供にそう聞かれて、私はあんぐり口を開けた 。その状況は、かつて同僚が置かれた状況に似ていた 。それは、道徳の公開授業での出来事だった 。同僚が「それでは、これから道徳の授業を始めます。」と言った時、教育委員会の指導者がその教室に入ってきた。 まだ、発問もしていないのに、即座に一人の子が手をあげた。

「先生!道徳って、何ですか?」

その予想だにしなかった1年生の質問に、その同僚は狼狽し、その答えに窮した 。私は、その話を同情をもって聞いた。こうした概念を1年生の子供にわかるように話をするのは難しいし、オーバーな言い方をするならば、自分の人生観や世界観が問われることにもなりかねないからである。

ましてや、一家言を持つ第三者のいる場所では尚更のことだっただろう。私の場合、教育委員会の指導者がいなかったという点で違いはあるが、自分の人生観や世界観が問われるという点では変わりがなかった。それに、こうした問題はごまかしが利かない。ましてや、教育に携わる者にとっては、なおのことである。

私は、気を取り直して、こう答えた。

「それは幸せになるためだよ。」

勿論、これだけでは十分ではない 。しかし、この問題の責任は、教育に携わる側の私たちにあり、教育される側の子供にはない。なぜなら、教育は、子供に生きる力を与え、子供を幸せにすることだ、と考えるからである。

元甲南女子大学長の故鯵坂二夫先生は、子供の幸せについて、こう書いている 。「私は、子供の幸せとは、子供が父母から貰った遺伝の力、これが十分に伸びる。その結果は運命じゃございますまいか。 これをしみじみと抱きしめる、満足してネ。これが幸せというものだと思います。ですから、太郎と次郎じゃ幸せが違う。花子と梅子も違う。貰った力が違いますから。」と。

それは、

「自分らしさを大切にし自分らしく生きる」

ということなのだろう。

そして、それを手助けするのが、大人の私たちに課せられた、子供に対する使命なのである。そのことを、その心構えを、玉川学園の創立者である故小原國芳先生は、

「母のための教育学」

の中で厳しく諭している。

「法律もお金も、制度も文物も皆生かすも殺すも『人』です。
立派な『人』ができたら立派な政治も外交も芸術も宗教も学問も道徳も産業も自ら生まれるのです。否応なしに生まれるのです 。それを!どうして、かくも『人』を作ることをおろそかにするのでしょう。

教育の仕事は、家庭と学校と社会の三つが力を協せねばならぬのですが、中にも『家庭は教育の源』です 。お父様の力も大事ですが、お母様の力はより偉大です 。人間の一生は、いろんなものが影響しますから、えらいお母様の子供は必ずえらいとは限りませんが、少なくとも偉人の母は偉人です 。お父様の力も無論偉大ですが、子供の良し悪しは、多くお母様と並行しとるようです 。たくさんの子供に接して痛切にそう思います。子供のために、日本にも、偉いお母様がたくさん出ていただかなければなりませぬ。

そして教育に熱心な人もホントに少ないですが、ホントの教育のわかった人は、それはモット少ないようです。

親の方が無理解なために、ズイブンと教育が壊されます。 子供がホントにかわいそうです。 学校教師としての私共にも、無論、大きな責任がございます。省みて、本当に恥ずかしく、すまなく思います。早くお互い、教育をわかって、共に共に力を協せねばなりませぬ。そして、足りない私どもを助けてください。全くお子さん方のためです。」と 。

私は、ホント教育の欠如が人々に様々な不幸をもたらすと考えている。

東欧の一連の動きで明らかとなった問題もこれに付随したものと言えるだろう。また、「モラトリアム人間」という言葉で宣伝される「永遠の少年」(M.―L.フォン・フランツ著)の問題も然りである。それは、「大人になることを拒み、真の人生、大人の人生への架け橋を見出せないでいる人々を、いかにして若さの価値を失わずに空想世界から抜け出させるか、若い時に自分のものだった全一と創造の 感覚、生気に満ちた感覚を手放さずに大人にするにはどうしたらよいか」という難しい問題である。省みて 、これは、私たち自身の問題でもある。

そして、幸いなことに、その問題を克服し、「人」として見事に結実した人がいる。それは小原國芳その人である 。

「人」とはなんぞや !ホントの教育を考える上で、避けては通れない問題である 。この問題の追及の仕方は人によって様々だろうが、私は、この問題の入り口と出口を小原國芳その人に求めている 。「玉川学園十二の教育信条」然り。彼のお弟子、諸星 洪が書いた「玉川のおやじ」の中の一節に、真の「人」を肌で感じるのは、果たして、私一人であろうか?


   ◇二つを一つに

貧乏人の教育もやったが、金持ちの子の教育もやった 。

天才教育もやったが劣等生教育もやった 。

並外れた虚弱児も世話したが、並外れた体育家も仕上げた。

肥桶 も担がせたが、ピアノも弾かせた。

聖書も読ませたが、そろばんも確実にさせた 。

大馬鹿になれと教えたが、蛇の如く慧くとも教えた。

 背広も着せたが労作服も着せた。

もっとも男女を近づけたが、最も男女間の純潔を保たせもした 。

高遠な理想家だが着実な実行家でもあった 。

奔放な空想家だが綿密な実際家でもあった 。

極めて胆は太かったが、極めて細心でもあった 。

物質をもっとも利用したが、物質にもっとも淡白だった 。

理解力は頗る広大なくせに、すこぶる我は強かった。

人一倍怒りん坊だが、人一倍泣き虫だった。

最も妻を愛したが、最も妻に暴君だった 。

強大な欲望の持ち主だが、晩酌一ぱいも近づけぬ清教徒だった。

誰にも負けぬ国際主義者であるが、誰にも負けぬ愛国者だった。

複雑極まりなく単純であった 。

最も個性を生かしたが、もっとも他の為に働いた。

 反対のものを一つにする名人

     小原先生


(See you)